英訳作業でいちばん気になるのは、主語と時間感のあいまいさが英語でははっきりしてしまう点だ。歌の中で『天体観測』が放つ曖昧な視線――誰が誰に向けて話しているのか、過去の出来事を回想しているのか、その場の感覚を語っているのか――これらは日本語の助詞や語尾の揺らぎによって柔らかく保たれている。英語にする段になると、たとえば“君”を“You”に直訳すれば直接的になりすぎるし、主語を省けない場面では語りの距離感が変わる。
たとえば「君と見た空」のような一節を訳すとき、直訳の“You and I watched the sky”は行為の主体を明確にする。だが原文では誰が主体なのか曖昧な余地が残り、その余白が聴き手の記憶を呼び起こす効果を生んでいる。英語ではそれを“the sky we once watched”のようにして曖昧さを残す手はあるが、語順や冠詞の処理でニュアンスが微妙に動く。
個人的には、訳すときに主語の露出を最小限にして原曲の余白を守る工夫をする。一方で歌として英語でも自然に歌えるかどうか、メロディとの兼ね合いを考えるとやむを得ず意味を明確化することもある。そこがいつも葛藤になる部分だと思う。