画面に映る一瞬を追っていると、アニメは原作の“密度”を別の方向に変換して見せることが多い。例えば『進撃の巨人』では、コマ割りで表現される静的な緊張が、アニメだと動きと音で一気に解放される。私が感じたのは、原作の細かな心理描写がサウンドトラックやカメラワークによって感情の波として立ち上がる瞬間で、原作でじっくり読むときとは違う衝撃が来るということだ。
アニメ化で省略される描写もあるが、その分だけ新しい表現で補ってくる場面が目立つ。たとえばモブの視線や背景の陰影といった、原作では一コマで済まされる要素がアニメでは数秒の演出に変わり、物語全体の雰囲気を作るために働く。私はこの補完の仕方に、賛否両論あるのは当然だと思うが、アニメは“見せる”ことで別の物語の層を生み出す道具でもあると感じる。
結局のところ、原作の“
思いの丈”が丸ごと再現されることは稀で、削る部分と足す部分の取捨選択が作り手の解釈を反映する。視聴者としては、原作の骨子とアニメの演出のどちらが胸に響くかで受け取り方が変わる。個人的には、原作を再読しながらアニメの演出を思い出すと、新たな発見があることが多いと感じている。