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面白い質問ですね。『心得る』って言葉には師弟関係の雰囲気が漂っています。昔読んだ『浪客行』で宮本武蔵が「兵法を心得る」と語るシーンを思い出しました。あれは単なる知識ではなく、生死をかけて体に染み込ませた知恵でした。
対して『理解する』はもっと民主的で、誰でもアクセスできる感じがします。科学の論文を読んだり、『進撃の巨人』の複雑な伏線を解説動画で追ったりする行為に近い。『心得』には流派や個人の色がつきものですが、『理解』は普遍性を目指す性質がある気がします。料理で言えば、レシピを理解するのと、包丁の持ち方を心得るのは全然次元が違うでしょう。
「心得る」と「理解する」の違いについて考えると、まず実践的な側面が浮かびます。『心得る』には技術や作法を体得したニュアンスがあって、例えば『剣道の心得がある』と言えば形だけでなく精神性まで含む感じがしますね。
一方『理解する』はもっと認知的なプロセス。『量子力学を理解する』と言う時、数式を解けるかどうかより原理を把握しているかが焦点です。『スラムダンク』の安西コーチが『バスケットボールを心得る』と言う場面を思い出すと、単にルールを知っているのではなく、ゲームの流れを読む感覚まで含んでいます。
この違いは言語によっても現れていて、英語だと『心得る』にぴったりの単語がなく『master』や『grasp』で代用されるのが興味深いです。
日本語の微妙なニュアンスを考えるのが楽しいですね。『茶道を心得る』と言う時の『心得』には、所作だけでなく『もてなしの心』のような無形の要素が含まれています。『ハイキュー!!』の烏養コーチが『コート上での振る舞いを心得ろ』と叱るシーンも、単なる技術指導ではない。
『理解』はもう少し客観的で、『スター・ウォーズ』のフォースの概念を説明できるかどうかといった感じ。面白いことに、『心得』は往々にして失敗から学ぶものですが、『理解』は本や指導で得られる場合が多い。料理の火加減を『心得る』には何度も鍋を焦がす必要があるけれど、ソースの化学反応は本で『理解』できますよね。
この二つの違いを考える時、『ベルセルク』のガッツとグリフィスの関係が例に浮かびます。ガッツは剣の扱いを『心得て』いますが、グリフィスは人間の欲望を『理解して』いました。
『心得』は繰り返しの訓練から生まれる身体知で、説明できない部分がある。『居合いを心得る』と言った時、理屈より『間』の感覚が重要ですよね。逆に『理解』は言語化可能で、『FF7』の魔晄炉の仕組みを友人に説明できるようなもの。
興味深いのは、『心得』が時間をかけて深まるのに対し、『理解』には突然のひらめき(アハ体験)が伴うこと。『ドラゴン桜』で数学の公式を『理解』した瞬間が描かれるように、認知の飛躍が特徴的です。