あの終わり方が残す余韻は、言葉にしにくい種類の不穏さだ。
画面の最後で揺れるものが示しているのは、単なる事件の結末ではなく、関係性の揺らぎと倫理の
はざまだと感じる。兄弟の関係や罪の帰属が明確に片づけられないまま、観客は説明を補完するよう促される。自分は、そこにある無言の合意や見て見ぬふりの重さを読み取る。カメラが人物を遠ざけるように配置される瞬間に、語られない事実がより強く響く。
音や間の使い方も重要で、沈黙が真実を覆い隠す一方で、観る者の想像を暴走させる。自分は、ラストの余白に監督の問いかけが詰まっているように思う。つまり、正しさや罪をひとつのフレームで示すことを拒み、むしろ観客の良心を試す形で終わるのだ。そう解釈すると、映画全体が一つの道徳実験のように見えてくる。『東京物語』の静かな終わり方とは違う鋭さが、そこにはあると感じる。