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初めて二人での食事

Author: 吉乃椿
last update Huling Na-update: 2025-06-07 08:00:21

「……じゃあ、はい。ご一緒します」

梨央は声にならない鼓動を押し殺しながら、そう答えた。

自分でも驚くほど、静かな声だった。

断る理由はいくらでもあったのに、気づけば頷いていた。

有馬は少し驚いたように目を瞬かせたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。じゃあ、近くにいい店があるんだ。歩いてすぐだから」

廊下を並んで歩くふたり。普段なら同僚と歩くだけの空間なのに、どこか妙に静かで、言葉を探すような間が続く。

(この沈黙が、嫌じゃない……)

梨央は歩きながら、自分の足音と、有馬の歩幅を意識していた。無意識に彼のテンポに合わせていることに気づき、頬が少し熱を帯びる。

やがて、ビルの裏手にある小さなレストランの前に辿り着く。

落ち着いた照明と、木の香りがほんのり漂う空間。

「……ここ、よく来るんですか?」

「うん。静かで、落ち着けるから。誰かと来たのは、初めてだけど」

その言葉に、梨央の胸が少しだけ波打った。

食事を待つ間も、ふたりの会話はどこか不器用で、それでも自然だった。

仕事の話から、少しずつプライベートな話へ。

「篠原さんって、休日は何してるんですか?」

「え……読書とか、映画とか……地味ですよ。あ、たまに一人で散歩したりも」

「意外ですね。てっきり、もっとにぎやかな場所が好きなのかと」

「よく言われます。見た目と中身、けっこう違うって……」

そう笑った瞬間、有馬の目が一瞬、夢の中と同じように切なげな色を帯びた。

(あ……まただ)

あの時の、炎の中で見つめ返してくれた彼の目。

その記憶が、また胸の奥で疼いた。

食事が運ばれ、会話は穏やかに続くが、ふたりの内側では、何かが静かに揺れ始めていた。

居酒屋でもなく、高級レストランでもない。

静かな空気が流れる、オフィス近くの落ち着いたカフェダイニング。

窓際の席で向かい合ったふたりは、まだどこかぎこちない空気をまとっていた。

「仕事、いつも丁寧だよね。助かってる」

真一がグラスの水を軽く口に運びながら言った。

「ありがとうございます。でも……まだ慣れてなくて、迷惑かけてないか不安です」

梨央はそう言いつつも、真一の表情を探るように視線を泳がせた。

「迷惑だなんて、一度も思ったことないよ。それに……」

少しだけ、間が空く。

「こうして一緒にいると、不思議と懐かしい感じがするんだ」

梨央の手が、ぴくりと
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