All Chapters of 元夫の結婚式を、私が担当することになりました: Chapter 61 - Chapter 70

170 Chapters

第61話 消された招待客名簿

挙式を終えても、雨はやまなかった。招待客は染色室の披露宴会場へ移り、スタッフは濡れた傘を番号札と引き換えに預かった。停電に気づいた人は、それほど多くない。問題が起きたのは、ネット上だった。【独占入手――朝比奈グループ、朝比奈璃子専務の非公開結婚式・招待客名簿】記事には、招待した120人の氏名と肩書がそのまま載っていた。携帯電話番号の一部に、席次まで。宮瀬真帆の顔から血の気が引いた。「このファイル、社内の共有フォルダにしか置いてません」紗月は記事を最後までスクロールした。朝比奈隆之会長が追加しようとした78人の名はない。流出したのは、最終承認版だった。「共有権限を全部切って。社員の個人端末からの接続履歴も保存」「誰がやったんでしょう」「今は、わからないと言って」紗月は、まず璃子と圭介に知らせた。璃子はスマートフォンを見下ろし、それから父に顔を向けた。「お父さんが渡したの?」隆之は不快そうに答えた。「なぜ私が、自分の客でもない連中の名簿を記者に渡すんだ」「じゃあ、誰が友達の番号まで――」「今、私を疑っている場合か。まず一ノ瀬代表の会社の情報管理を問うべきだろう」紗月が間に入った。「ルミエールの共有アカウントから流出したものか、確認中です。責任の所在が判明しましたら、契約に従って対応いたします」隆之は待っていたように言った。「だから最初から、実績のある大手ホテルにしろと言ったんだ」圭介が硬い声で口を開いた。「今日の結婚式は、無事に終わりました」「これが無事に終わったように見えるのか?」「はい。僕たちが選んだ人の前で、僕たちが選んだ形で挙げられたので」隆之は婿をにらみつけ、先に立ち去った。璃子は記事のコメント欄を開こうとして、指を止めた。「友達には、私から直接謝ります」「謝る前に、まず状況を知らせ
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第62話 招かれていない記者

紗月は、差し出された婚姻届を受け取らなかった。「どこで手に入れたんですか」「情報提供を受けました」「誰から、ではなく、どうやって入手したかを聞いています。原本を見たのか、ファイルで受け取ったのか」記者は少しためらった。「暗号化されたメッセンジャーで」黒川律が前に出た。「今お見せになったのは、家族関係に関わる個人情報です。未成年者の写真も提供すると告げられているのなら、直ちに捜査機関へ証拠保全と提出の手続きを求めます」「脅しているんですか?」「いいえ。手続きを説明しています」紗月は文化館の出入り口を示した。「イベントの契約時間は終わりましたが、まだ撤収作業中の私有地です。取材の許可は出していません。お帰りください」記者は、なかなか動こうとしなかった。「桐生蓮司会長と、よりを戻すおつもりは?」「お答えしません」「お子さんは実子で間違いないんですか?」「お答えしません」「元夫の結婚式を引き受けたのは、復讐のためでは?」紗月は声を変えずに繰り返した。「お答えしません」質問が変わるたびに見せる表情さえ、記事に使われかねない。彼女はカメラではなく、記者の顔を見た。「ただ、子供の写真が届いたら、報道する前に私の弁護士に連絡してください。報道を控えてもらう見返りに、何か条件を出すことはありません。不正に取得された資料なら、直ちに通報します」記者の目つきが少し変わった。「金で止めるつもりはない、と」「子供の安全を、金銭取引にはしないということです」しばらくして、記者がスマートフォンを取り出した。「情報提供者が今日の正午に送ってきたメッセージです」画面には短い文章があった。【結婚式を揺さぶれば、一ノ瀬紗月が自分で出てくる。取材を続けるなら、子供の名前と写真を提供する】添付ファイルの送信予定時刻は、翌朝9時だった。
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第63話 2人の結婚式

情報が流出した翌日、朝比奈璃子と瀬名圭介は、もう一度ルミエールのオフィスを訪れた。新婚旅行は2日延期したという。「名簿に載っていた友達に、直接連絡しようと思って」璃子は小さな箱をテーブルに置いた。前日、スタッフが回収した名札だった。「それに、契約終了の打ち合わせもしないといけないんですよね」真帆が慌てた。「今でなくてもいいんですよ」紗月は会議室のドアを開けた。「予定を延ばす理由はありません」終了時の打ち合わせは、結婚式がきれいだったかを聞く場ではない。契約したものが提供されたか、変更費用は適切だったか、事故対応に何が足りなかったか。1つずつ確認していく。ルミエールは、停電で使えなかった有線照明の費用を返金し、無線機材を緊急投入した費用は自社で負担することにした。雨天の動線変更で増えた人件費は、事前に合意した予備費から支出する。璃子は「結果がよかったので全額払います」と言ったが、紗月は提供できなかった分までは受け取れないと答えた。好意的な感想は、精算の代わりにはならない。成功した催しほど、費用と責任をきちんと締めくくる必要がある。そうすれば次の関係に、恩や貸し借りを残さずに済む。璃子は停電のときの案内が早かったと言い、圭介は染色室の床の段差が思った以上に危険だったと指摘した。「お客さんが1人、つまずいて転びかけました」紗月はすぐに書き留めた。「仮設スロープを置いた場所が狭すぎました。こちらの設計上の責任です。治療や持ち物の破損がなかったか、改めて確認します」「けがをした人はいません」「いなくても、次の催しまでに改善が必要です」名簿流出の件は、責任の所在がわかるまで別途調査事項として残した。ルミエールに過失が認められれば、契約で定めた賠償金と実際の損害を支払うことも、改めて説明した。書類を読んでいた璃子が尋ねた。「一ノ瀬代表は、昨日いちばんよかったことって何だと思います?」紗月は少し考えた。
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第64話 戻ってきた契約

コアリンクから復元された文書は、28ページあった。完全なファイルではない。表や写真の一部は壊れ、作成者の情報も削除されていた。けれど、作られた時期ははっきりしていた。蓮司が初めて湊に会う、4か月前。誰かは、それよりずっと前から子供の存在を知っていた。「戸籍を照会した記録はありません」黒川が言った。「病院か幼稚園から情報が漏れた可能性を調べる必要があります」紗月はページをめくった。『正統な血筋の強調』『前妻に関する物語の管理』『父親としてのイメージ向上』『次期後継者の早期露出』。子供を1人の人間として見ている文章は、どこにもなかった。表の中で、湊は『資産』と『リスク』に分類されていた。紗月は文書にある情報を、項目ごとに印をつけた。名前と生年月日の流出経路は不明。幼稚園の予定は、コアリンクが貸館システムに接続した時期と重なる。通院日は、桐生文化財団が契約した調査会社の報告書から引用した痕跡があった。「1か所から、全部漏れたわけではないんですね」「いくつもの資料をつなぎ合わせて、1人の生活を組み上げたんです」黒川は、それぞれの機関へ個別に記録の保全を要請した。文書1つを止めるだけでは、子供の日常を守れない。「これを作った人たちが、先に湊を見つけた理由は、親子関係の確認ではなかったんですね」「蓮司さんの破談と、経営権争いに使う切り札だったのだと思います」文書の最後には、3段階の計画があった。第1段階、前妻との対立を表面化させる。第2段階、実子疑惑を広める。第3段階、桐生家が責任を持って迎え入れると発表する。破談の現場に記者が入り込んだこと。幼稚園の周囲で撮られた写真。婚姻届の流出。順番がぴたりと重なった。紗月は、破損の残るファイルを閉じた。「この文書が完成版だという保証は、ないんですよね?」「ありません。表紙のファイル名に『最終』とあるだけです」「なら、もっと
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第65話 ありがとうが届く範囲

蓮司は1人で、桐生家の家族協議会へ向かった。会議室の中央には、湊の名が記された信託契約書が広げられていた。桐生雅子は、自分が管理人に指定された文書を見ても、驚かなかった。「子供の財産を守ろうとしているのよ」蓮司は椅子に座らなかった。「誰が、あの子に財産を渡すと言ったんですか」「あなたが退いている間に、継承の構図が揺らいでいるの。実子だとわかったなら、せめて権利は守ってあげないと」彰人が書類をめくった。「一ノ瀬代表が感情的に拒んだとしても、法的に受け取るものは受け取るべきだ。あとになって、子供に恨まれるかもしれない」「だから、母を管理人にしたんですか」「家族の中では、最適だろう」蓮司は信託契約書の最後のページを持ち上げた。未成年者の肖像の使用への同意と、『桐生家の公式行事への参加』という条項が、一緒に組み込まれていた。財産の保護という名目で、子供を人前に立たせられる契約だった。信託財産の一覧には、桐生系列会社の株式だけでなく、年間の広報予定と撮影同意書まで付属していた。管理人は、子供の学校選びや海外滞在にも意見を述べられることになっている。蓮司は家族に、条項を1行ずつ読ませた。『保護』という見出しだけで同意しようとしていた者も、実際の権限の広さを前に口数が減った。「財産を渡したいなら、あの子が成人してから本人に提案してください。今は誰も、生活を支配する権利まで一緒に買うことはできません」蓮司は文書を破らなかった。全ページを撮影し、元の場所に戻した。「一ノ瀬湊の法定代理人は、一ノ瀬紗月代表です。私は実の父親として義務を果たしますが、同意なく家族行事や企業広報に参加させることはしません」雅子が声を荒らげた。「あなたの息子なのよ」「だからこそ、させないんです」「桐生であの子が手にできるものを、どうしてあなたが捨てるの?」「捨てることと、選ばないことは違います」彰人が笑った。
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第66話 桐生の子供

幼稚園の家族参加授業まで、あと5日だった。コアリンクの文書によれば、その日は記者たちが初めて子供を公に撮影する予定になっていた。紗月は幼稚園に連絡して、中止を求めたりはしなかった。湊だけでなく、ほかの子供20人の予定もかかっている。代わりに園長と直接会い、入場の手順を変えた。入れるのは、事前登録した保護者1人だけ。撮影は禁止。外部の人間は、正門で身元を確認する。当日は、子供の名前が書かれた案内板も使わないことにした。撮影のルールは、ほかの園児の保護者にも同じように適用した。湊だけ特別に隠せば、かえって誰が湊なのかわかってしまう。行事全体の写真は園が指定する撮影者1人に任せ、掲載前に全保護者の確認を取ることになった。紗月は変更にかかる費用を負担すると申し出たが、園長は断った。1人だけの問題ではなく、すべての子供に必要な保護だという理由だった。「湊君は、お休みしてもいいんですよ」園長は慎重に言った。「安全を考えれば、おうちにいたほうが――」「まず、湊に聞いてみます」紗月は、代わりに決めなかった。家に帰ると、子供と目の高さを合わせて説明した。「幼稚園に、写真を撮りにくる人がいるかもしれないんだって」「なんで?」「湊が誰なのか、知りたいんだって」「ぼく、なんなの?」紗月は少し言葉を切った。「蓮司おじさんが、大きな会社で働いているからなの」「パパだから?」最近、湊は2人きりになると、ときどき蓮司を『パパ』と呼んだ。人前では、まだおじさんだった。「うん。それを知りたい人がいるの」「じゃあ、しゃしん、だめっていえばいいじゃん」「言っても、聞いてくれない人がいるかもしれない」湊は色鉛筆を置いた。「ぼく、ようちえん、いきたい」「怖いかもしれないよ」「ママもくる?」「うん」「お
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第67話 幼稚園の前のカメラ

少し先へ走っていた湊は、戻ってくると、また2人の手を握った。正門前の記者たちは、警察が設けた規制線の外にいた。子供が来るたびにカメラを持ち上げる。そのたび、園の職員が傘で視界を遮った。「こちらを見てください!」誰かが叫んだ。「桐生会長の息子さんですか?」湊の指が、紗月の手の甲に食い込んだ。蓮司は歩みを止めなかった。記者へ顔を向けた拍子に、子供までカメラのほうを向いてしまうかもしれない。3人は裏門から入った。教室の前まで来て、ようやく湊が手を放した。「ママ」「うん」「こうけいしゃって、なに?」紗月と蓮司の視線が合った。どう答えても、会社や財産、大人の欲を子供に説明しなければならない。蓮司は口を開きかけて、やめた。「ママが話してもいい?」湊がうなずいた。紗月は子供の上着のファスナーを下ろしながら話した。「大きな会社で、次に仕事を任される人を、そう呼ぶこともあるの」「ぼく、かいしゃ、いってないよ」「だから、湊に使う言葉じゃないんだよ」「おじさんは、やった?」「前は、そう呼ばれていました」蓮司が答えた。「今は、ほかの人たちがやっています」湊は少し考えた。「ぼくは、きょうりゅうはくぶつかん、やるんだけど」「いいね」「こうけいしゃ、やらなかったら、きょうりゅうはくぶつかん、やってもいい?」「後継者なんて言葉があってもなくても、湊は大きくなったら、やりたいことを選んでいいんだよ」蓮司の答えに安心したのか、湊は教室のロッカーを開けた。大人につけられた名前を断らなければ、ほかの夢を持てない。そんなふうに思わせない言葉が必要だった。「ママは、お花ね」「ママは結婚式」「にてるよ」湊が教室に入ると、紗月は廊下の窓から正門を見た。カメラ
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第68話 名前を言わない記者会見

翌日、蓮司は再び記者たちの前に立った。今度は、桐生グループのロゴのない場所だった。発言原稿には、湊の名前も写真も、生年月日もなかった。「昨日、一部の媒体が、未成年者の教育機関や生活経路を推測できる情報を報道しました。該当記事の削除と訂正報道を求め、不正な撮影および個人情報の流出については、告訴の手続きを進めています」記者の1人が手を挙げた。「親子関係を否定されるわけではないんですね?」「子供の家族関係を公表する権限は、私1人にあるものではありません」「一ノ瀬紗月代表が、公表に反対しているということですか?」「その質問自体が、1人に責任を押しつける聞き方です。私も反対しています」蓮司はテーブルの下で両手を組んだ。会見の前、広報コンサルタントは『父親としての責任を強調すれば、世論は好転する』と助言した。子供を抱いた写真が1枚あれば、疑惑を抑えられるとも言った。彼は、その提案書を会見資料から外した。写真のない会見では報道効果が弱いという助言にも、従わなかった。世論を説得するために子供を見せなければならないのなら、その説得はしない。記者に渡した資料には、削除を求めた記事の一覧と、捜査の受理番号だけを載せた。「子供を桐生グループの継承構想と結びつけた内部文書は、私の同意なく作成されたものです。作成と流出の経緯は、外部の捜査機関に提出します」「桐生彰人専務の責任だとお考えですか?」「確認された事実だけをお伝えします」「経営権の放棄も検討していますか?」蓮司は、一度息を整えた。「子供を後継者と認めれば復帰を支援する、という提案を受けたのは事実です。断りました」会場がざわついた。質問が飛び交ったが、蓮司はそれ以上、家族関係を説明しなかった。同じころ、藤堂怜奈は藤堂グループ本社で、別の声明を出した。破談は桐生蓮司の一方的な決定であり、一ノ瀬紗月が介入した事実はない。政略的な婚姻を進める過程で、両家は過度な圧力をかけた
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第69話 後継者の席を空ける

取締役会の議案は、思った以上に露骨だった。『桐生蓮司の代表取締役復帰および直系後継者保護案』。子供を守るという見出しの下には、創立記念式典への出席、家族写真の公表、財団の信託への加入が、ひとまとめにされていた。議案の説明が終わるまで、蓮司は何も言わなかった。彰人が笑みを浮かべた。「市場の不安を収める、いちばん早い方法だ。家族の和解を見せて、お前が戻れば、株価も回復する」「子供に関する条項を削除してください」「なぜだ。自分の息子が恥ずかしいのか?」「会社とは関係のない未成年者です」取締役の1人が口を挟んだ。「会長の唯一の実子であれば、無関係とは言えないでしょう」「私の持つ株式も役職も、私のものです。子供に自動的に引き継がれる会社ではありません」「現実は、それほど単純ではありません」蓮司は用意していた書類を取り出した。1通目は、代表取締役の辞任届。2通目は、保有する議決権の一部を独立した信託に預ける契約書。3通目は、家族による継承ではなく、専門経営者を選任するための定款変更案だった。会議室が静まり返った。彰人の笑みが消えた。「何のつもりだ?」「私の復帰と子供の公表を、結びつけられないようにするんです」「自分から代表取締役を降りると?」「はい」「一ノ瀬紗月に言われたのか?」その質問は、予想していた。「一ノ瀬代表は、私の役職を決めていません。子供の名前を取引から外すことに、同意しただけです」「同じことだろう」「違います」蓮司は辞任届に日付を記した。「私が退くのは、一ノ瀬代表に捧げる犠牲ではありません。代表取締役の権限を利用した組織で、犯罪の疑いが生じた。私はそれを防げませんでした。調査中は職にとどまらないことが、責任だと考えます」社外取締役の1人が尋ねた。「では、経営権を桐生専務に
last updateLast Updated : 2026-09-29
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第70話 おばあちゃんという人

桐生雅子の手紙は、3枚あった。書き出しは、『私はあなたたちのために』だった。2段落目には、桐生家の嫁として紗月に足りなかった点が書かれていた。3段落目は、当時の経営権争いがどれほど深刻だったかという説明だった。謝罪の言葉が出てきたのは、最後だった。蓮司は最後まで読み、封筒に戻した。「これは、送らないでください」雅子が硬い顔で尋ねた。「どうして?」「謝罪ではなく、言い訳です」「私の立場も説明しなければ、理解してもらえないでしょう」「理解を求める資格はありません」雅子は窓の外を見た。桐生文化財団の理事長室はまだそのままだったが、机には辞任を求める文書が積まれていた。家族協議会の信託案が公になり、理事会からの辞任圧力も強まっていた。「あの子の顔を1度見たいと言うのが、そんなに大きな欲なの?」「1度会えば、次を望むはずです」「私の孫なのよ」「だから、待つ必要があるんです」「あなたは会っているのに?」その言葉には、すぐ答えられなかった。自分も無断で鑑定をし、家まで押しかけ、真っ先に権利を主張した。初めから、待つという姿勢を持っていたわけではない。「私も、条件を守って会っています」「その条件は、一ノ瀬紗月が決めたんでしょうね」「はい。子供の法定代理人ですから」雅子は唇をかんだ。「私は何をすればいいの?」「子供に会わせてほしいという文を消して、書き直してください。説明も、許してほしいという言葉も、なくして」「それじゃ、何が残るのよ」蓮司は封筒を置いた。「母さんがしたことと、謝罪の言葉です」雅子は、もう一度手紙を広げた。ペンを持てないまま、長く座っていた。その夜、湊は家族参加授業で使うものを作っていた。紙に家族の顔を描く宿題だった。ママをいちばん大きく描き、
last updateLast Updated : 2026-09-29
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