翻訳の現場でこういう短い句に出会うと、いつもワクワクする。何気ない四文字でも、文脈や時代、書き手の思想によって受ける印象はがらりと変わるからだ。
まず最初にやることは文脈の把握だ。自分はその語がどこにあるか(章題、本文の一言、登場人物の独白など)を確認し、周囲の文章や作品全体のトーンを読み取る。古典中国語の簡潔な表現は文法的に曖昧になりやすいので、『
我知無知』を「我(は)知る、無知(を)」と読むのか「我、知る無知(を)」と読むのかで訳が変わる。訳語候補としては例えば「I know that I know nothing」「I know that I am ignorant」「I am aware of my ignorance」「I know nothing」といった幅が出るが、どれを選ぶかはその句が果たす役割(謙遜、哲学的自覚、皮肉、断定など)によって決める。
次にトーンと読者を考える。学術的な論考や注釈付き版なら原語の構造や背景を明示してやや直訳寄りにし、注釈で引証や語義を補うのが安心だ。一方で小説や詩の翻訳で読み手の没入感を優先する場合は、英語として自然に響く表現を優先して訳し、必要なら短い訳注で由来や多義性を説明する。たとえば登場人物の内省的な台詞なら「I'm aware of my ignorance.」のように柔らかい言い回しにしても良いし、古典的・哲学的な響きを残したければ「I know that I know nothing.」を選ぶ。どの選択にも長所と短所があり、訳注はその判断過程を読者に示す役割を果たす。
訳注の書き方については実務的なガイドラインがある。まずは簡潔に:原文の直訳的な語順や語義分解(我 = I、知 = know、無 = not/absence、知 = knowledge/know)を示す。次に文化的・思想的参照を補足する。ソクラテスの「I know that I know nothing」との比較、あるいは儒教・道教・仏教における無知・自覚の概念の違いを一両文で書く。さらに訳語選択の理由を明記することで読者が訳の意図を理解しやすくなる(例:「原文の簡潔さと作者の謙遜的意図を尊重し、'I'm aware of my ignorance.'を採用した」)。注の長さは作品と読者層に合わせて調節する:小説なら短く、学術書なら詳細に。
最後に実務的なチェックを忘れない。類似表現が他の箇所で繰り返されていれば統一を図り、別の版や注釈書、専門家の意見も参照する。場合によっては原文の漢字を本文に併記し、辞書的な語義一覧を巻末に置く手も有効だ。こうして訳語と訳注を組み合わせれば、単なる直訳でも意訳でもなく、原文の曖昧さや含意を読者に伝える翻訳ができると考えている。