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真一は行動に移すのか

Author: 吉乃椿
last update Last Updated: 2025-06-07 07:58:27

翌朝まで、ほとんど眠れなかった。

あの夢の情景が、頭の中をぐるぐると回り続けている。

毎晩のように見るせいで、忘れようにも忘れられない。

もはやこれは、「無視するな」という何かの意志……お告げのようなものかもしれない。

そんなものを信じるタイプではなかった。

けれど――

(……思い当たることがある)

初めて梨央を見たとき。

“初見”のはずなのに、なぜか懐かしいと感じた。

仕草や佇まい、そして何より、あの瞳。

まるで、過去にどこかで……それも、大切な記憶の中で出会っていたかのように、胸がじんわりと温かくなる感覚。

(やっぱり……偶然じゃない)

もしかしたら、夢の中の彼女と――“今の梨央”は、繋がっているのかもしれない。

そう思い始めた瞬間、有馬の中で、ひとつの決意が生まれた。

(今日から……少しずつでも、近づいていこう)

声をかけてみよう。

少しでも、彼女のそばにいられるように。

もしかしたら、その中で何かを思い出せるかもしれない。

あるいは、彼女の中にも……何かが残っているかもしれない。

(いっそのこと、食事にでも誘ってみようか)

そう思ったとき、胸の奥がふっと軽くなった気がした。

それは不思議な安堵。まるで、過去から一歩前に進んだような、そんな感覚だった。

そして有馬真一は、その朝、ゆっくりと立ち上がった。

今度こそ、過去を逃さないために。

***

翌日、真一は梨央と共に、会議資料の作成に取り組んでいた。二人きりの静かな作業時間。彼は何度もタイミングをうかがっていた――いつ、食事に誘おうかと。

その視線に、梨央はなんとなく気づいていた。気づいているのに、気づかないふりをする。それでも空気はどこかぎこちなく、気まずさがじわりと広がっていく。

(……どうしよう。何か言った方がいいのかな?)

けれど、言葉は喉の奥で詰まったまま出てこない。

午後三時を過ぎたころ、ようやく作業もひと段落ついた。その時だった。真一が、不意に口を開いた。

「篠原さん、今日、すごく頑張ってくれたから……よかったら、仕事帰りに一緒に食事でもどうかな?」

一瞬で、梨央の時間が止まった。

「え……?」

戸惑いと驚きで、体が固まる。心臓がばくばくと鳴り響き、うるさすぎて彼に聞こえてしまうのではないかと焦る。

(ど、どうしよう……)

断る理由はいくつも浮かんだ。変な噂にならない
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