Share

第32話:再会の爪痕

last update Last Updated: 2025-06-08 20:20:10
クラウディア使節団が王城へと入城したのは、午前の陽光がまだ柔らかさを残す頃だった。

旗印を掲げ、整然と行進するその一行は、リリウスの目にまぶしすぎるほど鮮やかに映った。銀糸を織り込んだ藍色の軍装、見慣れた紋章。そしてその中央、馬を降りる青年の姿に、リリウスの胸が痛むほど波打つ。

──ヴェイル=アランディス。

かつての幼馴染。王家に連なる分家の生まれであり、すでに自らの番を持つα。そして何より、リリウスが“本当の自分”でいられた数少ない相手だった。

「リリウス……無事で、本当に良かった」

ヴェイルが口を開く。声音も、表情も、あの頃のままだった。

「……ヴェイル……」

声が出そうになる。そのときだった。

「これ以上の会話は許可していない」

横から伸びてきた手が、リリウスの腕を乱暴に引いた。

レオン=アルヴァレス。

「リリウスは我が国の王太子妃の位にある。クラウディアの王子であったのは以前のことだ。外交儀礼の名のもとに不必要な接触は控えていただこう」

その言葉に、ヴェイルの視線がわずかに鋭くなる。

「……必要か否かを判断するのは、王太子殿下ではなく我々です」

背後に控えていたマリアン──ヴェイルの番であり、外交官としての地位を持つオメガの女性が静かに進み出た。

「リリウス=クラウディア様の心身の安全を確認するのは、クラウディアから派遣された使節団の正当な権利と認識しております」

王太子の眉間にかすかな皺が刻まれる。

「……ならば、その確認はこれで十分だ。彼は無事だ。この国でも丁重に扱っている。これ以上深入りする必要はない」

その言葉の端々に滲む苛立ち。ヴェイルは、リリウスへと視線を戻す。

「本当に、大丈夫か?」

その目には、飾らぬ友情と憂慮があった。

リリウスは短く頷きかけ──それすらもレオンの視線に遮られた。

「リリウス、そろそろ下がれ」

「……っ」

その場を立ち去るよう強く促され、リリウスは一礼し使節団の前を離れた。

だがその背には、ヴェイルとマリアン、双方の視線が確かにあった。

***

その日の夕刻、王城内の応接室。

リリウスは無言のまま、机上に置かれた茶に手を伸ばすことなく座っていた。

レオンは椅子にもたれ、窓の外を見やる。

「クラウディアは、お前を必要としている。だがそれは、今のままでは不可能だ。だからこそ、我々が“正しい番”であることを示さねばならない」

「…
めがねあざらし

読んでいただいてありがとうございます! 応援いただけると嬉しいです♪

| 2
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第60話:一輪の選択

    王宮の会議室には、春の陽射しが静かに差し込んでいた。それはいつものようでいて、何かが違う朝だった。神王アウレリウスの下に、各機関の要人が集まり、ひとつの議題が告げられる。──リリウス=クラウディアの正式な処遇について。宮廷、神殿、軍部、魔塔、外務庁、そして王族の席。重ねられた視線の先に、リリウスがいた。その表情に迷いはなかった。「発言を、願います」一歩、壇上に出る。背筋はまっすぐ、声は澄んでいた。「僕は、クラウディアに保護されたわけではありません。保護された立場から始まったのは事実ですが、今、ここに立つのは僕自身の意志です」重い沈黙が落ちた。「僕は“逃げてきた”王子です。そして“棄てられた番”です。婚約という名で囲われ、手段として扱われてきました。ですが今、この国は──僕に選択を与えてくれている」胸元に手を置く。「王位継承権について。……僕は、これを放棄します」ざわめきが広がった。継承権放棄は、すなわち“王族としての道を降りる”という意味を持つ。だが、リリウスは言葉を重ねる。「元々はアルヴァレスに嫁ぐ時点で消滅していたものです。……でも僕はこの国に残ります。今の僕には確かに肩書きは曖昧です。けれど、誰かの所有物でも、道具でもない。僕は、僕自身としてここに立ちたい」会議の空気が、わずかに変わった。誰もが、目の前の若き王子を見ていた。逃げ出した少年ではなく、“自分の意思を持った存在”として。だが、次に発言したのは、意外な人物だった。「発言を、許可願います」カイル=ヴァルド。連邦軍総帥にして、連邦元首の息子──そして次期元首に最も近い男。「ヴァルド連邦としての公式立場は、今後外交官に委ねられるべきでしょう。ですが、ここで語るのは、あくまで一個人──“カイル”としての意志です」静まり返った場で、彼は真正面からリリウスを見据えた。「自分は、婚姻や国家間の利害から離れて、リリウス=クラウディアの背を守ると決めています。王子としてでも、特別大使としてでもない。ひとりの人間として、この人の選んだ立場と戦いを、支える覚悟です」それは、どの政治声明よりも重い一言だった。リリウスの表情が、かすかに動く。その瞬間、神王アウレリウスが立ち上がった。誰もが次の言葉を固唾を呑んで待つ中──兄は、ただ一言、こう言った。「……好きにし

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第59話:夜の問い

    王宮の中庭に、夜の帳が降りていた。水面に映る灯火がゆらゆらと揺れ、満ちかけた月が高窓の向こうに静かに光を落とす。昼間の喧噪が嘘のように、庭園はただ静かだった。リリウスはひとり、石畳の縁に座っていた。花壇の影に咲くのは、寒さに強い冬椿。けれど蕾の奥には、確かに春を待つ鼓動があった。「……ここにいたか」背後から、低い声がした。リリウスは振り返らなくても、誰だかすぐにわかった。「なんだか、眠れなくて」「同じだ」足音が近づき、隣に腰を下ろす気配がする。カイル・ヴァルド。連邦軍総帥。クラウディアでは“客将”とも称され、冷静で沈着な軍人として知られる男。その横顔は、夜に似ていると思ったことがある。静かで、深くて、触れようとすると遠ざかる。しばらくの沈黙。やがて、カイルがぽつりと尋ねた。「──君は、どうしたいんだ?」リリウスはすぐには答えなかった。庭の片隅で風が葉を鳴らし、ふたりの間に時間が落ちていく。「……どうでしょうね」リリウスは小さく息を吐いた。「僕がヴァルドへ“特別大使”として赴くのは、実質的な国外退避だと思ってます。それは逃げることかもしれない。でも……そのことで戦を回避できるなら、意味のある選択だとも思う」「そして、君はその一方で、戦場に出る覚悟もあると?」「はい。僕は……引き金なんです」その言葉に、カイルが目を細めた。「君は本気で、自分を“責任そのもの”だと思ってるんだな」リリウスは笑わなかった。ただ、うつむいたまま頷いた。「僕が何もしなければ、今この国がこんな緊張に晒されることはなかった。僕が逃げ出したから、婚約が破られ、王国は怒り、民衆は煽られて……」「──それは違う」静かに、しかし断定するような口調で、カイルが言った。「君が選んだのは、“生き延びる”ことだ。それは、どんな軍略や政治よりも、正しい行動だと思う」「でも、今はもう、僕のせいで……」「君のせいだけじゃない。いや、そもそも“誰か一人のせい”で起きる戦なんて、存在しない。それに“元凶”は君ではない」リリウスが視線を上げると、カイルは遠く、王宮の塔の灯りを見つめていた。「ヴァルドが動いている。元首──俺の父は、機を見ている。クラウディアがどこまでリリウス=クラウディアを“本気で守る”つもりかを試している」「試す?」「ああ。連邦はアルヴァレス

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第58話:神王の打診

    王宮の高窓から差し込む朝の光が、薄く靄のかかった空気を照らしていた。季節は春。けれど、そのやわらかな光にも、王都に流れる空気はどこか重たかった。神王アウレリウスは、王座の間にリリウスを呼び寄せていた。侍従も側仕えも遠ざけ、二人きりの謁見だった。「……王位継承の件について、話さねばなるまい」重い沈黙ののち、神王が口を開く。その声は兄としてではなく、国の頂に立つ者としての響きを帯びていた。「継承権を“棚上げにすべきだ”という声が、側近の中でも上がっている。お前を公的には王子として遇しながらも、王位継承順位から外すという案だ」リリウスは小さく目を見開いた。それは、思っていたよりも現実に近い話だった。だが──「……兄上は、その案を受け入れるおつもりですか?」問いに、アウレリウスは少しだけ視線を外す。「……私は、反対だ」その言葉に、リリウスの胸に奇妙な温もりが灯った。「でも……まだ僕に継承権がある方がおかしいですよ。僕は一度、王家を離れると決められた人間です」「おかしくなどない。お前は私の弟だ。クラウディア王家の血を引き、この国に戻った」兄の言葉には、激情はなかった。ただ、静かな願いが込められていた。「だが、現実として、お前の存在はこの国にとっても、周囲の国々にとっても“火種”になりかねない。だからこそ、別の選択肢も考えている」アウレリウスは、脇の卓にに置かれた一枚の文書を指さす。「名目上は“特別大使”。クラウディアの意志を象徴する存在として、ヴァルド連邦との交渉の場に立ってもらう」それは言い換えれば、国外退避であった。政治的には保たれるが、国内の混乱を避けるため“外”へ送る。──守るために遠ざける。その判断。リリウスは、アウレリウスから視線を外さないまま静かに口を開いた。「それはつまり……僕を“逃がす”ということですか」「それだけではない。戦を避けたい……というのもある。できるなら、誰も死なせたくない。そのためにお前を前に出すべきではない」「でも、僕は……引き金になったんですよ?」言葉に鋭さはなかった。ただ、どうしようもない事実を告げる声音だった。「僕の存在が、戦争を呼ぶというのなら……僕は、その責任を果たすべきです」アウレリウスが、目を細める。「責任とは、前線に立つことか?」「必要ならば。僕はもう、“守られ

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第57話:反転する世論

    春の兆しとともに、クラウディアとアルヴァレスの間に広がったのは、剣よりも鋭い“情報戦”だった。アルヴァレス王国では、王太子レオンの名のもと、ひとつの言説が急速に広がり始めていた。──王子リリウスは、クラウディアによって誘拐された。──神罰を恐れた王国が、無理やり連れ帰ったのだ。──リリウスの意思ではない。それは、王宮が公式に流布したとは明言されていなかった。だが、王国の主要な報道機関が一斉に同じ論調で報じたことで、民衆の信頼は傾いた。「我らが王太子は、神子を心から愛していたのに……」「クラウディアはリリウス殿下を道具として使う気だ!」「アルヴァレスの名誉を取り戻せ!」広場には抗議の声が響き、街角には神殿関係者による布教とともに、偽りの奇跡談が語られた。王子リリウスは“奪われた”。──その物語は、王国にとって都合の良い幻想として定着していった。一方、クラウディアでは、まったく逆の風が吹いていた。リリウス=クラウディア──祖国を追われ、自由を奪われた“神子”が、長い迫害と束縛の果てに帰還した。そして、いま再び王国に立ち、争いを避ける道を選び取ろうとしている。「神王の弟にして、神の恩寵を受けたΩ」「自らの運命を拒まず、しかし他者の犠牲を望まぬ王子」「この国に、真の平和をもたらす存在」王都の書店では彼に関する冊子や評伝が急増し、街角の演説家がその“魂の自由”を語り、市場ではリリウスを模した彫像すら売られていた。人々の口にのぼる言葉は、憧れと敬意に満ちていた。──だが、その当人だけは、静かに孤独を感じていた。※王宮の一室。柔らかな日差しが窓から差し込む中、リリウスは机に積まれた文書の山を見下ろしていた。新聞の切り抜き。市民から届いた手紙。貴族の祝辞。神官の推薦状──。「……なんだろう、これ」ふと漏らした声は、かすかに困惑を帯びていた。「自分じゃない誰かが、勝手に“理想の僕”を作ってるみたいだ」鏡に映る自分の顔が、誰かの描いた偶像に見える。王子として、Ωとして、神子として。人々が勝手に期待を投げかけ、そしてその虚像に酔っている。カイルが部屋に入ってきたのは、そのときだった。「調子はどうだ?」「……わかりません」リリウスは椅子の背にもたれたまま、目を伏せる。「僕は……戦いたかったわけじゃない。逃げたかっただけ

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第56話:王太子の返答

    その日、王宮に朝の光が差し込むよりも早く、クラウディア王国外務庁の扉が厳かに開かれた。アルヴァレス王国より、正式な外交文書が届いたのである。一見して、それはただの使者による通達文にすぎなかった。だが、そこに封印された紋章と添えられた国璽は、明確に告げていた。──これは、王太子レオン自身の意志である、と。王宮の大広間。神王アウレリウスをはじめ、重臣、軍部、神殿、魔塔、それぞれの代表者が列席する中、外務卿が文面を読み上げた。「第一条:王子リリウス=クラウディアとアルヴァレス王太子レオンとの婚約は、王国法に基づき成立しており、いかなる理由によっても破棄されるものではない」「第二条:王子リリウスの無断出国および国外亡命は、王国に対する明確な背信行為であり、これは“国家反逆”に該当する」「第三条:よってクラウディア王国に対し、当該王子の即時返還を要求する」会議の場に、重く、冷たい沈黙が流れる。リリウスは、その中で静かに目を伏せていた。言葉に出されるまでもない。あの国が自分をどう見ていたか、どう利用してきたか、改めて突きつけられたにすぎない。(婚約……? あれが……)記憶の奥で、震えるような夜の声がよみがえる。誓いの言葉ではなかった。あれは縛るだけの契約だ。縛り、囲い込み、逃がさないための鎖だった。王太子の名で、再び突きつけられた“所有”の印。「クラウディア王国としては、これにどう対応するか──」外務卿の問いに、神王アウレリウスはゆっくりと首を上げた。「クラウディア王国は、王子リリウス=クラウディアの意思と人格を、王権と同等に尊重する」その言葉に、場がざわめいた。それは即ち──要求の拒絶を意味していた。「アルヴァレス王国からの文書に含まれる条項のいずれも、我が国の基本理念──すなわち“個人の尊厳の不可侵”に照らして、受け入れることはできない」アウレリウスの声には、怒りも衝動もなかった。ただ、王としての明確な意思だけがあった。「返還要求は、丁重に拒絶する」言い終えたとき、場の空気が一段と引き締まった。クラウディアは明確に立場を示した。もはや、亡命者の庇護ではない。この地に“王子”として立つ者の意志を、王国は守る。※「……この返答は、戦を招く可能性がある」会議後、カイルはアウレリウスの執務室でそうつぶやいた。窓

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第55話:公と私のはざま

    王宮の一角に、ひときわ目を引く気配が戻ってきた。──ヴェイル=アランディス。クラウディア王家に連なる分家の生まれ。王族ではないが、王権に近い血を引く者。軍と魔塔、双方に太いパイプを持ち、若くして使節団長に任じられた外交官。そして──彼は、かつてのリリウスの幼馴染でもあった。だが、今の彼にはもう一つ肩書きがある。外交官、マリアンの番──つまり夫である。そのマリアンが、彼の背後から静かに進み出る。「リリウス様……ご無事で、本当に……本当に、よかったです」涙をこらえた声だった。それでも彼女の眼差しには、アルヴァレスを脱したその日から、今日までのすべてが込められていた。ヴェイルとマリアンはアルヴァレス王国に使節団の一員として派遣されていた。だが、リリウスの逃亡を助けたその日から、彼女達は使節団としての立場を捨て、リリウス一行とは別の“遠回りの帰還”を選んだ。彼女の魔力は尋常ではなかった。クラウディアの魔塔ですら一目置かれるその資質は、時に奇跡を呼ぶとまで噂されるほど。けれど、彼女の心の主人はリリウス一人だった。ただリリウスの無事を祈り、そして自らの立場をも投げ打った。静かに跪いたマリアンの肩が、冬の風に小さく揺れた。雪はすでに止み、路肩にはまだ名残の白が残っていたが、空気はどこか柔らかい。季節が、確かに移り変わろうとしていた。「こちらへ来る途中、何度も後悔しました。間に合わなかったらと……この国に、リリウス様のいないまま春が訪れていたらと……」その声には、張りつめた外交官の仮面がなかった。マリアンはただ、敬愛する者の無事を願う、ひとりの人間だった。「マリアン……」リリウスの胸に、小さな熱が灯る。「大袈裟だよ。でも、君があのとき手を引いてくれなければ、僕は……ここにいなかったかもしれない」目を伏せ、手を見下ろす。白く細い指先がかすかに震えていた。けれどそれも、もう凍えるほどではなかった。その傍らに立つ男──ヴェイル=アランディスが、一歩前に出る。「……遅くなったな。だが約束は果たした。お前が帰るべき場所を、必ず守ると決めていた」軍装の下にある彼の声音は、昔と変わらない。けれどその背には、すでに大きな責任と権力が宿っていた。「……おかえりなさいませ、リリウス様」マリアンがそう言って、顔を上げる。その微笑みには、誇りと祈り

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status