「お姉ちゃんは自分から出ていくことを決めて『さようなら』って言ったんだから、もう神宮寺家とは関係ないわ」
「これで玲は心置きなく瑛斗さんと結婚できるわね。」
「もう今は一条家もお父様も皆が私たちの味方だもの。私が神宮寺家と一条家、両家の跡取りを産むわ」
私の言葉に母は深く頷いた。
華の妊娠は誤算だったが、離婚を切り出して失踪後に発覚したことで瑛斗や両家をうまく誘導することが出来た。これで私が瑛斗の子を産めばより強固なものとなるだろう。
「玲が瑛斗さん、いや一条家との縁談が決まるなんて夢のよう。私ね、もう既に玲が瑛斗の隣で一条グループを、そして玲と瑛斗さんの子どもたちが神宮寺グループを継ぐ華やかな未来が思い描けるの。」
「お母様、話が早すぎるわ。それに私が瑛斗さんをどんなに愛しているか知ってるでしょう?高校時代からずっと瑛斗さんのことだけを想ってきたの。やっと私の恋が叶ったのよ」
「ええ、もちろん分かっているわ。これからは玲が神宮寺家の光となり、一条家との絆をより一層深めるのよ」
母は私の手を取り力強く握りしめた。私たちの間に強固な共謀関係が築かれた瞬間だった。
私は、ふと華の残していった言葉を思い出した。
社長室の重苦しい空気が瑛斗の苦悩を物語っていた。華からの電話、そして自分の感情的な対応。その全てを吐き出した瑛斗に、空は静かに切り出した。「結局のところ、瑛斗はどうしたいの?」空の問いに瑛斗は顔を上げた。混乱していた思考が少しずつ整理されていく。「俺は……真実を知りたい。華の産んだ子どもが本当に俺の子なのか、玲と華、どちらの言っていることが真実なのか知りたい……」「なら簡単なことじゃないか。DNA鑑定を受ければいい。それが一番確実で誰もが納得できる方法だ。憶測で苦しむよりよっぽど合理的だろ」その言葉に稲妻が走った。玲の言葉に囚われ感情的になっていた自分を恥じた。「……そうか。DNA鑑定か。なぜ最初からその発想に至らなかったのだろう。でも、なぜ華もDNAのことを言いださなかったのだろう。華だってそんなに馬鹿な女じゃない。血縁関係を明らかにしたければ検査して証明すればいい話なのに。」瑛斗はふと疑問に思ったが、それ以上考えるのは止めた。空の言葉に迷いは消え失せ、CEOとしての冷静さと決断力が戻っていた。「ありがとう、空。助かった」(そうなんだよな、DNA鑑定のことを華さんが言って
デスクに置いていたスマートフォンから「華」という文字が画面に映し出されたあの時、本当はとても嬉しかった。あの離婚を告げた日以来、連絡が取れなくなっていた華からの電話。待ち焦がれていたが、いざ「華」の表示を見ると柄にもなく焦った。(華?華から俺に連絡をくれたのか…?)しかし、いざ電話に出ると冷淡な言葉と声しか出てこなかった。華の震える声を聞いて、さらに胸が痛んだのに、なぜか素直になれなかった。玲の『別の男の人の子を身籠った』という言葉が脳裏を巡る。あの言葉が俺の心を深く蝕んでいた。華に限ってありえない、信じたくはなかったが、妊娠を告げずに去った理由は他に思い当たらなかった。玲のあまりにも真に迫った訴えに疑念を拭いきれずにいた。そして、華が家を出て以来、一度も連絡してこなかったこともその疑念を増幅させた。「……それで父親は誰なんだ?」出産を終えたばかりだという華に対して掛けた言葉は父親を問いただすものだった。華は、震える声で「あなたの子に決まっているじゃない」と叫ぶように言った。その後は泣いているのか時折、鼻をすするような音が聞こえてきた。いつも穏やかで笑顔だった華が取り乱すような声で反論したことに心がぐらついた。しかし、真実を知りたい俺に対し今は早く離婚届を出すように華が言ったことで怒りと戸惑いが復活した。
「せっかく華さんから連絡来たのに、なんでそんな冷たい態度取っちゃったの?」華からの電話を切ってすぐに親友でビジネスパートナーでもある空に全て話すと、呆れた声が返ってきた。「そ、それは…突然だったから……」革張りの椅子にふてくされるように深く身を沈めた。先ほどの電話での自身の対応を思い出し、深い後悔の念が胸を締め付けている。玲の言葉に囚われ、華を信じきれなかった弱さ。そして、久々の華からの連絡に動揺し素直になれなかった自分への苛立ち。様々な感情が渦巻いていた。「しかも、離婚届も出していなかったなんて……玲さんのこともあるしバレたら大問題だよ?」空の言葉は、正論過ぎて俺は何も反論できない。華とはとっくに離婚が成立していると話してある。もし、この事実を知られたら大問題になることは目に見えていた。一条グループのCEOである俺の立場も危うくなるだろう。「それに他の男性の子どもかもって疑っておきながら、離婚しないって宣言して電話切っちゃうなんて、華さんからすれば執拗ないじめにしか思えないよ?」空の言葉が俺の胸に突き刺さった。確かに、その通りだ。あの時の華の声はひどく震えていた。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。「それは…華から本当のことを聞きたかったのに『そんなことはどうでもいいから早く離婚届出して』とか言うからついカッとなって……」思わず言い訳をした。華が、あの時なぜあんなことを言ったのか真意が分からなかった。華は俺との縁を早く切りたがっているようにしか聞こえなかったのだ。空は深い溜息をついた。「あのね、瑛斗?出生届って、子どもが産まれてから2週間以内に出さなきゃいけないの。だから華さんは焦っていたんだと思うよ」「そう、なのか?」空の言葉に俺は目を見開き、言葉を失った。
電話の向こうで瑛斗の息を呑む音が聞こえた気がした。「……華の思う通りにはさせない」長い沈黙からしばらくして、低いが落ち着いた声が電話越しに響いた。「離婚届も出さない。血縁関係が分からなくとも、その子たちは一条家の人間だ」その言葉を最後に、プツン、と通話が切れた。私は、呆然とスマートフォンを耳から離した。彼の言葉の意味がうまく理解できなかった。(離婚届を出さない?一条家の人間?彼は何を言っているの?私を捨てたはずなのになぜ?)彼の行動は、私にとってはただの嫌がらせだった。私が戸籍登録に困っていることを知り、さらに苦しめるための意地悪をしているとしか思えなかった。玲の言葉を鵜呑みにし、私を信じようともしない彼が、今更「一条家の人間だ」などと口にする資格があるのだろうか。「なんてこと……」私は力なくベッドに身を横たえた。慶と碧が、私の隣のベビーベッドで静かに眠っている。(この子たちは何も悪くないのに醜い争いに巻き込まれようとしている…。)
離婚届が出されていないことを知り、瑛斗に連絡を取ったが質問には答えず『隠し事をしていることを知っている』と返された。瑛斗の親友でビジネスパートナーの空くんが三上先生の元へ訪ねてきて、妊娠のことを問いただされたことを思い出した。三上先生は、瑛斗からの問い詰めにも詳細を話さなかったが私が妊娠している事実は把握しているだろう。隠し事とは妊娠の事だとすぐに分かった。「……私、子どもを産んだの」震える声を押し殺し、私は正直に話した。瑛斗の反応が恐ろしかった。だが、隠し通せることではなくこれが私と彼をつなぐ唯一の真実だった。電話の向こうで再び沈黙が訪れる。今度は、先ほどよりも長く重苦しい沈黙だった。「……それで父親は誰なんだ?」その一言が、私の心を深く抉った。(玲や母だけではなく、瑛斗も私を疑っていたの?私が別の男性との子どもを宿したと、信じていたなんて…。)心から愛していた夫に不貞を疑われていたことに、私は深い絶望を感じた。彼の冷たい言葉は私の心をズタズタに引き裂いた。「誰って……、そんなのあなたの子に決まっているじゃない……!」私の声はもはや震えを隠すことができなかった。涙が込み上げてきて視界が滲む。「俺の子なら、なんで家を出たりこそこそ隠れるようなことをしているんだ。やましいことがあるからじゃないのか」瑛斗の声は明らかに怒りを帯びていた。瑛斗は、玲が私について吹き込んだ嘘を信じている。私が真実を語っても、玲の言葉を信じてしまう瑛斗に激しい怒りが込み上げてきた。「今はそんなこといい!子どもたちが産まれたら、すぐに戸籍登録しなくちゃいけないの。時間がないのよ。あなたが私と関わりたくないなら早く離婚届を出して!」私は叫ぶように感情的に訴えた。彼の疑念や怒りなど、どうでもよかった。今はただ、慶と碧の戸籍をどうにかすることが最優先だった。
病室のベッドの上で、私は震える手でスマートフォンを握りしめていた。画面には「一条瑛斗」の文字。慶と碧の出生届が受理されなかったことを執事の久保山からの報告を受けてから、私は胸が痛くなり、心臓は不規則なリズムを刻み続けている。瑛斗と婚姻関係が続いている。なぜ離婚届を出さなかったのか、その真意を確かめなければならない。今までの恐怖が思い出される。瑛斗と最後に会ったのは離婚を告げられた日。翌日、玲と一緒にいるところを見て、力なく離婚届にサインをし家を出た。そして、このまま瑛斗とは縁を切り接触を避けてきた。けれど、今は違う。この子たちの戸籍登録のためにも協力を仰ぐ必要があった。意を決して通話ボタンを押した。鼓動が耳元でうるさく鳴り響く。数回のコール音の後、低く聞き覚えのある声が聞こえた。「……もしもし」その声はかつて私だけに向けていた優しい響きを失い、冷たく、感情の読めないものに変わっていた。「瑛斗さん……私よ、華」私の声はひどく震えていた。まだ体の自由が利かない病室のベッドの上で私は全身の力を込めていた。電話の向こうで一瞬の沈