Alle Kapitel von 沈むヨットで、婚約者に見捨てられました: Kapitel 11 – Kapitel 20

27 Kapitel

私の手を放した男

復元された映像は、無音で始まった。赤い非常灯の下で、白石澪が乗客の救命胴衣のベルトを締めていた。画面は激しく揺れていたが、顔はわかった。次の場面では、けがをした船長を支えていた。年配の女性を先にいかだへ乗せ、床に倒れた乗組員を起こしていた。鷹宮怜司の記者会見とは、正反対だった。「音声は?」澪が尋ねた。鑑識班の責任者が波形を拡大した。「風の音が強すぎます。人の声の帯域だけを分離しているところです」映像が一度乱れ、戻った。怜司が最後の救命胴衣を莉香に着せていた。澪の唇が動く。――私も、けがをしてる。かすかな声がよみがえった。続いて、怜司の声が聞こえた。――おまえは泳げるだろ。澪は膝の上の毛布を握った。記憶の中で繰り返されていた声が、スピーカーを通して、また病室に入り込んできた。北村雅彦は眼鏡を外し、机に置いた。黒瀬隼人は腕組みをほどき、画面の前へ一歩進んだ。映像は、最後の非常用ボートへ移った。澪が船から飛んだ。手がゴムの縁をつかんだ。乗組員が近づこうとすると、怜司が止めた。――一斉に動いたらひっくり返る!静止した画面には、乗っている11人と、前方の救助ロープが同時に映っていた。「海洋工学チームの再現結果も、添付してください」澪は言った。「怜司が私と入れ替わった場合と、救助ロープを使った場合。それぞれ検証を。危険度がどう変わるかも」「すでに依頼しています」隼人が答えた。画面の中で、怜司が身をかがめた。その手が、澪の手首をつかんだ。最初は引き上げようとしているように見えた。だがフレームが続くと、真実が現れた。親指で澪の人差し指を押し、指を一本ずつ縁から外していく。心拍モニターの数字が急上昇した。澪の手のひらに冷たい汗がにじみ、耳にはまた波音が響いた。隼人がすぐに再生を止めた。「ここまでにしましょう」「続きを」「医師には、安静が必要だと言われています」「法廷で何度再生されるかわかりません。今見られなければ、そのときも見られない」澪はゆっくり呼吸を数えた。目の前の病室と海の中を区別しようと、テーブルの角、窓の光、隼人の黒いシャツを順に確かめる。「私は今、病室にいます。映像は、あの日の記録です」自分に聞かせるように言って、リモコンを押した。画面の手が、また動いた。今度は目をそらさなかった。シーツを握りしめた
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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婚約で延命していた会社

事故から12日目。白石澪は病院の外出許可を取り、セーフオーシャン本社の21階へ向かった。医師には会議が終わったらすぐ戻るよう言われた。それでも、脇腹の固定具の上からジャケットを羽織った。長く立っていれば冷や汗が出て、エレベーターが揺れるたび床が傾く気がした。けれど病室に横たわったまま、誰かがまとめてくれる真実を待ちたくなかった。会議室の画面には、セーフオーシャン・キャピタルが鷹宮海運に貸し付けた資金と、担保の状況が映っていた。「現在の貸付残高は、50億円です」財務本部長の藤沢直樹が画面を切り替えた。「自動車運搬船『タカミヤ・フロンティア』を担保に43億円。クルーズ事業の準備資金として、さらに7億円を実行しています。最初の契約は3年前。返済期限は2度延長されています」最初の延長は、両家が婚約を発表した直後。二度目は、結婚の日取りを話し合い始めた月だった。「鷹宮海運の信用だけで延長したわけでは、ないんですね」過去の融資審査議事録には、結婚後、両社の物流・救助部門が統合される可能性が、例外承認の理由として記されていた。澪個人が保証人になったことはない。ただ、セーフオーシャンがいずれ鷹宮海運を取り込むだろうという期待が、数字の間に潜んでいた。澪が署名したのは、救助船の共同運用と安全教育に関する協定だけだ。返済期限の延長審査に、自分の縁談が使われたという報告は、一度も受けていなかった。怜司はいつも、愛情と仕事は分けろと言っていた。なのに両社は、澪の婚約を事実上の追加担保として扱っていた。議事録には澪の名が3度出てくる。それを本人に報告した者は、一人もいなかった。会議室の後方に座っていた白石正臣会長が、重い口を開いた。「延長を承認したのは、私だ」澪は父を振り返った。「おまえが怜司と結婚すれば、二つの会社は共に歩んでいく。そう信じた。おまえの縁談を経営判断に持ち込んだのは、私の過ちだ」父の顔に、怒りよりも先に恥が浮かんだ。事故後、初めて見る顔だった。「鷹宮が隠していた数字も、ろくに調べなかった。おまえが幸せになるという言葉で、自分の判断まで楽なほうへ流した」澪は議事録の角を指で押さえた。父の謝罪を受け止めるのは、今ではない。「謝罪はあとで聞きます。今は、同じ間違いを止めてください」再び画面へ視線を戻した。「資金繰りは?」「手元資金は12
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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出航させてはいけない船

整備報告書の原本を持ってセーフオーシャンに来たのは、鷹宮海運・技術管理部主任の宮田航平だった。会議室に入っても、しばらく鞄を手放せずにいた。持ち手を握る手に、汗がにじんでいる。「資料を持ち出したと会社に知られたら、すぐ首になります」白石澪は、水の入ったコップを彼の前へ滑らせた。「それでも来てくださったのは、なぜですか?」「死んでいたかもしれないからです」宮田の視線が、澪の脇腹の固定具に止まった。「あの日、乗っていた人たち全員が」彼は鞄から紙の書類と外部メモリーを取り出した。事故の12日前、マリーナは定期点検ではなく、緊急の状態検査を受けていた。右舷の操舵装置で油圧低下を繰り返し、船体の補強材の一か所には疲労亀裂も見つかっていた。整備業者の結論は明確だった。【外海での運航禁止。直ちに入庫し、修理することを推奨】「波が穏やかな港内の移動程度なら可能、と説明しました。外海へ出れば、操舵の反応が遅れるおそれがあると」「報告を受けたのは?」「技術管理室長、運航本部長、それから鷹宮怜司社長です」画面に電子承認の履歴が残っていた。怜司は報告書を読んで7分後に、「イベント終了後に整備」と記して承認していた。澪の手が止まった。事故のとき、最初の大きな波が通り過ぎたあと、船長は確かに減速しようとしていた。ところが船は予想より遅れて向きを変え、そのまま暗礁へ流された。セーフオーシャンの海洋工学チームが運航記録を入力して再現した結果も、同じだった。操舵装置が正常なら、暗礁から40メートル以上離れて通過できていた。事故時は、指示を出してから実際に舵が切れるまで、約7秒の遅れがあった。その間に突風が船尾を暗礁側へ押した。「亀裂が浸水を拡大させた可能性も高いです」専門家が船体図を指した。「直接の衝突相手は暗礁ですが、操舵系統の不具合が、衝突を避ける最後の機会を奪いました。出航させてはいけないと判断された理由が、そのまま現実になったんです」怜司は危険を知らなかったのではない。報告書を読み、そのうえで投資家の予定を選んだのだ。「船長にも、この内容は伝わっていましたか?」「要約版だけです。操舵系統に『軽微な圧力のばらつき』がある、という書き方で」「運航禁止の文言は、削られた?」「はい」宮田は唇をかんだ。「原本どおりにして再提出したんですが、翌日
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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消された報告書

保険会社に提出されたマリーナの安全報告書は、3ページだった。宮田航平が保管していた原本は、11ページ。白石澪は二つの文書を並べて表示した。原本にあった赤い警告文、操舵油圧のグラフ、船体の亀裂の写真。提出版では、それらがすべて消えていた。【外海での運航禁止】は、【後日の整備を推奨】へ。【緊急修理が必要】は、【運航後の点検が可能】へ。文書は、受け取る相手によって3種類に分かれていた。船長への要約版では操舵異常が軽く書かれ、保険会社への提出版では船体の亀裂まで消えていた。セーフオーシャン・キャピタルに渡された投資資料では、整備履歴そのものが「正常」とされていた。コンプライアンス部門の次長が、危険を示す文言の削除に反対した社内メールも見つかった。「事故が発生した場合、代表取締役の責任につながりかねない」と警告していた。返信は一行だけだった。【人事部と協議のこと。当該プロジェクトから外す】次長は翌日、地方事務所へ異動になり、報告書は経営企画室で書き直された。削除に反対した人を排除し、文書まで変える。組織的な隠蔽だった。澪は、引き返すよう求める船長を無視した怜司の顔を思い出した。先に反対意見を消す。そのやり方は、海の上でも同じだった。「単なる要約とは考えられません」セーフオーシャン・キャピタルのコンプライアンス責任者が言った。「意図的に危険度を低く見せています。しかも、この提出版が当社にも渡っていました」鷹宮海運は7億円の追加融資を申請した際、新規クルーズ事業の安全リスクは管理されていると説明していた。その根拠の一つが、改ざんされた報告書だった。「融資実行日は、事故の9日前です」藤沢直樹が低く言った。「原本を受け取っていたら、実行しませんでした」北村はファイルの変更履歴を拡大した。更新者は鷹宮海運・経営企画室の共用アカウント。最終保存は、事故の10日前の午後10時18分。承認者は鷹宮怜司社長。その翌日、7億円が実行されていた。ただ、電子承認の履歴だけでは、本人が内容を書き換えろと直接命じたかどうか、争いになる可能性があった。そのとき、宮田が追加提出した携帯のバックアップから、削除済みのメッセージが一件復元された。【「運航禁止」の文言を削除。亀裂の写真は除外。保険会社と金融機関に渡す資料だ。投資審査が終わるまで原本は共有するな。――鷹宮
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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50億円、返済してください

セーフオーシャン・キャピタルの独立リスク委員会は、午前9時に始まった。白石澪は利害関係者とされ、議決権を行使しなかった。最初の20分間で事故と資料改ざんの経緯を報告し、会議室を出た。「個人的な婚約解消は、判断材料から除外してください」最後に、そう伝えた。「鷹宮海運が契約を守ったかどうか。それだけを見てください」閉まったドアの向こうで質問が続いた。原本の真偽、電子承認記録、保険会社への提出版、追加融資との因果関係。外部弁護士と海洋安全の専門家が、それぞれ独立した意見を述べた。澪は廊下のソファで待った。会議開始から30分ほどたったころ、白石正臣会長に鷹宮征一郎会長から電話が入った。予定どおり結婚を進めてくれるなら、先に10億円を返し、残りは1年以内に整理するという。事故についての公開謝罪も約束した。「結局、結婚を返済猶予の条件にするのか」正臣が怒りを押し殺して言った。澪は、電話を代わろうとはしなかった。「委員会には伝えないでください」「おまえが嫌だと言えば、それで終わる話だ」「嫌だから断るのではありません。もう審議が始まっているからです。今交渉すれば、あとで私情によって条件を変えたと言われます」父には、通話の記録だけ残してほしいと頼んだ。征一郎の提案で、鷹宮海運が縁談を金融手段と見ていたことが、もう一度確かめられただけだった。始まった審査と引き換えにできる取引ではない。会議室では、委員の一人が同じ疑問を口にしていた。なぜ婚約解消の直後になって、リスク審査が始まったのか。外部弁護士は、記録装置の復元時刻と原本報告書の受領時刻を示した。審査の出発点は婚約が解消された日ではなく、新しい証拠が確認された日だった。黒瀬隼人が、温かい水を渡した。「緊張していますか」「いいえ」「昔から、嘘が下手ですね」澪はコップを受け取った。「50億円です。鷹宮海運は、揺らぐでしょうね」「揺らしたのは、常務ではありません」隼人の答えは簡潔だった。「危険な船を出した人です」1時間37分後、委員会のドアが開いた。委員長が、賛成6、反対0の全会一致という結果を読み上げた。鷹宮海運は重大な安全リスクを故意に隠し、虚偽の資料によって融資審査に影響を与えた。よって契約第47条第3項および第52条のクロス・デフォルト条項に基づき、残存債務全額の繰り上げ返済を
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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会社と俺たちは別だろ

繰り上げ返済の通知を受けた翌日、鷹宮怜司は澪が移ったリハビリ病棟まで押しかけてきた。今度は花も果物もなかった。病室のドアを開けた顔には、一睡もしていない様子がありありと出ていた。「みんな外してくれ」「それはできません」北村雅彦が先に止めたが、澪が手を上げた。「そのままいてください。私の法務代理人と、会社の同僚ですから」怜司は奥歯をかみしめた。「俺たち二人で話すことだ」「50億円が、私たち二人の問題だった?」彼はベッドの前まで来た。「会社と俺たちは別だろ。婚約を解消するのは、おまえの勝手だ。でも、なぜ会社まで潰す?」書類の封筒をベッドへ投げた。中には両家連名の謝罪文案と、書き直された結婚の日程表が入っていた。「表向きは、事故のショックで結婚を少し延期したことにしよう。おまえが記者の前で、俺たちの関係に問題はないと言えば、金融機関も時間をくれる。50億の通知だけ撤回してくれ」澪は一枚ずつ文書をめくった。謝罪文には、怜司が自分の手を放したことも、安全報告書を削除させたことも書かれていなかった。「予測困難な天候の悪化」と「不幸な行き違い」ばかりが繰り返されていた。「これが、あなたの言う謝罪?」「会社を立て直したら、ちゃんと謝る」「いつも、あとでなのね」「今すぐ結婚するのが嫌なら、婚約したままでもいい。互いの私生活には口を出さず、対外的にだけ」怜司は、それを大きな譲歩のように言った。澪は対外的な婚約だけ維持するという文を読み返し、封筒を閉じた。「あなたの言う『俺たち』に、私は最初からいなかった」日程表を半分に折り、封筒に戻した。それをベッドの端へ押しやった。「あなたの会社が、運航禁止の報告書を消した」「それは現場のミスだ」「あなたが削除を命じたメッセージがある」怜司の目が揺れた。「違法に入手した資料なら、何の効力もないぞ」「公益通報者が海保に提出したものよ。金融機関が受け取ったのは、正式な写し」「澪、企業がどう動いてるか、おまえだってわかるだろ。報告書の文言を少し整えただけで、今すぐ50億を回収するなんて、おかしい」「その文言は、『運航禁止』だった」「船は暗礁にぶつかったんだ。整備の問題と直接関係がある証拠はない」「操舵の反応が遅れた運航記録が出てる。船長は引き返すよう求めていた」怜司は一度黙り、声を落とした。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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最初の一隻

返済期限の14日間、鷹宮海運はあらゆるところに資金を求めた。メインバンクには期限前の融資を頼み、投資ファンドには株式を担保とした緊急融資を持ちかけた。鷹宮怜司は海外投資家に、クルーズ事業の持ち分を半分まで渡すと申し出たが、返事は同じだった。「事故調査の結果が出るまでは、難しい」安全リスクを隠していた事実が、金融業界に広がったあとだった。セーフオーシャン・キャピタルの50億円だけの話ではない。ほかの金融機関も、融資契約を見直し始めていた。メインバンクは、虚偽資料提出が確定すれば22億円の短期融資を直ちに回収できると通知した。船舶リース会社は2隻分の用船料の前払いを要求し、格付会社は見通しを「ネガティブ」に変えた。一つの契約違反が確認されると、ほかの債権者も一斉に動いた。怜司は、セーフオーシャンさえ説得すれば連鎖を止められると信じていた。だが問題は、もう二社の間を飛び越えていた。金融機関が問うていたのは、鷹宮海運に金があるかよりも、提出する報告書を信用できるかだった。莉香は毎日のように電話をかけ、自分を記事に出さないでと催促した。怜司は出なかった。彼女を守るために澪を置き去りにした男は、会社が揺らぐと、真っ先にその女から距離を取り始めた。返済期限の最終日、午後4時。鷹宮海運が用意できた現金は、17億3000万円だけだった。鷹宮征一郎会長は、本社18階の執務室で、財務担当役員の報告書を投げつけた。「船を一隻売ればいいだろうが!」「適正な価格で売るには、最低でも3か月かかります。今、投げ売りにすれば、担保価値の低下を理由に債権団が追加措置を取る可能性があります」「なら、セーフオーシャンに土下座しろ!」怜司が硬い顔で言った。「交渉の申し入れは3回送りました。澪は会おうともしません」「おまえは何をした? 会ってもらえると思っているのか!」征一郎の手が飛んだ。乾いた音が響き、怜司の顔が横を向いた。居合わせた役員たちが、一斉にうつむいた。「よりによって、なぜあの子に手を出した!」会長の怒鳴り声が壁に響いた。「婚約を解消されるだけなら、別の金融機関を探せた。人を海に捨てたうえに、報告書まで改ざんだと? 会社まで巻き込んだのは、おまえだ!」「父さんは、俺が死ねばよかったと言うんですか」「自分の代わりに婚約者を死なせかけた人間が、言えることか
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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白石澪の復讐劇

タカミヤ・フロンティアが止められた翌日、ニュースサイトのトップに白石澪の名が並んだ。【婚約破棄された令嬢、50億円の復讐】【愛が終われば債権回収――企業乗っ取り疑惑】【セーフオーシャン、鷹宮海運の買収が狙いか】記事には、匿名の「金融関係者」が登場した。澪は婚約中には経営不振を黙認していながら、解消直後に豹変し、個人的な感情で独立リスク委員会を動かしたという内容だった。鷹宮海運が流した資料だった。広報代理店は、同じ文を少しずつ変えた投稿を、いくつもの掲示板にばらまいた。「婚約者の嫉妬」「初恋相手をめぐる三角関係」「50億円で男を制裁した令嬢」。刺激的な言葉が、契約条項と安全報告書を押しのけていった。澪の救助経歴まで特別扱いの産物とされ、病院で撮られた後ろ姿の写真には、「平気で歩き回っている」と説明がついた。生存者の一人が澪を擁護する投稿をすると、身元がさらされた。鷹宮海運と金銭のやり取りをして証言しているのだと悪質な書き込みを受け、結局、その人は投稿を消した。澪は届いた謝罪のメッセージを読んだ。【常務が妻を先に乗せてくださったのに、最後まで言い続けられず、申し訳ありません】澪はすぐに返した。【まず、ご家族を守ってください。証言は捜査機関にしていただくだけで十分です】これ以上、生存者の身元をさらさせるつもりはなかった。映像についても、証言に頼る前に、封印記録と鑑定結果を示すつもりだった。過去の澪と怜司のメッセージまで、一部が公開された。結婚式の予定や家族のことで言い争った部分だけ、巧妙に切り取られていた。【もう、あなたのやり方には合わせない】8か月前に澪が送った文が、ずっと前から会社を潰す計画を立てていた証拠のように使われた。セーフオーシャンの顧客窓口には抗議が殺到した。株価は取引時間中に6%以上下落し、救助事業の入札の公平性まで疑う記事も出た。白石正臣会長が、会議室の机をたたいた。「今すぐ名誉毀損で訴えろ」澪は、記事の出所と拡散経路を示した報告書をめくった。「訴えます。ただ、反論文だけでは相手が作った構図の中で戦うことになります」「それなら、何をまだ待つんだ?」「怜司に、もう少し話してもらおうと思って」折よく、電話が鳴った。鷹宮怜司だった。澪はスピーカーにして出た。法務が自動録音を開始した。「記事、見ただろ?」怜
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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生き残った者の記者会見

記者会見場には、予定の倍の人数が集まった。放送局の中継車が本社前の道路を埋め、ライブ配信の待機者は、開始前から10万人を超えていた。白石澪は控室の鏡の前で、脇腹の固定具を締め直した。シャツの下に隠しても、動くたびにジャケットの片側がわずかに浮いた。法務は、映像をどこまで公開するか、最後まで意見が割れた。指を外す場面は捜査上の証拠であり、衝撃が強く、澪への二次被害を招きかねない。一方で、前半だけを公開すれば、怜司がまた「救助中の避けられない事故」と歪める可能性も高かった。澪は、同じボートの生存者たちに先に連絡した。一般乗客の顔と、同意の得られない声は伏せることにした。澪をつかもうとした乗組員からは、短い返事が来た。【常務が大丈夫なら、公開してください。あの日、最後までつかめなかったことを、毎日後悔しています】その文を読んで、澪はしばらく返事を書けなかった。ボートで動けなかった人たちまで、怜司と同じ罪を犯したわけではない。恐怖の中でも手を伸ばした人と、その手を止めた人は、明確に分けなければならなかった。「場面の順序は変えません」澪は最終判断を伝えた。「同意の取れていない顔と声だけを伏せてください。原本は鑑定書とともに捜査機関へ提出済みだと明記してください」黒瀬隼人が、低めの椅子を運んできた。「座って話してもいいんですよ」「倒れたら、受け止めてください」「そのつもりで、ここにいるわけではありません」ぶっきらぼうな返事に、澪はほんの少し笑った。午前10時ちょうど。澪は壇上に立った。フラッシュが一斉にたかれた。質問の時間になる前から、記者たちが声を上げた。「私情による融資回収ではありませんか?」「鷹宮海運の買収を進めているのでしょうか?」「事故当時、安全責任者だったという主張は事実ですか?」澪は用意した原稿を開かなかった。「まず、事実関係からお話しします」スクリーンに、招待状の原本と、鷹宮海運が事故後に変更した資料が並んだ。「私は、この船について安全助言の契約を結んだことはありません。当日も引き返すよう求めました。鷹宮海運は事故後、私の出席資格を『運航安全統括責任者』に変更しています」ファイルの更新時刻と、アカウント情報が公開された。続いて北村雅彦が、50億円の繰り上げ返済要求の手続きを説明した。独立委員会の全会一致の決議、
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おまえは泳げるだろ

映像は、船が暗礁に衝突した直後から始まった。画面の中の白石澪は、血の流れる脇腹を片手で押さえ、乗客を誘導していた。倒れた人を起こし、救命胴衣を着せ、最後まで人数を数えていた。会見場の誰も、質問しなかった。ライブ配信のコメントだけが、速い勢いで流れた。【安全責任から逃げたって話だったのに、救助を指揮してるの澪じゃん】【自分は着ないで救命胴衣を譲ってる】【鷹宮海運の発表と全然違うんだけど】最初のいかだが下ろされた。画面の端に、鷹宮怜司と一ノ瀬莉香が現れた。怜司はずっと、莉香の肩を抱いていた。客席の後方にいた年配の投資家が、口を手で覆った。映像の中で澪が真っ先に救命胴衣を着せた人物だった。妻が隣で、静かにその手を握った。「あのとき、白石常務が自分の分を私に譲ってくれたんです」周囲の記者にも届く、低い声だった。映像には、澪が浸水区域から引きずり出した社員も映った。彼は松葉杖をついて会場に来ていた。鷹宮海運の発表では「現場の統制に失敗した安全責任者」。だが実際の澪は、ほかの人を数えるあまり、自分の順番を後回しにし続けていた。まだ世に出ていなかった場面を見て、怜司は初めて、自分がどう映るかを計算した。あのときは、澪なら自力で逃げられると信じていた。何度もそう言い聞かせてきた。だが画面は、それが事実ではなく言い訳だったことを示していた。血のついたシャツも、上がらない左腕も、彼は見ていた。見たうえで、莉香の救命胴衣を締めた。映像には、澪の傷を見て目をそらした瞬間まで残っていた。最後の救命胴衣を持った乗組員が近づいた。怜司が受け取り、莉香に着せた。音声が明瞭になった。――私も、けがをしてる。画面の澪が言った。――わかってる。怜司が答えた。――なら、どうして莉香さんに渡すの?――莉香は泳げないんだ。記者たちの間から、低いため息が漏れた。澪の白いシャツは、すでに血に染まっていた。一方、莉香は自分で歩き、両腕も自由に動かしていた。――私は、血が出てるの。――救助隊はすぐ来る。――遭難信号が届いたかどうかさえ、確認できてない。怜司の顔が、カメラの正面に映った。そして、あの言葉が出た。――おまえは泳げるだろ。キーボードをたたく音まで止まった。澪はマイクのそばで、呼吸を数えた。今度は、一人で聞く言葉ではなかった。コメント欄が、一瞬
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