観客として感じたのは、映画化で最も目立つのが“語りの重心移動”だということだった。原作の'
心の瞳'は内面描写や細かな心理の揺らぎを積み重ねる作品で、文字でしか伝えられないニュアンスが多く存在する。映画ではそのまま映像に置き換えることができないため、脚本側が主要な感情曲線を再構築し、いくつかの短い場面やモチーフで感情を象徴化する選択をしている。結果として、原作で丁寧に描かれていた脇役の心の動きが削られたり、複数の人物の役割が一人に統合されたりした点が目についた。
映像化に伴う時間圧縮も重要な変更点だ。小説的時間を映画の二時間前後に収めるため、サブプロットが削除され、事件の発生順や因果関係が前後する場面もある。個人的にはその圧縮がテンポの改善につながった場面もあれば、キャラクターの動機が薄く感じられてしまった箇所もあった。たとえば、過去の回想を一つの象徴的な映像に凝縮することで、内省を外から見せる手法が用いられているが、原作で丁寧に積み上げられた伏線が映画では説明不足に見えることがある。
音楽とビジュアル表現によってテーマが再強調されたのも興味深かった。映画はセリフに頼らず、カメラワークや色彩、音響で主人公の心境を描写する場面を増やしており、そこでは小説とは別の詩的な解釈が提示される。さらに、結末の扱いも変わっている。原作が曖昧さを残した余韻を重視している一方で、映画は観客の感情的なカタルシスを意識してエンディングをやや明確にする選択をしていると感じた。似た傾向は'告白'の映像化でも見られたが、'心の瞳'では登場人物の年齢設定や設定時代の微調整、あるいは性的表現や暴力表現のトーンダウンといった規制対応の変更も加えられている。
全体として、映画版は原作の精神を尊重しつつも「映画という別の物語」に作り替えられている。原作ファンとしては失われた細部に寂しさも覚えるが、映像ならではの新たな解釈や美しさに触れる楽しさもあり、どちらの魅力も別枠で味わえると思っている。