でも、状況によっては『サイコー』とカタカナで書いた方が雰囲気が伝わることもある。例えば、『Saiko no sutokkingu』と言われたら『最高のストッキング』より『サイコーなストッキング』の方がしっくりくる気がする。翻訳って単に言葉を置き換えるだけでなく、その言葉が持つ空気感まで考えないといけないんだなと改めて思った。
「Saiko adalah」というフレーズを初めて耳にしたとき、日本語とマレー語/インドネシア語が混ざった独特の響きにちょっと面食らった覚えがある。分解してみると、『Saiko』は日本語の「最高」をローマ字表記にしたもの、『adalah』はマレー語/インドネシア語で「~は」を意味する繫辞。つまり直訳すれば「最高は」というちょっと詩的な断片になるけど、実際の使われ方を見るともっとカジュアルで生き生きしている。
ネットスラングとして広まったこの表現は、例えば『この曲Saiko adalah!』みたいに、何かを心から賞賛するときの掛け声として使われる。日本語の「超最高!」に近いノリで、マレーシアやインドネシアのアニメファンやゲーマーが日本のポップカルチャーに熱狂する際の掛け声として自然発生したみたいだ。『鬼滅の刃』の主題歌を聴いた現地の友人が「Kimetsu no Yaiba OST adalah Saiko!」って叫んでいたのを思い出す。
言語が混ざり合う面白さはここにある。文法としては完璧じゃないかもしれないけど、感情の爆発をそのまま言葉に乗せたようなこのフレーズは、文化を超えた共感を生む。日本語の『ヤバい』が海外で『yabai』として逆輸入された現象にも通じるね。SNSのコメント欄で突然この言葉を見つけたら、それはきっと誰かが心から「これめっちゃいい!」と叫びたくなった瞬間なんだろう。