5 Answers
この小説を初めて読んだ時、文体の難解さに戸惑ったが、それは意図的な仕掛けだと気付いた。フォークナーは綿密に計算された長文と複合的な視点で、読者をサトペン家の呪われた歴史に巻き込む。例えば、ヘンリーとボンの関係性が明かされる第7章の、息をのむような時間的跳躍は、まさに文学的な妙技だ。
『過去は死んでいない。過去ですらなかった』という有名な一節が示すように、サトペン家のトラウマは現在進行形で息づいている。ミス・ローズの語りに現れる『ゴシック的』な要素―幽霊、血、近親相姦―は、単なる演出ではなく、人種差別というアメリカの原罪を表現するための必然だった。読み進めるほどに、語り手たちの言葉が互いに食い違い、真実が溶解していく過程に戦慄を覚える。
『アブサロム、アブサロム!』の核心は、記憶の不確かさと語りの暴力性にあると思う。ローズ・コールドフィールドの狂気じみた独白から、クエンティンとシューベイの大学寮での会話まで、誰もが自分なりの『真実』を主張しながら、結局は虚構の層を重ねていく。フォークナーが示したのは、歴史とは固定された事実ではなく、語り手の情念にゆがめられる鏡像だ。
サトペン家の没落を『旧約聖書』のダビデ王家の物語と重ねる構成も秀逸だ。タイトルの『アブサロム』はダビデの逆子を指すが、ここでは人種的純血に執着したトーマス・サトペンの愚行が、息子たちを呪いとして返ってくる点に悲劇の深みがある。語り手たちの熱病のような言葉の洪水が、逆説的に沈黙の核心を浮かび上がらせる手法は圧巻だ。
フォークナーの傑作が扱うテーマは、人種・階級・家族というアメリカ南部の三重苦だ。トーマス・サトペンという人物は、貧しい出自から這い上がろうとした野心家だが、その手段が彼を怪物に変えた。黒人奴隷との混血児チャールズ・ボンを拒絶した決断が、結局は家系の断絶を招くという皮肉。
興味深いのは、語り手たちがサトペン家の物語を『所有』しようとする点だ。クエンティンはこの物語に引きずり込まれ、最終的には自殺へと至る。これは単なる物語の消費ではなく、歴史の重みに押し潰される過程を描いている。フォークナーの真骨頂は、個人の悲劇を超えて、社会全体の病を照射するところにある。
『アブサロム、アブサロム!』のすごみは、一つの事件を多角的に照らし出す構成力だ。同じ出来事がローズのヒステリックな証言、クエンティンの分析的視点、シューベイの冷静な観察で全く異なる色合いを見せる。これは単なる文体実験ではなく、人間の記憶とはそもそもそんなものだという痛烈な指摘だ。
サトペンの『百年の孤独』にも通じる運命感は、個人の選択が何世代にもわたる禍根を残すことを示している。特に、黒人血統への恐怖が家系を破滅へ導く様は、アメリカの奴隷制の遺産を鋭くえぐる。最後まで謎として残されるジュディスの運命が、読者に投げかける問いの重さが忘れられない。
フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』は、南部の没落した名家サトペン家を中心に、人間の欲望と破滅を描いた重厚な叙事詩だ。複数の語り手が異なる視点から物語を紡ぐことで、真実が相対化されていく手法が特徴的で、読者はまるでジグソーパズルを解くように物語に向き合うことになる。
特に興味深いのは、トーマス・サトペンが『設計』と呼ぶ野望の崩壊過程だ。彼が築こうとした『完璧な家系』は、人種差別や近親相姦といったタブーの連鎖によって瓦解していく。この作品は単なる家族の悲劇ではなく、アメリカ南部が抱える歴史的トラウマの暗喩として読むべきだろう。最後に残るのは、過去に囚われた人間たちの無力さと、語り継がれること自体が持つ暴力性だ。