愛も、復讐さえも、置いていくことにした의 모든 챕터: 챕터 11 - 챕터 19

19 챕터

第11話

封筒の中身は、離婚届受理証明書の写しだった。和久は、役所の公印が押されたその書類を見つめたまま、丸1分、身動きひとつしなかった。やがて彼は書類を床に叩きつけ、掠れた声で叫んだ。「偽物だ。こんなもの、偽物に決まっている!」自分は離婚に同意していない。それなのに、彼女が一方的に離婚などできるはずがない。彼は身をかがめて書類を拾い上げ、震える手で内容を確かめた。届出人、須賀江津子。受理年月日、3日前。その文字を目にした瞬間、和久の呼吸が止まった。そこには、家庭裁判所での離婚調停が不成立となったあと、江津子が離婚訴訟を提起し、離婚を認める判決が確定したこと、その後、江津子から離婚の届出がなされたことが記されていた。「そんなはずは……」和久は呆然と呟いた。「俺は何も同意してない。どうして離婚が成立してるんだ」だが次の瞬間、以前から何度も届いていた家庭裁判所からの書類が脳裏をよぎった。江津子が離婚を申し立てたあとも、和久はまともに取り合わなかった。調停期日の通知が届いても、「どうせ本気じゃない」と目を通さず、出席もしなかった。調停が不成立となり、その後、訴訟に移ってからも同じだった。裁判所から送られてきた書類を、彼はろくに確認しようともしなかった。その結果、自分が無視している間にも、手続きは着々と進んでいたのだ。さらに、江津子の手元には、これまでの経緯を裏づける記録が揃っていた。彼が長年、妻を顧みず、家庭のことを放置してきたこと。麗子を優先し続け、江津子に不当な扱いを重ねてきたこと。そして、彼自身が署名した誓約書まで証拠として提出されていた。それらが、婚姻関係がすでに破綻していることを示す事情として積み重ねられていたのだ。彼女はとうの昔に、見切りをつけていた。自分が気づかなかっただけだ。「江津子……ハ……ハハ」和久は椅子にくずおれ、やりきれない笑いを漏らした。「お前も容赦のない女だな」ふと、ひとつの考えが頭をよぎった。まさか、この5年間の従順さも、献身も、自分のために銃弾の前へ飛び出したことさえも、すべてこの日のためだったのか。自分が十分な「過ち」を重ね、彼女が何もかも捨てて堂々と去っていける、そのときを待っていたというのか。離婚届受理証明書の写しを引き裂こうとし
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第12話

混乱の中、麗子は寮から半ば強引に須賀家へ連れてこられた。扉をくぐった瞬間、和久の母に激しく頬を叩かれた。「このあばずれが!全部あんたのせいよ!」「人の夫を誘惑してよその家庭を壊して、今度は和久の前途まで台無しにして!」「許さないわ!」母や親族の女性たちが一斉に群がり、髪を引っ張り、頬を叩き、爪を立てる。麗子は悲鳴を上げながら床にうずくまり、顔にはたちまち血のにじむ傷がいくつも走った。和久はその光景を冷ややかに見つめたまま、止めようとはしなかった。ふいに、すべてがひどく滑稽に思えてきた。5年前、自分は江津子と結婚すれば麗子を守れると思っていた。家族も満足させられると思っていた。5年後、自分は麗子のために何度も江津子を傷つけ、結局すべてを失った。そして、あれほど守らなければと思っていたはずの女は、今、道化のように床の上で泣きわめいている。「もういい、やめろ……っ」和久が掠れた声で言った。全員が手を止め、彼を見た。「出ていかせろ」彼は疲れきった声で言った。「今日からもう、須賀家とも俺とも何の関係もない」麗子は泣き叫びながら引きずり出され、その叫び声が遠ざかっていった。和久は階段へ向かった。母が背後から呼びかける。「和久、どこへ行くの!これからどうするつもりなのよ!」彼は答えなかった。かつて江津子と共に暮らした官舎へ戻り、あの小部屋に足を踏み入れた。初めて、きちんとこの部屋を見回した。狭く、簡素な部屋だった。クローゼットには彼女がよく着ていた服が数着かかり、机の上にある化粧品は安物のクリームだけ。枕元には使い込まれて古びた医学書が1冊置かれていた。それは彼女の母の形見だった。和久はその本を手に取り、見返しを開いた。そこには流れるような筆跡でこう記されていた。【江津子へ。あなたの人生に愛と自由がありますように。母より】彼は、かつて彼女の母親の辛い過去を持ち出して脅したことを思い出した。麗子に母の形見のスカートを切り裂かれたとき、江津子が見せた絶望に満ちた表情も。寒空の下で膝をつきながら、「私じゃない」と震える声で訴えていた姿も。胸をえぐられるような後悔に、彼は体を折り曲げた。ふと、本の下から折り畳まれた書類が覗いているのが目に入った。取り出してみると、診
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第13話

その後の3日間、和久は知人やかつての部下を通じ、これまでの出来事をひとつずつ洗い直した。最初の報告が届いたとき、彼はひとり執務室に座っていた。「隊長、5年前のあの発砲事件ですが、おかしな点がありました」電話の向こうの声は重かった。「当時の事件関係者にたどり着きました。本人が、すべて話したそうです」和久の手が止まった。「……どういうことだ」「もともとは、空包を使って隊長を脅すだけの狂言だったそうです。本当に人を撃つつもりはなかった」一瞬、部屋の空気が止まったように感じられた。「つまり、あの事件は最初から仕組まれていたということです」相手は続けた。「梅野麗子氏も最初から銃が空包だと知っていた。だからこそ、あのとき隊長を庇う真似ができたそうです。ところが事件の直前、梅野氏が混乱に乗じて弾倉をすり替え、実弾を装填したと供述しています。須賀江津子先生が隊長を庇って撃たれたのは、完全に想定外だったそうです」録音された供述が再生された。震える男の声が流れてくる。「梅野が言ったんです……須賀江津子さえ死ねば、須賀和久は自分と一緒になってくれるからって……全部終わったら、1万円払うって……」和久の手から、持っていたマグカップが床に落ちた。2つ目の報告は、雪の日の一件についてだった。官舎の田中は事情を尋ねられ、ついに本当のことを話した。「あの日は……本当は梅野さんが自分から庭に出て、跪いたんです。私に声をかけてきて、須賀先生にやらされたことにしてほしいって……断ったら、夫の仕事に響くようにしてやるって脅されました。須賀先生はあのとき小部屋で寝ていて、何が起きているかなんて、まったく知らなかったはずです」3つ目の報告は、研究論文についてだった。当時、病棟には夜勤の看護師がいた。その看護師の話では、麗子は和久が不在のとき、勝手に作った合鍵を使って何度も江津子の研究室に入っていたという。そして、「異動した」と聞かされていた当直看護師も、改めて事情を確認した結果、麗子から虚偽の証言をするよう頼まれていたことを認めた。4つ目の報告は、「外傷治療体系」の盗用についてだった。いわゆる仲介役は、麗子の従兄だった。彼は麗子に頼まれて仲介役を装い、蒲生博士の研究成果を彼女に渡したうえ、「江津子が
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第14話

「説明しろ」和久はただ、それだけ言った。「それは、その……私、あなたのことを愛しすぎたのよ!」麗子は泣きながら膝をついた。「あなたがあの人に優しくするのを見て、嫉妬して……ただ、もっと私を可愛がってほしかっただけなの!」「愛、だと?」和久は笑った。だがその目は完全に凍りついていた。「お前は最初から、あの強盗事件が俺の仕組んだ狂言だと知っていた。『犯人』の銃が空包だったこともな。だからこそ、あのとき俺を庇う真似ができたんだろ。それなのに、お前は実弾にすり替えて、あいつを殺そうとした。それのどこが愛なんだよ」麗子の体が、びくりと震えた。「あいつの研究成果を盗んで、自分の名前で発表した。それが愛か。蒲生博士の研究を盗用しておいて、それをあいつのせいにして陥れた。それが愛か。梅野麗子」和久は身をかがめ、冷たい目で彼女を見下ろした。「そんなものを愛だって言うなら、反吐が出る」麗子は完全に崩れ落ちた。「全部、あなたのためにやったのよ!あなたがいつまでも私への愛を認めてくれないから、こんなことをするしかなかったの。和久さん、本当に好きなのは私のはずでしょう!」「俺が好きだったのは5年前の、純粋で優しかった麗子だ」和久は冷ややかに言った。「人の命まで奪おうとするような今のお前じゃない」「か……和久さん……」麗子の顔が恐怖に歪んだ。和久は振り返り、冷たく言い放った。「庭へ連れていけ」「嫌よ!和久さん、お願い!私の話を聞いて!」麗子は泣きながら彼の腕にすがりつこうとした。和久はその手を振り払った。「庭に跪くのが好きだったんだろう」凍てつく夜気の中、彼は冷たい目を向けた。「なら、そこで跪いていろ。俺がいいと言うまで立つな」その夜、気温は氷点下5度まで下がった。麗子は薄着のまま、かつて江津子が跪かされた場所に跪き、最初は泣き叫びながら許しを乞うていた。だが、その声は次第に弱くなり、やがて意識を失った。翌朝、倒れている麗子に気づいた住人が救急車を呼び、彼女は病院へ運ばれた。診断は両下肢の重度の凍傷だった。組織の壊死が進んでおり、両脚を切断する必要があるという。和久がその知らせを聞いたのは、ちょうど西京市の大学病院から届いた江津子の手術経過についての連絡を読んでいたと
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第15話

江津子は、病院で1カ月の療養生活を送った。記憶の欠落は、思ったほど彼女を苦しめなかった。靖子は、脳の手術の影響でここ5年間の記憶が抜け落ちているものの、体は少しずつ回復していると教えてくれた。どうやら江津子の記憶は、まだ結婚する前の、旧姓の山谷(やまや)江津子だったころで止まっているらしい。「忘れたのはどうせ嫌なことばかりよ」靖子はいつもそう言った。「今のままで、ちょうどいいの」江津子はその言葉を信じた。心の奥底を探っても、悲しみも後悔も何ひとつ見当たらなかったからだ。あるのはただ、重い荷物を下ろしたような肩の軽さだけだった。その日の午後、病室で本を読んでいると、靖子が少し興奮した様子で扉を開けて入ってきた。「江津子、お客様よ」顔を上げると、靖子の後ろに品のいい雰囲気をまとった初老の男性が立っていた。仕立ての良いスーツに身を包み、整った顔立ちで穏やかな笑みを浮かべている。「山谷先生、こんにちは」男性は丁寧な口調で言った。「西京医科大学医学部の蒲生康夫(がもう やすお)と申します」江津子は戸惑い、靖子のほうを見た。靖子が慌てて説明する。「こちら、蒲生先生。医学界ではとても有名な先生なの。あなた、手術の前に先生たちを助けたのよ」康夫はベッドの脇まで歩み寄り、心をこめて言った。「山谷先生、お礼を申し上げに参りました。あなたが手術前にすべて手配し、同僚の方を通じて完全な救急対応計画を関係部署へ届けてくださらなければ、本部長の視察に大きな支障が出ていたでしょう」彼は鞄から上品な封筒を取り出し、両手で差し出した。「これは、私どもからのお礼とご提案です。どうぞお受け取りください」封筒の中には、医学研究所の特別研究員としての招聘状と、西京医科大学客員教授への招待状が入っていた。江津子はそれらを見つめ、まだどこか戸惑いながらも礼儀正しく受け取った。「ありがとうございます、蒲生先生」「いいえ、お礼を申し上げるのはこちらのほうです」康夫は微笑んだ。「あなたは非常に勇気があり、優秀で専門性の高い医師だと伺っています。完全に回復されたら、ぜひ私たちと一緒に研究をしていただきたい。できる限り良い環境をご用意します」彼はしばらく留まって回復の様子を尋ねたあと、礼儀正しく辞去した。病室の扉が
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第16話

「江津子……っ」和久の声は震えていた。「お前、俺を覚えていないのか……」江津子はかすかに眉をひそめ、靖子のほうを見た。「靖子、この方は?」靖子は和久を冷ややかに一瞥し、江津子に言った。「どうでもいい人よ。行きましょう」「待ってくれ!」和久は車の前に立ちふさがった。目は血走っていた。「江津子、俺は須賀和久だ。お前の夫だ」「夫?」江津子はその言葉を繰り返した。眼差しはやはり静かなままだった。「申し訳ありませんが、覚えていません。それに、今の私は独身なのでしょう?」彼女は手提げからあの離婚届受理証明書を取り出し、彼に見せた。和久はその書類を見つめ、言葉を失い、絶望に顔を歪めた。「それは……俺はまだ納得していない」彼は支離滅裂に言った。「江津子、もう一度やり直さないか。俺が悪かった。本当に自分の過ちはわかってるんだ」江津子は書類をしまいながら、相変わらず淡々とした口調で言った。「あなたと私の間に何があったのか、私自身の記憶には残っていません。ですが、すでに離婚しているということは、その関係が良いものではなかったということでしょう。過去のことは過去のこととして、私は別の道を歩みます」そう言い終えると、靖子に目で合図した。和久は狂ったように車のドアを掴んだ。「だめだ。行かせない!江津子、俺の話を聞いてくれ!」「何を説明するというんです」江津子はようやく彼を見た。眼差しはやはり静かだった。「別の女性のために、何度も私を傷つけたこと?母の過去を持ち出して、私を脅したこと?私の仕事までめちゃくちゃにして、犬のことで寒空の下に跪かせたこと?今さら、何を説明するつもりなんですか」和久の全身が、びくりと震えた。「お……お前、思い出したのか……」「いいえ」江津子は淡々と言った。「私自身の記憶としては残っていません。ですが、それらのことは全部靖子が教えてくれました。診療記録も、証言記録も、残っていた書類も。すべて見せてもらいました」彼女は少し間を置き、ため息のように小さな声で言った。「須賀さん、あなたとのことを覚えていない今の私には、あなたはもう、どうでもいい人なんです」その一言は、どんな憎しみよりも残酷だった。憎しみには、少なくとも関心がある。だ
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第17話

その日から、和久は生ける屍のようになりながらも、頑なに江津子の西京市での仮住まい近くに居座り続けた。そこは静かな古い家屋で、落ち着いた佇まいだった。和久は向かいに小さな平屋を借り、毎日窓辺に立って、暖かな黄色い明かりが灯るあの窓を見つめていた。彼は不器用に、かつて彼女がしていたことを真似し始めた。毎朝7時、西京市の老舗和菓子店に通い、彼女が昔好んでいたものに似た和菓子を買っては、近所の人に頼んで届けてもらった。毎回、手つかずのまま突き返されたが。彼女がかつて好んでいた白いバラを毎週1束届けさせ、手書きのカードを添えた。そこには【すまない】と一言だけ。カードに返事が来ることは、一度もなかった。彼女がリハビリをしていると聞き、評判の医師を探して紹介しようとしたが、靖子に門前払いされた。「和久、いい加減にして」靖子は電話口で冷たく突き放した。「江津子は今、とても元気にやってる。あなたの今さらの気遣いなんて必要ないの」「俺はただ、償いたいだけで……」「償う?」靖子は笑った。「今のあなたに何ができるの?仕事も失って、自分の生活だってままならないんでしょう。今あなたが花を買うお金だって、誰かに借りてるんじゃないの?」和久は黙り込んだ。靖子の言う通りだった。懲戒審査の結果、和久は懲戒免職となり、退職手当も支給されなかった。両親は郷里の実家へ戻った。今借りている平屋の家賃さえ、元同僚から借りた金で払っていた。かつて威勢を振るった隊長は、今では飼い主を失った野良犬のように落ちぶれていた。だが、彼は構わなかった。遠くからでも彼女を見ていられるなら、いつか償う機会があるなら、他には何もいらないと思っていた。ある日、郷里の母から電話がかかってきた。声は疲れきり、ひどく老け込んで聞こえた。「和久、いつ戻ってくるの?お父さんは怒りと心労で倒れてしまって、入院費だって大変なのよ」和久は受話器を握りしめたまま、視線は相変わらず向かいの窓に注がれていた。「……母さん、すまない」彼の声は掠れていた。「今は、戻れない」「あの女のためにか!」母の声が甲高くなった。「あの女のせいで、あなたはこんなふうになったのに、まだあの女のことを考えてるのか!和久、正気なの!?」「俺が彼女をあんな目に遭わせたん
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第18話

翌朝、和久はついに我慢できなくなり、出かけようとする江津子を呼び止めた。彼女はクリーム色のコートを着て淡いグレーのマフラーを巻き、手には医学のノートを持っていた。これから医学部へ向かうところのようだった。「江津子」和久は彼女の前に立ちはだかった。目は血走っていた。「昨夜のあの男は……青柳誠司か」江津子は目を上げ、落ち着いた表情で言った。「そうです」「お前はあいつと付き合っているのか?」「あなたには関係ありません」江津子は彼を避けて通り過ぎようとした。和久は彼女の手首を掴んだ。「どうして関係ないんだ!俺たちは5年も夫婦だったんだぞ!」「今はもう違います」江津子は手を振りほどき、鞄から離婚届受理証明書を取り出した。「須賀さん、念のため申し上げますが、離婚を認める判決はすでに確定しています。届出も済んでいます。私たちはもう夫婦ではありません」「でも俺は、あんな離婚に納得していない!」「あなたが納得しているかどうかは、もう関係ありません」江津子ははっきりと言った。「あなたが署名した誓約書も、これまでの経緯を示す記録も、裁判では証拠として提出されています。これ以上私につきまとうのであれば、警察と弁護士に相談します」和久は言葉を失った。「それに」江津子は彼を見つめた。眼差しは落ち着いていた。「私は独身です。誰と付き合おうと、あなたに口を出される理由はありません。たとえ離婚していなかったとしても、誰と付き合うかは私自身が決めることです。あなたも当時、麗子と堂々と一緒にいたのでしょう?」その言葉は刃物のように和久の心臓に突き刺さった。「あれとは違う。俺と麗子は何もなかった……」「あったかどうかは、ご自分がいちばんよくご存じでしょう」江津子はもう彼を見なかった。「過去のことはもう私の中では終わっています。あなたも手放して、新しい生活を始めてください」彼女が背を向けて歩き出そうとすると、和久は再び彼女を呼び止めた。声はほとんど懇願するようだった。「江津子、もう一度だけ機会をくれ。一度だけでいい。残りの人生をかけてお前を大事にする。誓うから!」「要りません」江津子の声には波ひとつなかった。「それに、私にはもう新しい生活があります」言い終わるかどうかというとこ
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第19話

和久が郷里へ去ったあと、江津子の生活は穏やかさを取り戻した。誠司は本当に彼女に良くしてくれた。彼女の選択を尊重し、仕事を支え、リハビリの間も細やかに気遣ってくれた。いずれ結ばれるのだろうと、周囲の誰もが思っていた。靖子でさえ、こっそり尋ねたことがある。「江津子、青柳さんがあんなに良くしてくれてるのに、考えてみない?」江津子は研究論文を書いていた手をふと止めた。彼女は顔を上げ、窓の外、庭に芽吹いたばかりのハナカイドウを見つめながら小さく言った。「靖子、あのとき誠司に迎えに来てもらったのは、ただ和久にきっぱり諦めてもらうためだけだったの」靖子ははっとした。「……じゃあ、あなたは青柳さんのことを……」「感謝してる」江津子は微笑んだ。「でも、感謝は愛じゃない。それに」彼女はペンを置き、澄んだ揺るぎない眼差しで言った。「ひとりでいるのも、悪くないでしょう?」死線をくぐり抜け、息の詰まるような結婚生活から抜け出して、彼女はようやく理解していた。愛は、決して人生のすべてではない。自分の人生の中心にいるのは、自分自身なのだ。その後の2年間、江津子はすべての力を仕事に注いだ。彼女は正式に康夫の招きを受け、医学部の研究チームに加わった。並外れた才能と研究者としての鋭い勘によって、彼女は次第に医学界で頭角を現していった。そして3年目、彼女は「外傷組織修復に関する新規治療法」の研究により、医学界で最高峰とされる医学賞を受賞した。授賞式は西京市で開かれた。江津子は純白のスーツ姿で壇上に立ち、スポットライトの下、堂々と自信に満ちた笑みを浮かべていた。「この賞は、絶望の中からもう一度立ち上がろうとした、すべての人に捧げたいと思います」彼女はトロフィーを手にしたまま客席を見渡した。「誰かのためではなく、自分自身の人生を生きることを選んだ、すべての女性に」会場に大きな拍手が響いた。カメラは彼女の目尻にきらりと光るものを捉えていたが、その笑顔は最後まで明るかった。その後、「山谷江津子」という名前は、独立と強さ、再生の象徴として、多くの女性に知られるようになった。けれど彼女自身は何も特別なこととは思わず、ただ静かに自分の研究と生活を続けていた。時折、靖子が郷里の近況を伝えてくれ
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