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漫画『チェンソーマン』でデンジが「オレなんか一顧だにされない」と自嘲するシーンが印象的だった。ここでは「顧みる」という行為の希少価値が逆説的に描かれている。
歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』にも「一顧の情け」という台詞があり、ちょっとした注目が命を救う展開がある。同じ言葉が全く逆の文脈で使えるのが日本語の面白いところだ。
『スパイ・ファミリー』のヨルが標的を「一顧だにせず」やり過ごすシーンを見て、この言葉の持つ力強さに気付かされた。単なる無視ではなく、意識的に視線を向けず危険を回避するプロの判断として描かれていた。
戦略シミュレーションゲームでも、弱小勢力を「一顧の価値もない」と切り捨てる描写がある。現実のビジネス会議で「その案は一顧に値しない」と言われたらかなり辛辣な否定だ。
面白いのは、江戸時代の浮世絵に「一顧美人」というジャンルがあったこと。ちらりと振り返る女性の一瞬の表情を捉えたものらしい。同じ言葉が評価と軽蔑の両方に使えるのが日本語の深みだ。
友人と『鬼滅の刃』の煉獄さんについて話していた時、「彼は路地裏で倒れている主人公を一顧だにせず通り過ぎた」という意見が飛び出した。ここでの「一顧」は文字通り「一瞥する」行為そのものではなく、注目に値しないと判断する心理的態度を表している。
平安文学だと『源氏物語』の「帚木」の巻で、女性が男性の求愛を「一顧だにせず」という表現がある。千年経っても人間の心理は変わらないんだな、と妙に納得した記憶がある。現代でもSNSで話題のコンテンツに対して「一顧だにしない」とあえて言うことで、自分が流行に流されないというアピールに使ったりする。
ライトノベル『無職転生』で主人公が「貴族たちから一顧だにされない」と嘆く場面がある。ここでの用法は社会的地位の低さを強調するもので、中世ヨーロッパ風の世界観に日本語の古風な表現が意外とマッチしていた。
実際の使用例を調べると、明治時代の新聞記事に「政府は民衆の声を一顧だにせず」という批判的な使われ方も見つかる。政治的な文脈では強い非難の意味合いを含むようだ。
この言葉に出会ったのは高校時代の古典の授業だった。『史記』の故事で「一顧の価値」という表現が登場し、ここでの「一顧」は「ちらりと見ること」を指していた。
現代では「一顧だにしない」という否定形で使われることが多く、全く気に留めない様子を強調する。例えば『進撃の巨人』で調査兵団が壁外に出る際、保守派の人々から「一顧だにされなかった」という描写がある。作品内での使われ方を分析すると、軽蔑や無関心のニュアンスが強いことがわかる。
興味深いのは、中国語では「一顧傾城」という美しい女性を讃える成語にも転用されていること。日本語との用法の違いが文化の隔たりを感じさせる。