3 回答2025-11-22 00:22:34
『厭う』という言葉は、日常会話ではあまり使われないけれど、文学や時代劇でよく出会う表現だよね。基本的には「嫌がる」「避ける」という意味で、物理的なものから精神的なものまで幅広く使える。例えば『彼は人混みを厭うように脇道に入った』なら、混雑が苦手で避けた様子が伝わる。
面白いのは、この言葉が持つ古風なニュアンス。現代語で「嫌う」と言い換えられる場面でも、『厭う』を使うと一気に叙情的な雰囲気になる。『戦いを厭う平和主義者』というフレーズは、『戦いが嫌い』と言うより深みがある。ただし使いすぎると堅苦しくなるので、小説の登場人物のセリフや、わざと古風に表現したいときにおすすめだ。
個人的には『機会を厭わず挑戦する』のような肯定形の使い方が好きだね。否定形と組み合わせることで、言葉にリズムが生まれる。
3 回答2025-11-22 10:55:39
『厭う』という言葉が小説で使われる時、そこには往々にして登場人物の心の奥底に潜む倦怠感や、日常に対する無力感が滲み出ているように感じる。例えば、村上春樹の『ノルウェイの森』で主人公が「人生そのものを厭うような気分」に襲われる場面があるが、あれは単なる疲れ以上の、存在そのものへの問いかけを含んでいる。
この言葉が効果的なのは、それが単なる「嫌い」ではなく、もっと深い精神的な消耗を表現している点だ。太宰治の作品では、自己嫌悪と社会への違和感が『厭う』という一語に凝縮されている。読者はそんな描写から、登場人物の内面の重さを共有するような気分になる。言葉の裏に潜むニュアンスを汲み取るのが、文学を読む醍醐味だとつくづく思う。
3 回答2025-11-22 08:44:06
夏目漱石の『こころ』には、『厭う』という言葉が重要な役割で登場します。先生が過去の罪悪感に苦しむ場面で、『自分自身を厭う気持ち』が描かれ、人間の内面の深い葛藤を表現しています。この作品では、厭う感情が単なる嫌悪ではなく、自己否定や後悔の複雑な心理状態として描かれているのが特徴です。
漱石の繊細な筆致は、『厭う』という感情を社会的な規範と個人の倫理観の狭間で揺れる知識人の苦悩として昇華させています。特に『こころ』の後半部で展開される先生の独白は、この感情を文学的に深掘りした傑出した描写と言えるでしょう。登場人物の心理描写を通じて、読者自身も自己嫌悪という普遍的な感情について考えさせられます。
3 回答2025-11-22 05:32:04
『鋼の錬金術師』のロイ・マスタングは、戦争のトラウマから暴力を強く厭うキャラクターとして描かれています。彼がフラスコの小人に「人間を殺すな」と命じるシーンは、軍人でありながら人命を軽視する行為への嫌悪が際立っています。
面白いのは、彼の厭戦感情が単なる理想主義ではなく、実際にイシュヴァール虐殺を経験したからこその複雑さを持っている点です。戦闘シーンで炎のアルケミーを使いながらも、部下に「敵を焼き尽くせ」と命じる時の表情には、深い葛藤が見て取れます。このような矛盾を抱えた描写が、単純な善悪を超えた深みを生んでいるのです。
3 回答2025-11-22 18:13:09
『厭う』は「いとう」と読み、主に「避ける」「嫌がる」という意味で使われる古風な表現ですね。例えば『彼は人混みを厭う性格だ』のように、物理的・心理的な回避を表す際に使います。
現代では小説や時代劇の台詞で耳にする機会が多いですが、日常会話では『嫌う』や『避ける』の方が自然です。『光栄に厭うところなし』といった慣用句では格式ばった印象を与えるので、ビジネス文書や改まった場面で効果的です。
注意点として、『厭わない』という否定形は「積極的に行う」という逆説的なニュアンスになります。『彼は危険を厭わず救助に向かった』のような使い方で、人物の美徳を強調する表現として覚えておくと便利です。