歌詞のひとつひとつが、出会いの確率と時間軸を織り合わせる作業をしているように感じる。表面的には「誰かと出会う」という出来事の描写が続くけれど、その背後には選択の重みや偶然の皮が薄く剥がされていて、出会いがどう人を変えるかを静かに示しているように思える。
僕はこの曲を聴くたびに、過去の接点が今の自分を形作っているという感覚に捕らわれる。歌詞は単なるロマンチックな再会だけを賛美しているわけではなく、出会いのたびに失われるもの、引き換えに得るもの、忘れるべき記憶と抱きしめたい記憶の選別まで匂わせる。特にサビで同じ言葉が繰り返されるところは、時のループ性を強調していて、偶然と必然が手を取り合う瞬間を表現していると解釈している。
たとえば『秒速5センチメートル』で描かれるような時間と距離の関係を思い出すと、この歌詞が示す「
巡り合い」は単純なハッピーエンドでは終わらない。出会いは始まりであり終わりでもあり、誰かの人生の断面を深く刻む行為なのだと受け取る。だからこそ、最後のフレーズが余韻を残す――出会いは偶然に見えて、実は何かを問いかけ続ける営みだ、という結論に落ち着くのだ。