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余白を積極的に陰影の一部と見なす発想が、この画家の表現でとても効いていると気づいた。白を単なる未描写領域とせず、周囲の薄墨や濃墨とのコントラストで光を示す方法を取っている。つまり、暗さを描くのではなく、明るさを残すことで結果的に影が浮かび上がる仕掛けだ。
また、筆の持ち方や往復回数を変えて線の硬さを調整し、硬い影は一筆で切るように、柔らかい影は何度も薄く重ねることで表現している。そのほか、斜めに払う技やにじみを部分的に止める“助けの一筆”を入れることで、単色の中に複雑な階調を作る。牧谿(ムキ)のような僧侶画家の作風を連想させる静かな濃淡の扱いが個人的には印象深い。
輪郭をぼかすための技巧に特に目を引かれる作品群だ。筆先の角度や筆圧を瞬時に変えることで、同一線でありながら太さや濃さが変化し、その差が影として作用することが多い。紙面全体にわたる大きなトーンは、淡い洗いを何度も重ねることで作られ、強い影は一気に濃い墨を置いて締める、というメリハリの繰り返しで成立している。
小さな陰影は、筆の“払い”や“はらい戻し”によって生まれるかすれを活用していることが多く、これが石や樹皮の質感を示す微細な影となっている。狩野派の屏風画に見られるような、面と線のバランスを意識した陰影構成を思わせる部分があり、僕の観察では計算された雑さが魅力になっている。
筆遣いのリズムに注目すると、その陰影表現の構造が見えてくる。
墨の濃淡を段階的に作るために、紙と水の関係を緻密に操っているのがまず印象的だ。筆に含ませる水の量を微妙に変え、淡墨から濃墨へと滑らかに移るグラデーションを重ねることで、奥行きと立体感を生んでいる。渇筆(あえて筆を乾かして引くかすれ)を混ぜることで、光の当たる部分と影の境界にテクスチャーを与えている。
破墨(はぼく)的な大胆な濃淡処理も見られる。広い面では一度に濃淡を作る“流し込み”を使い、細部では筆圧や筆先の向きを変えて微細な影を刻む。紙の吸水性を計算に入れて、にじみを活かす場所と止める場所を使い分ける手腕が、この画家らしい陰影を成立させていると私は感じる。
線と面を行き来する描法が、陰影に豊かな表情を与えている。まず輪郭を描く細い線で造形を決め、その後で面を薄く重ねていく“縁取り+薄塗り”の手順を踏むことが多い。面の扱いでは、にじみ(ウェットオンウェット)と乾いた状態への追加(ウェットオンドライ)を使い分け、滲んだ部分を残すことで柔らかな影を作る技術が目立つ。
もう一つ興味深いのは、筆の往復で生まれる節や引っかきの跡をあえて活かすことだ。渇筆で出る擦れや、筆を払う瞬間の細かな飛沫が粒状のトーンを作り、陰の輪郭を曖昧にして空気感を演出する。八大山人('八大山人の墨梅図'を想起させる作品群)で見られるような、余白と墨の濃淡の対比を利用した静かな陰影の組み立て方がここでも効果を上げていると私は考えている。
目立った道具は少ないが、そのシンプルさがかえって表現の幅を広げていると気づかされる。水で薄めた薄墨を何層も重ねる色調の構築法を多用しており、各層が乾く前後の状態を巧みに使い分けている。湿った紙に薄い墨を乗せると柔らかな滲みが生まれ、これをさらに上から乾いた筆で抑えることでシャープな影が際立つ。そのコントラストが遠近感を生む。
具体的に思い浮かべるのは、'松林図'のような作品で見られる、霧のような奥行きの作り方だ。ぼかしと線描を交互に使い、木の幹や枝の影を段階的に刻むことで、単色の中に複雑な空間を作り出していると僕は理解している。