『
ディパーテッド』の音楽に耳を向けると、まず音色の対比と配置が緊張感の核になっていると感じる。ハワード・ショアによる得体の知れない低音のうねりや、断片的な弦の刻みが背景に常に存在していて、画面の危うさを下支えしている。そこへパンクやケルト・パンクのような外部の楽曲が挟まれることで、暴力や日常の間にギャップが生まれ、観客は安心できない状態に置かれる。
さらに、音と編集の同期が巧みで、短い音の切り替えが視覚のカットと噛み合うと心拍を揺さぶる。特に『ディパーテッド』のような二重生活や裏切りが主題の作品では、音がキャラクターの内面を代弁する役割を担っていると考えている。私はこの手法が、劇的なクライマックスに至るまでの不穏な積み重ねをじわじわと強化していく様子に毎回引き込まれる。
比較するなら『タクシードライバー』が静謐さと不協和音で個人の狂気を描いたのに対し、こちらは外的な騒音と劇的なスコアのぶつかり合いで都市そのものの危険さを描く。結果として、音楽は単なる伴奏ではなく、緊張そのものを生成する装置になっていると感じる。