翻訳現場でよく考えるのは、
躍りというのが単なる動きの集まりではなく、身体に刻まれた歴史やコミュニティの言語でもあるという点だ。海外向けに描写をローカライズするとき、私はまずその踊りが何を伝えようとしているのかを分解する作業から入る。例えば『ラ・ラ・ランド』のような作品では、ダンスそのものがキャラクターの葛藤や夢を表現しているので、単に「踊る」と訳すだけでは足りない。動きの種類、使われる音楽のジャンル、観客と演者の関係性――これらを注釈や訳注で補うか、字幕の枠内で言い換えるかを判断する。
次に選ぶのは戦略だ。外来性を残して文化的特異点を知らせる「外国化」と、受け手の理解を優先して身近な例に置き換える「自国化」のどちらを採るか。私は場面の意図やターゲット層に応じて使い分けることが多い。歌やリズムが重要な場面では、歌詞の意味やテンポ感を優先して意訳し、舞踏の由来や儀礼的意味合いは脚注や解説パネルで補足することが多い。
最後に倫理的な配慮を欠かさない。躍りを「魅力的なエキゾチック」として単純化すると、元のコミュニティや踊り手への敬意を失う危険がある。だから私は元の文脈を伝えるために映像のショット構成や音響、クレジット表記の工夫まで提案することがある。こうした細かな仕事が、踊り文化をただの見世物にしないローカライズにつながると感じている。