第1話 六月十九日、東京に雪が降った六月十九日、午前十一時十二分。東京都心の気温は、四・七度まで下がっていた。空は朝から鉛を溶かしたような色に沈み、昼が近づいているというのに陽射しらしいものはどこにも見えなかった。通勤途中の会社員たちは季節外れの冷気に首をすくめ、駅前のドラッグストアでは使い捨てカイロが飛ぶように売れ、衣料品店では倉庫へ片づけたばかりの冬物コートを店員たちが慌てて売り場へ戻していた。それでも、多くの人間はまだ笑っていた。異常気象。記録的な冷え込み。百年に一度。ニュースでは朝からそんな言葉が並んでいたし、実際、六月に寒い日が一日や二日あったところで世界が終わるわけではない。昨年の夏には四十度を超えた都市がいくつもあり、ほんの数か月前まで、今年もまた記録的猛暑になるだろうと専門家たちは繰り返していた。だから誰も、本気で恐れてはいなかった。最初の雪が東京駅の丸の内駅舎の前へ落ちてくるまでは。黒いスーツの袖に小さな白い粒が張りつき、一人の会社員が「あれ」と声を上げた。その隣を歩いていた若い女性が空を見上げ、今度ははっきりと、「雪じゃない?」と言った。その声を合図にしたように、人々が立ち止まった。六月の東京に、雪が降り始めた。初めは細かな粒だった。やがて風が強まり、白いものは無数に舞い、街路樹の緑の葉へ貼りつき、タクシーの黒い屋根を薄く染めていった。半袖の学生たちが歓声を上げながらスマートフォンを向け、その横では年配の男が笑いながら、「こりゃ珍しいな、写真を撮っておかないと誰も信じないぞ」と妻らしい女性に話している。ネットには、ほんの数分で映像が溢れた。《六月に雪とか終わってる》《東京、マジで雪なんだけど》《地球温暖化どこ行った》《会社休みにしてくれ》冗談と驚きが入り混じった投稿が凄まじい速さで共有され、その一方で気象庁は臨時会見を開き、極めて珍しい寒気の南下による一時的現象である可能性が高いと説明した。テレビ局も同じだった。「六月としては百二十七年ぶりとなる都心での降雪が確認されました。ただし現時点では長期的な寒冷化を示すものではなく、専門家は極端な気象現象の一つとして冷静な対応を呼びかけています」昼前の情報番組で女性アナウンサーがそう読み上げたころ、東京から百八十キロ以上離れた長野県東部の山あいでは、雪はすで
Última actualización : 2026-09-02 Leer más