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74 Chapters

71. もう一度、戻るには

未来は眠りのなかにいたけれど、頭の上で響く低い振動と、耳元をくすぐる声を聞いたような気がした。その声が夢のように胸に刻まれると、未来は彼の肩に頬をもう少し深くうずめ、小さく微笑んだ。ジンヒも、重くなっていくまぶたには勝てなかった。未来の頭の上にそっと自分の頭を預けたまま、静かに目を閉じた。大きな木陰の下で、二人は互いに寄りかかり、春の日の夢を分かち合いながら眠りに落ちた。未来がまつげを震わせて目を開けた。最初に飛び込んできたのは広い男の肩、そして鼻先をかすめる石鹸の香りだった。「あっ……!」自分が彼の肩にもたれて深く眠り込んでいたことに気づいた瞬間、未来は勢いよく体を起こした。頬が破裂しそうなほど熱くなった。「すみません、先生! 私、寝ぼけてつい……肩、すごく痛いですよね?」ジンヒは、目を開けた瞬間からこらえていた優しい笑みを浮かべた。「全然。よく眠れましたか?」彼は未来の頭の上で少し傾いていた紙の帽子を、ちょんと整えてかぶせ直しながら付け加えた。「おかげで僕も、久しぶりに甘い夢を見ました」未来はすとんと視線を落とした。その甘い夢がどんなものだったのか、とても聞き返せないほど胸が高鳴っていた。「ちょっと待っていてください」ジンヒはコンビニへ駆けていった。しばらくして戻ってきた彼の片手には充電された携帯電話が、もう片方の手にはブラボーコーンが二つ握られていた。「次の機会が……思ったより早く来ましたね」「わあ、ブラボーコーンだ!」未来は両手で受け取り、子どものように笑った。ジンヒは携帯電話で車を呼び、画面を確かめた。「車が来るまで、十分くらいかかるそうです」紙の帽子をかぶったままベンチに座り、包み紙をむいてアイスクリームをかじる未来の姿は、まるで餌をついばむおとなしいひな鳥のようだった。ジンヒはその姿をじっと見つめた。もぐもぐと動く赤い唇があまりにもかわいくて、彼の目元が優しく細められた。そのとき、未来の下唇の端に、白いクリームがひとしずくついた。ジンヒが静かに上体をかがめて近づいてきた。ふわりと漂う石鹸の香りとともに、二人の距離が縮まった。このまま口づけされてしまいそうな、目のくらむような錯覚のなかで、未来は思わず息を止めた。けれどジンヒはごくゆっくりと手を伸ばし、親指で未来の下唇の端をそっとなぞった。
last updateLast Updated : 2026-11-02
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72. ディープブルー

車に乗り込むと、なかはひんやりするほど静かだった。運転手がルームミラー越しに、並んで座る二人をちらりと見ると、人懐っこい笑みを浮かべて声をかけた。「漢江デート、楽しまれました?」その瞬間、車内の空気が凍りついた。二人とも、同時に息を止めた。未来は自分の鼓動が運転手にまで聞こえてしまいそうで指先を丸め、ジンヒの視線も宙で止まった。「暑いでしょう? エアコン強めにしておきますから、寒かったらおっしゃってくださいね〜」運転手はよくある挨拶だったとでもいうように、また前方へ目を戻した。けれど彼が残した言葉は、透明な煙のように車内を満たしたまま、消えていかなかった。デート。ジンヒは、その一言が胸のいちばん深いところまで、ゆっくりと広がっていくのを感じた。僕たちは……他人の目には、恋人同士に見えるのか。そしてすぐに、デートという言葉そのものが、ひどく遠く、見慣れないものに思えた。最後に聞いたのがいつだったのか、思い出せなかった。それなのに、その見慣れない言葉を噛みしめるだけで、胸がじんとうずいた。今日一緒に過ごしたすべての瞬間が本当にデートだったのだと思うと、過ぎた時間があらためてあまりにも心地よく甘く感じられて、胸が詰まった。このまま別れたくなかった。この車が永遠に大峙洞に着かなければいいのに、という身勝手な思いが頭のなかを埋め尽くした。ジンヒは赤くなった顔を隠そうと、窓の外へ視線を向けた。なぜこれほどまでに、この女性と離れたくないのか、自分でも自分の心がわからなかった。未来もまた、窓に頭をもたせかけたまま、似たような思いに沈んでいた。デートに見えるんだ。最初は、他人の目がもたらしたただの気づきだった。けれど、すぐあとに押し寄せてきた感情が、未来を怖がらせた。そう見えることが、少しも嫌ではなかった。いや、正直に心の奥をのぞけば……他人にそう映るという事実が、たまらなく嬉しかった。ソンウンは一度も、こんな時間を贈ってくれたことがなかった。彼は自分の完璧なルーティンの外へ、一歩も踏み出さない人だった。紫外線を嫌って屋外で走ることさえ避け、未来がジョギングに出ると言えば、いつも素っ気ない小言が返ってきた。肌が傷むから、どうせなら室内で運動しろ、と。けれど、ユ・ジンヒは違った。彼は良才川の澄んだ空気のようで、漢江の温かな
last updateLast Updated : 2026-11-02
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73. ひと月ぶりの夫

診療が終わりかけた頃、何の前触れもなく診察室のドアが勢いよく開いた。「ジンヒさん、診療終わったでしょ? ご飯食べに一緒にうちに帰ろう」カルテを整理していたジンヒの手が止まった。昨日、漢江で未来を見送って帰ってきてから、ジンヒは全身のネジが一本ずつ緩んでしまったようだった。診療のあいだじゅう、頭に霧がかかったように集中が途切れ、カルテの上に何度も未来の顔が重なって見えた。ジンヒは眉間を押さえながら、低く答えた。「義姉さん、僕は今日はもう早く帰って休みます」「なんで? どこか具合悪いの? ジンヒさんらしくもない、どうしたのよ?」スヨンがたちまち目を光らせて近づいてきた。「あら、ピンときた、ピンときたわ。本当にあのかわいくてセクシーな人とうまくいってるの? いったいいつ会わせてくれるのよ?」ジンヒは何も答えず、ただカルテを整理した。スヨンの冗談の一つ一つが、心臓をちくりと刺してきた。彼はなんとか表情を取り繕うと、白衣を脱いで病院を出た。家に帰ったジンヒは上着を脱ぎ捨て、まっすぐマンションの共用プールへ向かった。胸のなかで広がっていくこの熱をどうにかして冷まさなければ、おかしくなってしまいそうだった。ザブン――!ジンヒの体が、冷たい水のなかへと潜り込んだ。彼は必死に腕をかいて、水を切り裂いた。胸が張り裂けそうなほど足を蹴り、前へ進んだ。激しく泳げば泳ぐほど、頭のなかが真っ白になってほしかった。けれど冷たい水は頭を空っぽにするどころか、かえって未来の残像でびっしりと埋め尽くすばかりだった。未来に、どうしようもなく会いたかった。新羅ホテルのプールで、子どものように賭けをして競い合ったあの日。デッキチェアに並んで寝そべり、いたずらに明るく笑っていた澄んだ顔。そして昨日、日差しのまぶしい漢江のベンチで、白い紙の帽子をかぶって見上げてきたあの顔まで。水をかくたびに、そのきらめく記憶のかけらが波となって、全身にまとわりつきながら追いかけてきた。ジンヒは止まらなかった。息が喉元までせり上がり、肺が焼けつきそうになるまで、取り憑かれたようにレーンを往復し、水を切り裂き、また切り裂いた。凄まじい疲労のなかでも、心臓を押しつぶす恋しさだけは、どんな水の流れでもついに洗い流せなかった。翌朝。台所では、ジョンレが新鮮なタチウオをさばいて
last updateLast Updated : 2026-11-02
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74. 青を見ると

同じ頃、病院の休憩室。退勤を前にコーヒーを飲んでいたジンヒの向かいに、スヨンがどさりと腰を下ろした。「ユ院長、一緒に帰ろう」「ええ、いいですよ」「それで。本当にかわいくてセクシーな彼女がいるの? ひと回りくらい年下とか? ちょっと教えてよ。一人でこっそり恋愛してないで」「義姉さん、もう聞かないでください。紹介ももう結構ですから」「ふーん、わかった」スヨンは納得したようにうなずいたかと思うと、何か思いついたのか、目を細めた。「でもさ、ジンヒさん。具合が悪かったとき、そのかわいくてセクシーな人とはもう知り合いだったの? じゃあ、どうしてそのとき面倒を見てくれなかったのよ?」ジンヒのコーヒーカップが、口元で止まった。それこそが、あの人だったのだと。降りしきる雨のなか、熱に浮かされた額を拭い、生姜茶をひとさじずつ口に運んでくれた人こそが、僕が心のすべてを捧げたあの女性なのだと。今すぐにでも言ってしまいたかった。けれどその真実は、この世の誰にも打ち明けることができなかった。ジンヒはかろうじて感情を抑え、コーヒーを一口飲んだ。「いるとは言っていませんけど」「何それ」スヨンは目を丸くして、愉快そうに笑った。「じゃあ、それって未来の架空の彼女だったってこと?」未来。その二文字がスヨンの唇から何気なくこぼれ落ちた瞬間、ジンヒは吸いかけた息を、深く整えなければならなかった。自分にとっては、心臓のすべてを揺さぶるたった一人の名前だった。それなのに何も知らないスヨンは、ただこれから訪れる先の日々という意味で使っていた。かえって幸いだった。けれどその安堵と同時に、胸の片隅が刃物で切られたように疼いた。以前なら、こうした家族の冗談は聞き流せる軽いものにすぎなかった。今は違った。何気なく投げかけられる質問の一つ一つが、隠した想いを刺し、傷を残して通り過ぎていった。「義姉さん、もうそこまで」「わかった、わかった。もう聞かない。駐車場でね」スヨンが笑い、ジンヒもつられて物悲しい笑みを浮かべた。誰にも打ち明けられない恋が、今日もまたジンヒの心のなかに一枚、重く積み重なっていった。玄関のドアが開いた。「パパ!」ソユンとジヌォンが、リビングを横切って同時に駆け出した。ひと月ぶりに顔を合わせたソンウンは、長い出張の疲れが顔にありありと浮
last updateLast Updated : 2026-11-02
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