麻倉優香が父の異変に気づいたのは実家で夕食を取っているときだった。 食卓には焼き魚と味噌汁。それに母の祐実が作った煮物が並んでいる。優香は仕事のことを考えながら箸を動かしていたが、向かいに座る父の光司が妙に気になって顔を上げた。 光司が母を見つめていた。 祐実が小鉢に手を伸ばすと視線がそちらへ動き、髪を耳にかければ顔へ戻る。何かを観察しているようだった。 やがて祐実が顔を上げた。光司と目が合う。 その瞬間、光司は慌てて味噌汁へ視線を落とした。何事もなかったように椀を持ち上げたものの、口をつけるまでに妙な間がある。 優香は箸を止めた。 「お父さん」 「ん? どうした」 「さっきから何を見てるの?」 「何を?」 「お母さん」 祐実が手を止めた。光司は一瞬だけ妻を見てから優香へ向き直る。 「別に何もない」 「いや、ずっと見てたじゃん」 「見てないだろ」 「今もお母さんの方を見たよね」 「見てないって」 光司は否定しながら箸を持ち直した。焼き魚をほぐそうとして身を崩し、結局ほとんど手をつけないまま皿の端へ箸を置く。 祐実が夫を横目で見た。 「光司さん。何かあるの?」 「いや、本当に何もないから」 「そう?」 「そうだよ」 返事が早すぎる。 優香は父の顔を見つめた。光司はもともと口数の多い人ではない。祐実との会話も必要なやり取りが中心で、用件が済めば新聞を読んだりテレビを見たりする。夫婦仲が悪いわけではないが、長年一緒に暮らしてきた二人には余計な言葉を交わさなくても通じるものがあった。 少なくとも、これまでの父は母の一挙一動を目で追うような人ではなかった。 「この煮物おいしいね」 祐実が小鉢を置きながら笑った。 「今日は味付けを少し変えてみたの。どう?」 「うん。おいしいよ」 光司の返事は普段と変わらない。ところが祐実が嬉しそうに目を細めると、光司の表情までぱっと明るくなった。 優香は危うく箸を落としかけた。 父がこんな顔をするところを、いつ以来見ていないだろう。褒められた子供のように口元を緩め、目尻まで柔らかくなっている。祐実が食事を続けている間も、光司は妻の表情を確かめるようにちらちらと視線を向けていた。 優香が見ていること
Last Updated : 2026-10-30 Read more