LOGIN父の光司が母の祐実に対して妙に優しくなったのは、それから数日後のことだった。
仕事から帰ってきた光司は紙袋を手にしていた。リビングでくつろいでいた優香が顔を上げると、父は袋を持ったまま台所へ向かい、夕食の支度をしている祐実のそばへ立った。 「これ。好きだっただろ?」 光司が差し出したのは和菓子屋の紙袋だった。中には祐実が以前から好んでいる菓子が入っているらしい。 「あら、どうしたの?」 「帰りに見かけたから買ってきたんだ」 「覚えててくれたの? ありがとう」 祐実が笑顔を向けると、光司の顔が一気に明るくなった。 「いや、まあ。たまにはな」 照れくさそうに頭をかく父を見て、優香は手元のスマホを持ち直した。 今の反応は記録しておこう。 菓子を買ってきたこと自体は何もおかしくない。長年連れ添った妻の好みを覚えているのも自然なことだ。問題は、礼を言われた瞬間の光司の様子だった。まるで予想以上のご褒美をもらったかのように、頬が緩みきっている。 祐実が紙袋を開けて中身を確かめている間も、光司はそばを離れなかった。何かを期待するように妻の顔を見ている。 「あとでお茶と一緒にいただこうかしら」 「うん。そうするといいよ」 光司は満足そうに頷いた。 優香は画面に短く入力した。 十八時二十分。母の好きな菓子を購入。母がお礼を言うと非常に嬉しそうな反応。 記録を終えたところで、光司がこちらを見た。 「何してるんだ?」 「スマホ見てるだけ」 「そうか」 父はそれ以上聞かず、再び祐実の方へ向き直った。 その視線を見て、優香は小さく息を吐いた。母に喜んでもらいたいだけなら、あんなに何度も反応を確かめる必要はないのではないか。 翌日には、さらに奇妙なことが起きた。 優香が大学時代から使っている資料を整理していると、台所から水の音が聞こえてきた。覗いてみると、光司が食器を洗っている。祐実は少し離れた場所で翌日の食材を確認していた。 「お父さんが洗い物してるの?」 優香が思わず声をかけると、光司は振り返った。 「たまにはいいだろ」 「いや、いいけど。珍しいなと思って」 「別に珍しくないだろ」 そう言いながらも、光司はどこか落ち着かない。洗い終えた皿を水切りかごへ置き、祐実の方をちらりと見た。 母は冷蔵庫の中身を確認している最中だった。光司の行動には気づいていないらしい。 父の手が止まった。 「祐実。洗い物終わったぞ」 「あら、ありがとう。助かったわ」 「いやいや。これくらい普通だよ」 光司の声が弾んだ。 祐実はそのまま冷蔵庫の扉を閉め、買い足すものをメモし始めた。光司はしばらく妻を見つめていたが、期待していた反応が返ってこなかったのか、次第に口元が下がっていく。 優香はその変化を見逃さなかった。 「お父さん、どうかした?」 「いや。何でもない」 光司は布巾を手に取り、必要もないのに台所の台を拭き始めた。 優香は心の中で首を傾げた。母はちゃんとお礼を言った。それなのに父は何か物足りなさそうだった。 もっと喜んでほしかったのだろうか。それとも、母に何か特別な言葉を期待していたのか。 考えれば考えるほど分からなくなる。 数日後には、買い物から帰った祐実の荷物を光司が進んで持つようになった。玄関で母が袋を持ち替えていると、父がすぐに近づいていく。 「重いだろ。貸してみろよ」 「大丈夫よ。そんなに重くないから」 「いいから。俺が持つよ」 光司は二つの袋を受け取った。祐実が少し驚いた顔をしてから微笑む。 「ありがとう。助かるわ」 その一言で、光司の顔がまた明るくなった。 ところが、祐実はすぐに台所へ向かい、買ってきた食材を冷蔵庫へしまい始めた。光司は玄関に立ったまま妻の背中を眺めていたが、やがて肩を落として自分の鞄を持ち上げた。 優香は廊下の陰から一部始終を見ていた。 今度は母が忙しくて、父の親切に十分な反応を返せなかった。すると父は目に見えて落ち込んだ。 偶然とは思えない。 優香はその夜、部屋でノートを開いた。これまで記録してきた父の行動を見返す。母を見つめる。スマホを確認して笑う。服装を気にする。母の帰宅時間を尋ねる。そして最近は、菓子を買ったり家事を手伝ったりするようになった。 どれも以前の光司にはあまり見られなかった行動だ。 優香は新たに気づいた点を書き加えた。 父が母に親切にする。その後、母が喜んだり礼を言ったりすると父も嬉しそうになる。反対に母が別のことに気を取られていると、父の表情は曇る。 そこまで書いて、優香はペンを止めた。 父は母に優しくしたいだけなのだろうか。 いや、それだけでは説明がつかない気がする。普通に親切にしているのなら、相手がどんな反応をしてもそこまで気にしないはずだ。ところが光司は、祐実が自分の行動にどう反応するかを気にしている。 まるで母からの評価を待っているようだった。 優香は椅子の背にもたれた。 もしかして、父は何かを償おうとしているのだろうか。 そう考えると、急に優しくなった理由にも説明がつく。何か後ろめたいことがあり、それを埋め合わせるために母へ親切にしている。礼を言われれば安心し、期待した反応が返ってこなければ落ち込む。そんなふうに考えることもできた。 けれど、確かな証拠はない。 父が誰かと秘密のやり取りをしている可能性も、まだ消えていなかった。スマホの中身を見れば何か分かるのかもしれないが、勝手に調べるつもりはなかった。疑いだけで家族の信頼を壊すわけにはいかない。 優香はノートを見つめたまま、父の表情を思い返した。 母がありがとうと笑ったときの、あの嬉しそうな顔。母が忙しくしているときの、分かりやすい落ち込み方。 光司は何を求めているのだろう。 翌日の夕食後、祐実が食器を片づけていると、光司はまた立ち上がった。 「俺が洗うよ」 「いいわよ。今日は私がやるから」 「いや、いいって。座ってなよ」 光司は流しの前に立ち、蛇口をひねった。祐実は少し戸惑いながらも椅子へ戻ったが、すぐに明日の予定を確認するために手帳を開いた。 光司は食器を洗いながら何度も妻の方を見ていた。祐実は手帳に目を落としたまま、時折小さく頷いている。 やがて洗い物が終わった。 「終わったよ」 「ありがとう。ごめんね。ちょっと予定を確認してたの」 「……ああ。別にいいよ」 光司は笑おうとしたが、うまく笑えていなかった。 優香はその顔を見て、そっとスマホを取り出した。 父の行動は母の反応に左右されている。 少なくとも、今までの観察結果はそう示していた。親切にしたことそのものより、母がどう受け止めたかが重要らしい。 優香はその事実を記録に残し、画面を閉じた。 父は何かを隠しているのか。それとも、母に対して何かを強く求めるようになっただけなのか。 まだ答えは出ない。 ただ、光司の不自然な優しさには、優香の知らない理由がある。 その理由を確かめるまでは、父の行動を見過ごすことはできそうになかった。その日の夕食は光司が作ることになった。 祐実の体調が少しずつ戻ってきたとはいえ、まだ疲れやすい様子が続いていたため、優香が家事を分担しようと提案したのだ。すると光司が珍しく自分から手を挙げた。「今日は俺が作るよ」 祐実は少し驚いた顔をしたものの、素直に頷いた。「じゃあ、お願いしようかしら」「任せておけ」 光司は張り切って台所に立った。冷蔵庫を開けて食材を確認し、献立を考えながら包丁を手に取る。慣れない手つきではあったが、以前よりもずっと積極的だ。優香が横を通ると、父は鍋の中を覗き込みながら得意げに笑った。「今日はちょっと頑張ってみるか」「いつもそれくらい頑張ればいいのに」「うるさいな。たまにはいいだろ」 口ではそう返しながらも、光司はどこか嬉しそうだった。 やがて食卓に料理が並んだ。焼いた肉に野菜炒め。それに味噌汁とご飯。特別な献立ではないが、光司なりに工夫したらしい。野菜の切り方もいつもより丁寧で、皿の盛りつけまで気にしていた。「いただきます」 三人が食事を始める。祐実は野菜炒めを一口食べ、少し目を見開いた。「おいしい。ありがとう」 何気ない一言だった。 ところが光司は箸を持ったまま固まった。「……そうか?」「ええ。味付けもちょうどいいわ」 祐実はもう一口食べて微笑んだ。 その瞬間、光司の顔がぱっと明るくなった。頬が緩み、目元まで嬉しそうになる。さっきまで料理の出来を気にしていた様子が嘘のようだった。「そうか。いや、よかった」 光司は照れくさそうに笑った。だが、すぐには食事に戻らず、祐実がもう一度料理を口に運ぶのを眺めている。 優香は箸を止めた。 また始まった。 母が料理を褒めただけだ。特別な言葉でもなければ、大げさに喜ぶような出来事でもない。それなのに父は、まるで長年の努力が報われたかのような顔をしている。「お父さん、そんなに嬉しいの?」 優香が尋ねると、光司は慌ててこちらを向いた。「別に。作ったも
蒸し暑さで目が覚めたのは深夜だった。 祐実は布団の中で寝返りを打ったものの、なかなか眠り直せなかった。首筋に汗が滲み、胸元から顔にかけて急に熱がこみ上げてくる。掛け布団を足元へ押しやり、しばらくじっとしていると、少しずつ熱が引いていった。 けれど、ようやく落ち着いたと思った頃には目が冴えていた。時計を見ると午前三時を過ぎている。隣では光司が静かな寝息を立てていた。 祐実は起こさないようにそっと起き上がり、枕元の水を飲んだ。最近はこういう夜が増えている。日中はいつも通り動けているつもりでも、夜中に目が覚めると翌朝まで疲れが残った。 翌朝も、すっきりしない頭を抱えたまま台所に立った。朝食を用意し、洗濯機を回し、出勤の準備をする。いつもと同じ手順をこなしているのに、今日は一つ動くたびに体が重かった。 「祐実。大丈夫か?」 食卓についた光司がこちらを見ていた。 「ええ。ちょっと寝不足なだけよ」 「顔色が悪いぞ。どこか具合でも悪いんじゃないか?」 「大丈夫。昨日ちょっと寝つきが悪かったの」 祐実は味噌汁を置きながら笑ってみせた。心配してくれるのはありがたいが、詳しく説明する気力がなかった。光司はまだ何か聞きたそうにしていたものの、祐実が席につくとようやく箸を取った。 その日の仕事は普段より長く感じられた。午後になると頭がぼんやりし、同じ書類を何度も確認してしまう。帰宅してからも夕食の支度と洗濯物の片づけが待っていた。ひと通り済ませた頃には、足が重くて立っているのも億劫になっていた。 祐実はリビングのソファに腰を下ろした。冷房はついているのに、体の内側にはまだ熱がこもっている気がする。目を閉じて少し休もうとしたところで、台所から光司が顔を出した。 「祐実。冷たいお茶を持ってきたぞ」 「ありがとう。そこに置いておいて」 光司はグラスをテーブルに置いた。祐実が礼を言うと、いつものように嬉しそうな顔をしたが、すぐに眉を寄せる。 「まだ暑いのか? 冷房を下げた方がいいか?」 「ううん。このままで大丈夫」 「そうか。でも、顔が赤いぞ。熱があるんじゃないか?」 「熱はないと思うわ。ちょっと休めば平気だから」 祐実は目を閉じた。これでようやく静かに休める。そう思ったのも束の間、光司が再び動き
優香は父の行動を記録するノートに新しい項目を追加した。 帰宅時間。休日の外出。家にいるときの様子。 浮気をしているのなら、誰かと会うために家を空ける時間があるはずだ。仕事を理由に帰宅が遅くなったり、休日に一人で出かけたりすることも考えられる。もちろん、それだけで浮気と決まるわけではないが、これまでの父の変化を考えれば確認しておきたい点だった。 優香はまず、帰宅時間から調べることにした。 光司は平日の夕方になると、ほぼ決まった時間に帰ってくる。仕事が長引いた日は少し遅れることもあるが、母が夕食の支度を終える頃には玄関の鍵が回る。帰宅してからも、特に用事がなければ外へ出ることはなかった。 以前と比べて帰りが遅くなった様子もない。 優香はノートに記録をつけながら眉を寄せた。 仕事帰りに誰かと会っている可能性はある。しかし、帰宅時間だけを見れば不審な点は見つからなかった。 次は休日だ。 土曜日の朝、優香がリビングへ行くと、光司はソファで新聞を読んでいた。テーブルには飲みかけのコーヒーが置かれ、テレビからは天気予報が流れている。いつも通りの光景だった。「お父さん、今日どこか行くの?」 新聞をめくっていた光司が顔を上げた。「いや。特に予定はないけど」「ふうん」「優香は出かけるのか?」「私は午後から買い物」「そうか。気をつけてな」 会話はそこで終わった。光司は再び新聞へ目を落とす。休日に一人で出かける予定もなく、誰かと会うために準備をしている様子もなかった。 優香は台所へ向かいながら考えた。 父は最近、身だしなみを気にするようになった。スマホを見て笑うことも増えた。母への態度も明らかに変わっている。それなのに、外出の予定は以前と変わらない。 何かを隠しているように見えるのに、行動には不自然な空白がない。 その日の午後、優香が買い物から帰ると、光司はリビングでテレビを見ていた。着替えた様子もなく、朝とほとんど同じ場所に座っている。祐実は台所で夕食の下ごしらえをしていた。「ただいま」「おかえり。買い物はどう
父の光司が母の祐実に対して妙に優しくなったのは、それから数日後のことだった。 仕事から帰ってきた光司は紙袋を手にしていた。リビングでくつろいでいた優香が顔を上げると、父は袋を持ったまま台所へ向かい、夕食の支度をしている祐実のそばへ立った。「これ。好きだっただろ?」 光司が差し出したのは和菓子屋の紙袋だった。中には祐実が以前から好んでいる菓子が入っているらしい。「あら、どうしたの?」「帰りに見かけたから買ってきたんだ」「覚えててくれたの? ありがとう」 祐実が笑顔を向けると、光司の顔が一気に明るくなった。「いや、まあ。たまにはな」 照れくさそうに頭をかく父を見て、優香は手元のスマホを持ち直した。 今の反応は記録しておこう。 菓子を買ってきたこと自体は何もおかしくない。長年連れ添った妻の好みを覚えているのも自然なことだ。問題は、礼を言われた瞬間の光司の様子だった。まるで予想以上のご褒美をもらったかのように、頬が緩みきっている。 祐実が紙袋を開けて中身を確かめている間も、光司はそばを離れなかった。何かを期待するように妻の顔を見ている。「あとでお茶と一緒にいただこうかしら」「うん。そうするといいよ」 光司は満足そうに頷いた。 優香は画面に短く入力した。 十八時二十分。母の好きな菓子を購入。母がお礼を言うと非常に嬉しそうな反応。 記録を終えたところで、光司がこちらを見た。「何してるんだ?」「スマホ見てるだけ」「そうか」 父はそれ以上聞かず、再び祐実の方へ向き直った。 その視線を見て、優香は小さく息を吐いた。母に喜んでもらいたいだけなら、あんなに何度も反応を確かめる必要はないのではないか。 翌日には、さらに奇妙なことが起きた。 優香が大学時代から使っている資料を整理していると、台所から水の音が聞こえてきた。覗いてみると、光司が食器を洗っている。祐実は少し離れた場所で翌日の食材を確認していた。「お父さんが洗い物してるの?」 優香が思わず声をかけると、光司は
夕食の支度を手伝っていた優香は、母の祐実が何度も時計を気にしていることに気づいた。父の光司はまだ帰宅していない。いつもなら仕事が終われば決まった時間に帰ってくるため、特別遅いわけでもなかった。 祐実は味噌汁の火を弱めると、ふと手を止めた。「ねえ、優香。最近のお父さんってどう思う?」 思いがけない質問に優香は顔を上げた。「どうって?」「何だか変じゃない?」 やはり母も気づいていたらしい。優香は手に持っていた箸を食卓へ置いた。「やっぱりそう思う?」「優香も気づいてたの?」「うん。ここ数日だけど」 祐実は少し迷ったあと、流しの縁に手を置いた。「実はね。ここ数週間くらい前からなのよ」 優香は母の顔を見つめた。自分が異変を意識し始めたのはつい最近だ。けれど、祐実はもっと前から夫の変化を感じ取っていたらしい。「最初は気のせいだと思ってたの。年齢のせいかしらとか、仕事で何かあったのかしらとか。でも、ちょっとずつ変わってきて」「例えば?」「急に服装を気にするようになったのよ」 祐実は洗い終えた皿を水切りかごへ置いた。「今までは私が何を着ていこうと何も言わなかったのに、自分のシャツを選ぶときに妙に時間をかけたりするの。先週なんて、出かける前に鏡を何度も見てたのよ」「お父さんが?」「そう。髪まで気にしてね。何かあるのって聞いたら、別にって」 優香の頭の中で、父の最近の様子がつながり始めた。スマホを見ては嬉しそうに笑い、誰かが近づくと慌てて画面を閉じる。母の一挙一動を目で追い、目が合うと不自然に視線をそらす。 そこに服装へのこだわりが加わった。「それだけじゃないのよ。私が出かけるときも、帰りは何時になるのか聞いてくるようになって」「今までは聞かなかったの?」「必要があれば聞いてきたけど、最近は何度も確認するの。友達と出かけるって話したら、何時に帰るのかとか、夕飯は外で食べるのかとか。そんなことまで気にする人じゃなかったのに」 祐実は困ったように笑った。笑顔を作ってはいるが、目元には戸惑いが残っている。「それにね。私が今日あったことを話すと、前よりずっと熱心に聞くのよ。昔から話を聞いてくれない人じゃなかったけど、適当に相槌を打って終わりだったの。ところが最近は細かいことまで聞いてくるし、私が笑うとお父さんまで嬉しそうにするの」 優香は
翌日の夕食後、優香はリビングのソファでスマホを操作する父の光司を眺めていた。テレビではニュースが流れているが、光司は画面に目を向けていない。片手でスマホを持ち、何かを読んでは口元を緩めていた。 まただ。 昨日から気になっていた父の不自然な行動は今日も続いていた。食事中にも何度かスマホを確認し、通知が届くたびに画面へ目を落としていたのだ。以前からスマホを使ってはいたが、食卓に持ち込んでまで気にすることはなかった。 光司は画面を指で操作し、しばらくすると小さく笑った。声を出すほどではない。それでも、普段はニュース番組を見ながら難しい顔をしている父を知っている優香には、十分すぎる変化だった。 「お父さん。何見てるの?」 優香が声をかけると、光司の肩が跳ねた。スマホを伏せるように持ち替え、画面を消してしまう。 「何だよ。急に」 「いや、今笑ってたから。面白いものでも見てるのかなって」 「別に。何でもない」 返事をしながら光司はスマホをズボンのポケットへしまった。動作が妙に速い。優香は父の顔とポケットを交互に見た。 「スマホで何か見てたんでしょ?」 「仕事の連絡だよ」 「仕事?」 「ああ。ちょっと確認してただけだ」 光司はテレビへ顔を向けた。ちょうどニュースキャスターが経済の話題を取り上げている。父はその内容を聞いているふうだったが、ポケットの中でスマホが震えると一瞬だけ視線を落とした。 優香は見逃さなかった。 「仕事の連絡って、今も来るんだ?」 「連絡くらい来るだろ。明日のこともあるしな」 「ふうん」 優香はそれ以上追及せず、スマホを手に取って自分の画面を確認した。父が本当に仕事の連絡をしていたのなら、これ以上聞く理由はない。けれど、さっきの笑顔と慌てた反応がどうにも引っかかる。 仕事の連絡を読んで、あんな顔をするだろうか。 少なくとも優香は、父が仕事のメールを見て嬉しそうに笑うところなどほとんど見たことがなかった。むしろ面倒そうに眉を寄せ、必要な返信だけを済ませるのがいつもの姿だ。 光司はテレビを見ながら、ポケットの上からスマホに触れた。通知を確かめたいのを我慢しているようにも見える。 優香は口を開きかけたが、結局やめた。根拠が足りないまま問い詰めても、







