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人々の悲鳴が町に響き渡る。
人を押しのけ、物を押しのけ逃げ惑う人々。
荷車に繋がれた馬は
文字通りの阿鼻叫喚。誰もが自らの命を守るため、必死なのだ。
そして人々が去った後には、一際大きな巨人が割れた石畳の上に佇んでいた。
仁王立ちするその巨人は、人々から魔獣と呼ばれ恐れられる怪物である。
身長は隣に建つ白壁の二階建て住居と同等。
浅黒く筋骨隆々の身体からは血管が浮き上がり、血走る単眼の中央では黄金の瞳がぎらつく。
それは衛兵達からサイクロプスと名付けられており、高頻度で人里に姿を現す魔獣だ。
「お前、逃げなくていいのかァ?」
腐った血液の悪臭が混じる吐息が、地響きのような声と共にまき散らされる。
サイクロプスの眼下には壁際まで追い詰められた者が一人、壁に背を向け佇んでいた。
その人物の顔や服装は外套によって隠され、表情は伺えない。
だが、この状況下で恐れを知らぬ人間がいるだろうか。
この者は太刀打ちできないほどに巨大な存在から、獲物として目を付けられているのだ。
自らがこの場の強者であると確信しているサイクロプスは、裂けたように大きな口をにやつかせる。
サイクロプスの剛拳が、建物二階の外壁を貫く。
崩れた壁の一部が地面に落ち、細かな破片が土埃を上げながら路面を跳ねる。
それでもサイクロプスは下の人間を気にすることなく、埋もれた腕を勢いよく引き抜く。
周囲にまき散らされる破片。埃や塵が開いた大穴から煙のように噴き出す。
サイクロプスの手には、屋根を支えるための太い
こん棒として扱うには少々短く、強度も足りない木材だ。
それでも力任せに振り下ろせば、人間など原形を留めぬ肉塊にするには十分だろう。
「怯えろ、怯えろ。オレは人間が怯えるの、大好きだ」
傍から見れば恐怖から口も利けない状態なのだと考えるのが自然であろう。
だが一切反応がないとなれば、短気な魔物はいよいよ苛立ちを隠せなくなる。
歓喜していたサイクロプスの表情は険しくなり、歯ぎしりが騒音のように鳴り響く。
「お前、もういい。死ね」
握りしめる梁をフードの人物に目掛け、一切の躊躇なく振り下ろすサイクロプス。
直後、木材のひしゃげる乾いた音が、飛散する大量の木片と共に響き渡った。
――サイクロプスの一つ目が、大きく見開かれる。
突風でなびく外套。
振り下ろされた梁は、フードの人物に届いてはいなかったのだ。
右腕はまるで梁を受け止めるかのようにサイクロプスに向け伸ばされ、その手には赤く輝く竜紋の錠前が握られていた。
踊り狂うような風が、顔を覆うフードを剥がす。
その下から現れたのは、切れ長の目でサイクロプスを睨みつける少女だった。
青年間近を思わせる整った容姿に、ブラウンの瞳と大洋の青を思い起こさせるダークブルーの髪。
フリルの付いた白色のキャップを被る姿は、どこかの家に仕える使用人を思わせる格好だ。
少女は息を荒げるサイクロプスを
「これで時間は稼げたね、アデーレ」
竜紋の錠前から声が放たれる。
だが無機物が喋るという状況に、アデーレと呼ばれた少女は一切の驚きを見せない。
「誰もいないよね、ロックン」
「もちろん。いつでもやっちゃいなよ!」
錠前の声に合わせ、アデーレが駆け出す。
呆然とするサイクロプスは、少女が自身の股下をくぐり背後へ回ったことに気付けずにいた。
少女は駆け出した勢いのままサイクロプスの方へ振り返り、今度は左腕を外套の外に晒す。
その手には錠前とセットになっているのであろう、炎を模した鍵が握られている。
右手の錠前、左手の鍵。
慌てて振り返るサイクロプス。
正対したアデーレは、両手を自らの前方に突き出す。
彼女はゆっくりと目を閉じ、鍵を錠前に差し込む。
鍵が完全に差し込まれると、錠前から赤い炎が噴き出し周囲に熱波を放つ。
熱い風が吹き荒れ、激しく舞い上がる外套の下から白いエプロンドレスを身に着けた黒いドレスが現れる。
衣服は赤々と燃える炎の光に照らされ、無数の火の粉が熱風と共に宙を舞う。
しかし炎が周囲に燃え移ることはなく、彼女の手の内を包み込むように燃え盛っていた。
その様子を前にして、余裕の態度を見せていたサイクロプスが警戒するように後ずさる。
前髪を風にたなびかせながら、アデーレは熱を帯びた空気を肺に溜めるように短い深呼吸をした。
「……行くよッ」
カチャリと鳴る鍵の回転に合わせ、錠前から火花が飛び散る。
その直後、錠前が纏っていた炎がアデーレの身体を包み込み、炎は赤いオーラへと姿を変えていく。
火の粉は輝く粒子へと姿を変え、オーラはアデーレの全身に取り込まれ纏っていた服を別のものへと変形させる。
キャップは両側が上に反ったつばを持ち、竜の翼を模した飾りで彩られたワインレッドの帽子へ。
外套が熱風に吹き飛ばされ、白色のロングワンピースとその上に羽織った赤色のロングコートが姿を現す。
キャップの下にまとめられていたダークブルーの長い髪が風になびく。
オーラはなびく髪に集まり、その髪色をルビーのような鮮やかな赤へと変化させた。
「
サイクロプスが呟き、後ずさる。
歯を食いしばり、手に持っていた梁の残骸を彼女めがけて投げつける。
アデーレはそれを避けようとせず、まばゆい光に包まれる右手で大きく薙ぐ。
粉砕される木材。
アデーレの手に握られていたのは、赤々と輝く長大な金属の塊。
噴き上がる炎がそのまま刃へと変容したかのような、強烈な熱を帯びる片刃の大剣へと姿を変えていたのだ。
自身の身の丈よりも長い剣を片手で掲げ、切っ先をサイクロプスに向けるアデーレ。
その顔に一切の情は存在しない。
「この島に害を成すのは、私が決して許さないから」
大剣を両手で構え直すアデーレ。
ロングブーツの靴裏が石畳を砕き、足元の地面がわずかにえぐれる。そのままつま先で強く地面を蹴り、石畳の破片を跳ばしながらサイクロプスとの間合いを一瞬で詰める。
身を守ろうとサイクロプスは腕を構えるが遅すぎだ。
アデーレの方がより早く、巨大な剣でサイクロプスの巨大な体を切り上げていた。
「……あ。もうすぐお客様がいらっしゃるんだった」
袈裟懸けに両断され、引火した炎で燃え上がるサイクロプスを背にアデーレがつぶやく。
火の加護が消失した衣服は、黒いワンピースと白いエプロンドレスへと戻っていた。
ダークブルーへと戻った髪もまとめられ、しっかりとキャップも被っている。
今も熱を帯びる錠前をスカートのポケットにしまった後、アデーレは落ちていた外套を拾い上げ埃を払う。
そして再び外套を身にまとうと、本来の業務に戻るためその場を後にするのだった。
延々と地下へと続く長い階段を、人間の集団が降りていく。 ランタンの灯りは彼らの周辺しか照らすことができず、進む先には光の届かない暗闇が広がる。 先を見通すことができない彼らには、この階段が地の底まで続いているのではないかと不安を抱くことだろう。 ただ一人、異なる世界の前世を記憶するアデーレは違った。 踏み入れた地下遺跡の階段を一歩ずつ踏みしめる度、前世で見た洋画のワンシーンを思い出す。 どこかに感圧式のトラップスイッチがあり、踏み込んだ瞬間壁や天井から槍が飛び出すような。 そんなシチュエーションを思い浮かべつつ、彼女は足元を警戒しながら階段を下りていく。 とはいえアデーレは集団の中ほどを歩いているため、真っ先にトラップを踏むことになるのは最前列を進む作業員だ。 トラップは考えすぎかもしれないが、万が一の事故は起こり得る。 今この瞬間は、全員の無事を祈るばかりだ。「だいぶ進みましたね。十分ほど下っているでしょうか」「分からん。だが私はひしひしと感じているぞ。この先に偉大なる先人の造り上げた地下都市が存在すると」 何だその感覚は、と呆れつつ、エヴァとダニエレの会話に耳を傾けるアデーレ。 ほとんどの者が恐怖の表情を浮かべているというのに、随分と余裕があるようだ。 そんなことを考えていた次の瞬間、前を歩く作業員が突然その場で立ち止まる。 慌てて足を止めたアデーレだったが、間に合わず前の人の背中と接触してし
相談を受けたロベルトの手引きにより、アデーレはエスティラから数日の休みを与えられた。 外出制限がかかっていたこともあり、休養の許可は比較的簡単に取れたという。 これを好機と見たアデーレは実家に帰宅し、両親と軽く顔を合わせた後に目的地の発掘現場へと単身赴いたのだった。 アデーレの来訪を知ったダニエレは、特に何の警戒を見せることなく自身専用のテントへと彼女を招いた。「ほぉほぉ、個人的に興味があって現場を見てみたいと」「はい。故郷に関わる知識を学ぶことで、お嬢様の助力になると思いまして」 彫刻を施された柱で建てられたテントは、さながら絢爛たる高級ホテルの一室を思わせるものだった。 チェストや執務用の机と椅子、ソファやベッドは重量感のある木材が用いられ、地面には目が回るほどに細やかな模様の絨毯が敷かれている。 ちなみに内部は土足厳禁であり、ダニエレもテント内では靴を脱ぎ、執務用の机で報告書を読みながらアデーレを出迎えた。 本来ならば、ダニエレほどの貴族がアデーレのような一般人を自らのプライベート空間に招くようなことはしない。 それが常識なのだが、結局のところ予想通りダニエレは性欲の方を優先したと見ていいだろう。 その証拠に、先程からダニエレは書類に目を通す仕草をしているだけで、実際の目線はアデーレの体に向いているのが一目瞭然だ。 あのような接触を受けてもなお自らに接触してきたアデーレを、ダニエレはどう思うだろうか。 少なくとも、都合のいい女などと思われているとみて間違いないか。「まずは座りたまえよ。私が発掘状況について詳しく教えてあげるからね」 そう言ってダニエレが指差したのは、ソファではなくベッド。 卸したてのシーツが掛けられた天蓋付きのダブルベッドは、明らかに【そういう目的】を考えて置かれたものだろう。 覚悟をもってこの場に赴いたとはいえ、アデーレがダニエレに体を許そうなどという考えは微塵もない。 だがここで下手な抵抗を見せれば、作業現場に送られた島民や本島などから来た作業員を守ることができない。 さすがに戸惑い隠すことができず、愛嬌のつもりでアデーレは首をかしげる。 そんな彼女の様子が逆に扇情的に思えたのか、下劣な笑みを浮かべたダニエレが席を立つ。「緊張しているのかな? なぁに、私は紳士だからね、安心しなさい」 どの口で
悪意ある来訪を乗り越え、一応の解散を迎えた会合。 だがダニエレの言葉に対する懸念をぬぐい切ることはできず、アデーレは不安を抱えながら日々を過ごす。 そして、大きな動きもないまま五日の月日が経った頃……。 エスティラの使いで町に出ていたアデーレ。 用件を終え大通りを歩いていると、目の前に馴染み深い後ろ姿があることに気づく。 ちょうどその人物も背後を振り返り、互いに顔を合わせたところでアデーレに対し笑顔を見せる。 それは彼女の父、ヴェネリオだった。 実に二週間ぶりに顔を合わせたこともあってか、彼は嬉々とした様子でアデーレの方へ駆け寄る。「やあ、アデーレ。お嬢様の使いかい?」「うん。お父さんは買い物?」 「そうだよ」と言いながら、小脇に抱えた紙袋をアデーレに見せるヴェネリオ。 中には日用雑貨が入っており、母にお使いを頼まれたのだろうとアデーレは察する。「しかし元気そうでよかったよ。お嬢様も事件に巻き込まれたりと色々大変なんだろう?」「まあ、うん。あまり大きな声で言わないでね」「ああごめんごめん。でも正直父さん心配だよ」 ヴェネリオは子煩悩を絵に描いたような父親だ。 がっくりとうなだれるその様子からも、聞き知ったあらゆる噂話に胸を痛めてきたであろうことが伝わってくる。 たとえアデーレが一言大丈夫と告げたとしても、この不安を解消することはできないだろう。 だが、それでもヴェネリオは仕事を辞めるようアデーレに言いつけることはしなかった。 サウダーテ家の家計もあるし、彼女が今の仕事に対し真剣に向き合っていることを、言葉を交わさなくても理解しているからだろう。 とはいえ露骨に落ち込まれると、人々の往来がある中ではどうしても目立ってしまう。「お父さん、とりあえず顔上げて。ね?」 アデーレに慰められ、ようやく顔を上げるヴェネリオ。 まるでお預けを食らった子犬のような顔をした父親に対し、アデーレはただただ苦笑を返す。 それよりも、二週間ぶりになる親子の再会だ。 もっと場を和ませる明るい話題はないかと、アデーレは思案を巡らせる。 母のことや家のこと。畑の様子や友人の話題。いくらでも語り合うことができる。「そういえば、最近何か変わったこととかあった?」 アデーレに問われたヴェネリオが、首をかしげながら考え込む。 うんうんとしばらく
「ほほ、随分と微笑ましいことですなぁ」 前触れもなく向けられた言葉を聞き、立ち上がったエスティラが声の主の方を見る。 彼女の動きに合わせ、アデーレを含めた周囲の人々もそちらを振り向いた。 そこに立っていたのは、従者を従えて微笑みを浮かべるダニエレだった。 突如現れた見知らぬ老人を目の当たりにし、少女は再び母親の後ろに隠れてしまう。 対するエスティラは、気品あるお辞儀で彼を迎える。「ごきげんよう、ダニエレ教授。本日は突然どのようなご用件で?」「はは。少々急ぎの用事がありましてなぁ。門前の者に無理を言って通してもらったよ」 『突然』と付け加えたのは、エスティラなりの嫌味だろう。 なぜなら今回の会合にダニエレは招かれていない。 外部の人間かつ上流階級がこの場に現れれば、この場に集まっている者全員が委縮してしまい彼女の目的が意味を成さない。 しかしダニエレがそのようなことを気にする人物でないことくらい、アデーレでも察しがついている。 更に言えば、このような現れ方をしたのもダニエレなりの嫌がらせという可能性がある。 どちらにせよ、この場において彼はお呼びでない相手だ。 それでもこうして屋敷に入ってこれたのも、上流階級であり厚顔無恥な老人ゆえか。 こうなると、周囲の人々も彼に対しては怪訝そうに眉をひそめるばかりだ。「さてさて、どうやら島の有力者の方々が集まっているようで。これは逆に都合がいい」 周りの冷ややかな視線など気にすることなく、ダニエレは笑顔のまま辺りを見渡す。 それに反し、無表情を貫くエヴァを含む従者の面々とのギャップに、アデーレは背筋に冷たいものを感じてしまう。 考えが顔に出ると小言を言われるアデーレとしては、従者たちの態度は使用人として見習うべきところかもしれない。 しかしこんな無礼な男に仕えて、普通の人間なら反感を抱くものだ。 極めて優秀な使用人ならば、主人がこれほどまで礼儀を欠いた行為を見せようとも、嫌悪を抱かないものなのか。 これがプロフェッショナルというのならば、アデーレには一生辿り着けない境地だろう。「ふむ。我々に対し何か提案があるということですか?」「その通り。さすが若い者は話が早いねぇ」 ダニエレが先程エスティラと話していた若い跡取りに近寄り、彼の肩を軽く叩く。 そのまま跡取りの横を通り過ぎていく
手紙の一件から二日後。 久々の晴天に恵まれたこの日、屋敷前庭の一角に人だかりができていた。 その人だかりに囲まれるようにして、装飾の施された一本足が特徴の白い金属製丸テーブルがいくつか並べられている。 テーブルの上には、手に取って食べることのできる軽食が何品か用意されている。 前庭に集まった人々はこの島で有力者に位置する者やその家族。 他にも教会関係者が数名混じっており、全員が雑談に花を咲かせているところだった。「あーっ、アデーレ姉ちゃんだ!」「お姉ちゃんのお洋服、きれいだねーっ」 来客に飲み物を運ぶアデーレの周りで、小さな子供たちがせわしなく駆け回る。 島民同士が大体顔見知りであるロントゥーサ島において、アデーレは若い女性というだけで否応なく子供たちの注目を集めてしまうものだ。 しかし今は仕事の真っ最中。 基本的に雑談を許されない使用人という立場上、アデーレは子供たちに対し苦笑を向けることしかできなかった。 それでも構ってほしい子供たちは彼女の周囲を離れず、スカートに触れたり足元で飛び回ったりとやりたい放題だ。 当然このような状況では仕事も捗らない。 代わりに同僚がそつなく仕事をこなせていることを考えれば、子供たちの相手をすることがアデーレの仕事といえなくもない。 さて、このような状況下で苦言を呈することもあるエスティラだが、彼女は来客者との応対に勤しんでいる最中だった。「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」 彼女に頭を下げる優男。彼はこの島で海運業を営む家の跡取りだ。 アデーレにとっては二つ年上の顔見知りであり、若い者同士ということでそれなりの付き合いはある。 農家の娘と運送屋の息子。身分の違いはあれども狭い島。 立場による隔たりなど、ほとんど存在しないのが実情なのだ。 そんな友人も、今では跡取りとしての所作が身についているらしい。 幼少の頃よりも礼節をわきまえるようになった友人を、エスティラは温和な笑顔で応対する。「こちらこそ、本来は招かれた立場なのにこのような形になってしまって」「いえ、現状を鑑みればそれも致し方ないことです」 そう。この会合は先日の話題にあった、教会での集まりの代わりである。 本来は教会側がエスティラを招いて懇親会を開く予定だったのだが、魔獣の一件が災いしたことで予定は取り
『人の話くらい聞く度量は持たないねとね』 ティーセットを乗せたトレイを運びつつ、先程の話を思い出すアデーレ。 今頃エスティラは教会から届いた手紙を読んでいることだろう。 彼女が島民と積極的に関わろうとすることは、地元民であるアデーレとしても歓迎だ。 しかし現在、島を取り巻く状況はひっ迫している。 活発な魔獣の襲撃や、それを召喚する魔女の行方。 そして王党派に属する者が主導する遺跡の発掘作業と、ベルシビュラの存在を差し引いても問題は山積している。 せめて魔獣の問題を解決する手立てだけでも、アデーレは見つけ出さなければならない。 それには沈黙を続けるアンロックン……ヴェスタの帰還を待たなければならないだろう。 錠前が入るポケットへ、アデーレが視線を落とす。 今はただ、これまでと変わらず金属音を鳴らしながら明るく語り掛けてくる日々が戻るのを願うばかりだ。「……あれ?」 アデーレが顔を上げたその時、使用人用の廊下へと向かう人物の後ろ姿が目に映る。 一般の使用人よりも上質な制服を纏うその人物の方へ、アデーレは小走りで向かっていく。「メリナさん、お疲れ様です」「えっ!?」 前を歩く人物……メリナへと声をかけるアデーレ。 それに対しメリナは、不必要なまでに肩をびくつかせてアデーレの方を振り返った。 仕事中は隙を見せることが少ないメリナが、狼狽するような姿を見せるのは珍しい。 目を丸くし、驚きの表情を隠すことなくアデーレの方を見つめる。「あっ、すみません。驚かせてしまって」「驚かせ……ああううん、全然平気っ。ちょっとボーっとしてたからさっ」 両手を振りながら、メリナは慌てた様子で笑顔を繕う。 その様子から、何かを誤魔化しているように感じてしまうのは必然というものだ。 とはいえ、それを指摘する必要もないだろう。 アデーレはそれ以上追及することをやめ、「そうですか」とうなずく。 納得してもらえたと考えたのか、メリナも胸に手を当て小さくため息をついた。 その後すぐに気を取り直した様子で、アデーレが持つトレイに視線を向ける。「これから片付け?」「はい、これを済ませたらまたお嬢様の部屋に戻りますけど」「そっかー。私は今から部屋に戻るところだよ」 会話を続けつつ、どちらが言うでもなく使用人用の廊下へと歩き出す二人。 メリナが言う