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第4話

Author: こはりね
私は床に叩きつけられ、そのまま痛みにのたうち回った。

それでも、貴雅は容赦しなかった。蹴りが体に突き刺さり、怒声が浴びせられる。

「今すぐ病院へ行って、香里に土下座してこい!」

彼は私の手首を乱暴に掴み、そのまま玄関まで引きずっていった。

床には、私の血が引きずられたような鮮やかな痕が、くっきりと残っていた。だが、彼の目は一度たりともそこへ向けられることはなかった。

玄関先には、年彦が冷たい視線を落として立っていた。その目には、失望の色が浮かんでいた。

「ママ、どうしてそんなことするの?

今日、香里おばちゃんにちゃんと謝らなかったら、僕もパパも、ママのこと一生許さないから」

痛みが全身を駆け巡り、意識が遠のいていく。彼の言葉さえ、もう頭に入ってこなかった。

そのまま病院に連れて行かれ、廊下の片隅に放り出された。

「そこで跪いてろ!

香里が目を覚ましたら、ちゃんと謝れ!」

ぼんやりとした意識の中で、私はその場に崩れ落ち、そのまま意識を失った。

貴雅の目に、私を案じる気配は一切なかった。ただ、嫌悪と軽蔑だけが滲んでいた。

どれほどの時間が経ったのだろう。

ゆっくりと、まぶたが開く。

視界に映ったのは、懐かしく、そして心の奥に深く刻まれた顔。

私の親友、佐伯寧々(さえき ねね)だった。

寧々の目は真っ赤に腫れ、瞳には悲しみと怒りが入り混じっていた。

「……寧々……」

私のか細い声が届いた瞬間、彼女の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「詩織……いつからこんなことになってたの?

どうして……もっと早く言ってくれなかったの?」

私はそっと、寧々の手に触れる。

「まだ怒ってると思ってたから」

あの頃、私が貴雅と付き合い始めたとき、寧々は必死に止めようとしてくれた。

「あいつは冷たくて、自分のことしか考えてない。そんな人、あなたを幸せにできるはずがない」

彼女は、そう言っていた。

結婚相手としても、絶対にふさわしくないと。

でも私は、聞く耳を持たなかった。どうしても彼と一緒にいたかった。

今思えば、寧々は最初からすべてを見抜いていた。だからこそ、あんなにも強く反対してくれたのだ。

「私が怒ってたのは、詩織が自分のことを大切にしなかったからだよ。

あんなクズと結婚なんて……

今の詩織を見てごらんよ……

……はぁ……」
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