言葉の抑揚に注目すると、『成る程』の翻訳はかなり幅が出ると気づかされる。時には理解の合図、時には驚き、あるいは
呆れや皮肉を含むこともあって、同じ単語でも訳し分けが必要になる。
自分は時折、ファン字幕と公式字幕を比べて違いを楽しんでいる。例えば優しい納得を示す場面では英語公式が "Oh, I see" と柔らかく訳している一方で、あるファン字幕は登場人物の年齢や性格を反映して "I get it now" と言い切ることでより能動的な理解を表現していた。日本語の短さをそのまま保つのか、英語で少し膨らませて感情を補完するのかは翻訳者の判断に委ねられる部分が大きい。
具体例として、映画『千と千尋の神隠し』のような微妙な心情の動きが重要な作品では、直訳の "I see" だけだと温度感が伝わりにくく、訳文に語尾や間を加えて "Oh—I see now" のようにニュアンスを補うケースが目立つ。こうした細かな差が、キャラクターの立ち方を左右するのが面白いところだ。