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『伊勢物語』の第九段で、主人公が高貴な女性に恋心を抱きながら『畏れ多くて』近づけないでいる描写があります。この『畏れ多い』には、身分の違いからくるためらいと、強い恋慕の情とが同居しています。平安貴族の恋愛における階級意識がよく表れた場面です。
『伊勢物語』は和歌を交えた物語ですが、このような簡潔な表現の中にも当時の恋愛観が凝縮されています。身分社会ならではの複雑な心情が、短い言葉の中に生き生きと描かれているのです。
紫式部の『源氏物語』には、『畏れ多い』という表現がしばしば登場します。特に印象的なのは、光源氏が藤壺の宮に対して抱く複雑な感情を描写する場面です。彼女は義理の母でありながら、光源氏が密かに恋慕を抱く存在。その立場の違いから生まれる遠慮と尊敬の念が、『畏れ多い』という言葉に凝縮されています。
当時の宮廷社会では、身分の高い人々に対する敬意が非常に重要視されていました。『畏れ多い』という表現は、単なる恐れではなく、社会的な立場と個人の感情の狭間で揺れる心理を巧みに表現しています。現代の私たちには理解しにくいニュアンスかもしれませんが、この一語に当時の複雑な人間関係が込められているのです。
『枕草子』の中で、清少納言が中宮定子に仕える様子を描いた箇所に『畏れ多い』という表現が見られます。ここでは、身分の差を感じつつも心から敬愛する主人に対する、清少納言の率直な心情が伝わってきます。当時の女房文学ならではの、微妙な心理描写が光る場面です。
この場合の『畏れ多い』には、単なる形式的な敬意ではなく、才能あふれる定子に対する畏敬の念が込められています。清少納言は定子の知性を心から尊敬しており、その気持ちが『畏れ多い』という言葉に表れているのです。宮廷生活の日常の中に、深い人間観察が見て取れる興味深い例と言えるでしょう。
『平家物語』の冒頭近くで、清盛が後白河法皇に対して『畏れ多くも』と述べる場面があります。ここでの『畏れ多い』は、権力者に対する形式的な敬意以上に、清盛の野心と法皇への複雑な感情がにじみ出ています。武家が台頭し始めた時代の緊張感が、この言葉の裏側に感じ取れるでしょう。
この表現は、表面的には恭順を示しながら、実際には権力闘争が進行している状況を象徴的に表しています。古典作品における『畏れ多い』には、言葉通りの意味と、登場人物の本心との乖離を表現する役割があるのです。