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面白いことに、戦国大名によって家来の使い方にかなり違いがあったんですよ。織田信長は能力本位で家臣を登用したけど、毛利元就は一族を要所に配置するのが特徴的。家来といっても、槍一本で戦場を駆け回る者もいれば、算盤を握って年貢米の計算に明け暮れる者もいた。
特に興味深いのは、武家の女性たちが裏方として果たした役割。当時は男性中心のイメージが強いけど、実際には夫や息子の留守を守り、領地経営を支える女性家来も少なくなかった。戦国時代の武士団は、現代でいう総合商社のような多面的な機能を持っていたと言えるでしょう。
戦国時代の家来の役割を考える時、忘れてはいけないのが情報収集の専門家としての側面だ。忍者と呼ばれる人々だけでなく、商人や農民に変装して敵地に潜入する者もいた。『信長公記』には、雑用係として敵城に潜入し、内部の様子を探った家来の記録が残っている。
文化面での貢献も見逃せない。茶の湯や連歌に通じた家来は、主君の教養を高める役目も担っていた。戦場での活躍ばかりが注目されがちだが、平和的な交流を通じて主家の威信を高めるのも重要な任務だったのだ。こうした多様な能力が求められたからこそ、戦国大名は人材育成に力を入れていた。
武士団における家来の存在は、現代の企業組織に例えると分かりやすい。若手は現場で経験を積み、中堅は部門をまとめ、ベテランは経営陣として方針を決定する。戦国時代も同様で、新参者はまず雑用から始め、次第に重要な役職を任されるようになる。
興味深いのは、主君との距離感。身分的には上下関係でも、特に有能な家来にはかなりの裁量権が与えられていた。例えば上杉謙信の家臣・直江兼続のように、政治から軍事まで幅広く関与する者も少なくなかった。戦国時代の成功は、いかに優秀な家来を抱えるかにかかっていたと言える。
戦国時代の家来たちは、単なる従者ではなく主君の手足となって働く存在だった。軍事面では合戦時の指揮官として部隊を率いることもあれば、平時には領地経営や外交交渉を担うことも多かった。例えば『甲陽軍鑑』に描かれる武田家の家臣団のように、専門分野ごとに役割が細分化されていた。
一方で、譜代の家来と新参者では立場が大きく異なり、譜代は政治的な意思決定にも関与する場合があった。特に幼少期から主君と共に育った側近は、公私にわたる相談役として絶大な影響力を持っていた。城下町の整備や農政改革といった内政業務も、有能な家来に任される重要な仕事だった。