混乱が物語を押し広げる場面を見るたびに、象徴としてのわざわいがどれほど強力かを思い知らされる。大規模な
災厄は単なる背景ではなく、登場人物の信念や制度の脆さを暴き出す装置になることが多い。象徴が露にするのは個人の恐怖だけでなく、集団の利害や歴史的トラウマだ。
'進撃の巨人'を例に考えると、外的な脅威が内的対立や政治的陰謀を浮かび上がらせる役割を果たしている。私が惹かれるのは、わざわいが単純な敵対図式を壊して、誰が被害者で誰が加害者かを揺さぶる点だ。象徴的災厄は物語の道義的グレーゾーンを拡張し、読者に「あの状況なら自分はどうするか」という問いを突きつける。
加えて、わざわいは記憶の媒介にもなる。出来事そのものが語り継がれる過程で、美化や否認が生まれ、結果としてテーマとしての正義・報復・和解が複雑に絡み合う。私の視点では、象徴的災厄は単に怖がらせるためではなく、物語を倫理的熟考へ誘うための強力なレバーであり、それが作品の深みを生む要因だと考えている。