歴史資料をつなぎ合わせてみると、学術研究は
ブラッディーマリーの起源を「単一の発明」ではなく複数の流れが交差した過程として説明することが多い。私の関心は一次資料の追跡にあるので、古いメニュー、新聞記事、バーテンダーの回想録といった証拠を丹念に読み比べることで、この飲み物がどう変容してきたかを示せると考えている。
具体的には、フランスのバーで働いていたアメリカ人バーテンダーがトマトジュースとスピリッツを混ぜたレシピを持ち帰り、そこから各地でスパイスやウスターソースなどが加わって現在の形になった、という系譜が学界で支持されている。フェルナン・ペティオという人物の名や、パリのある店での活動が文献に現れることも多く、後年の資料では名前が『レッド・スナッパー』といった別称に移行する例も見られる。
語源については、王族の名に由来するとの説や、店や女性の名前に由来する俗説が多数あり、学術的にはどれも決定的な一次証拠が不足しているため慎重に扱われる。要するに、研究者は文献学的アプローチと社会史的文脈の両面から連続性と変異を追い、単一説よりも重層的な起源像を提示することを好むと私は理解している。