Chapter: 第七十七話 「欠落」 セーラとマリアは革命軍のキャンプにパトラを残し、物言わぬカイの遺骸を背負って神界へ向かおうとしていた。 荷をまとめ、短い別れを告げたその瞬間。 ──ザザッ。 曇天の空に、画面の乱れたノイズが走った。 薄い雲を裂くように、知らない都市の光景が一瞬だけ重なる。 高層ビル。混雑した交差点。夕暮れの街並み。 空のどこにも無いはずの場所が、空に投影されていた。『……速報……』 空のノイズの端に、日本語の文字列が滲むように浮かんでは消えた。「また……現実世界の……映像?」 マリアが息をのむ。 次の瞬間、映像は砂嵐に崩れ落ち、 雲の切れ間に異常なシステム文字がちらついた。『外界ログ干渉検知:神界層との境界が不安定です』 風が吹くと同時に、それらは何もなかったように霧散した。「どういう……?」と問う暇もない。 カイの遺骸の重みが、いま戻るべき場所を思い出させる。「行こう。今は……カイが先」 セーラとマリアは顔を上げ、光の階段へと歩き出した。 現実の異変に目を奪われながらも、止まることはできなかった。 そうして辿り着いた神界。 霧のような光が漂い、再構築中の世界は不安定な息遣いをみせていた。「ここなら……カイを……また蘇生できるかもしれない」 セーラの声は掠れ、だが覚悟に満ちていた。「でも……天使たちは…誰もいないのね……」 マリアは小さく呟く。背中のカイの冷たさが、二人の胸を重く押さえつけた。 神界は無言の重みを帯び、白く冷たい光が微かに差し込む。 空間のざわめきが耳に届き、二人の心拍に微妙な違和感を残す。 霧のように淡く光る神界の門。 再構築途中の神界は、以前の輝く宮殿ではなく、破片化した法則や断片化した演算式が空中で狂ったように煌めいていた。 セーラは光を見つめ、唇を噛む。「……ここまで来ても、神界の制約は消せない……」 ルシフェルプロトコル……唯一神の力さえ縛る法則。 それを破ることは何人たりともできない。 光が肌を刺すように冷たく、心を重く沈める。 二人はダメ元で光の円にカイを抱き上げる。 肩にかかる重みは冷たく、鼓動も呼吸も感じられない。「カイ……戻って……」 セーラは深く息を吸い、胸の奥の痛みに耐えた。 マリアも静かに呼吸を整え、全神経を集中する。 だが光は瞬くだけで、カイの身体に反
Last Updated: 2025-12-09
Chapter: 第七十六話 「光が遺した傷痕」 セーラの胸の奥で、光がゆっくりと芽吹くように膨らみ、やがて弾ける。(……セーラ……聞こえる……?) ミシェルの囁きは、遠い記憶の底から響くようであった。 悲しみと優しさが混じっていて、セーラは思わず胸元に触れた。(わたし……ずっと、何もできなかった……ごめんね)「ミシェル……」 声にした瞬間、セーラの意識は深い闇へと引き込まれた。 闇の奥に光が生まれ、景色が形を成す。 そこは白い蛍光灯が揺れる、無菌の研究室であった。 机には紙もメモもなく、ただ灰色の端末が整然と並ぶ。 あの部屋。 ミシェルは、セーラの目を通して過去を再生する。 ライナスの冷たい横顔。 無表情に近い、しかし口元だけが人型に似せた微笑みをつくる。「ミシェル。この暗号化階層はお前しか解読できない」 淡々とした声。 だが、あの頃のミシェルには、唯一の居場所に聞こえた。「いいか、設計者の手が触れたコードは、お前の神経パターンと同調する。つまりこれは、お前のための鍵だ。……解くのはお前だけでいい」 光が線となり、ミシェルの意識の中でコードの構造が解きほぐされていく。(……わたし、思い出せる……) その整理された解析能力が、セーラの中に合流し、ひとつの熱となる。 胸の奥で弾けた光が、世界の外へとこぼれた。「……行こう、ミシェル」 セーラとミシェルは二重の意識を保ったまま、中央穴の最奥へと向かう。 融合した存在でありながら、意思はそれぞれにあり、共鳴している。 中央の穴へ伸びる光は、やがて一本の柱となり、渦の根源へ届いた。◆ 地上中央の穴。 闇の底でうねる巨大な影・アナンタシェータ。 姿は蛇にも見えるし、海そのものにも見える。 触れたものの記憶を奪い、形を削り、存在を平等に無へ還す忘却の神。 その長大な身体の表面を、セーラの光が染めていった。 青白い光が鱗の一枚一枚を溶かす。 白銀の炎が世界の底を照らす。 黄金の粒子が、まるで天界の羽根のように降り注ぐ。 息を呑んで見上げるタナトスは、広い肩で拳を握りしめた。 アグラトを失った怒りは消えていない。 だが、古の化け物アナンタシェータが消えゆく光景は、終わりではなく痛みの記憶を刻む儀式のようであった。 光は穏やかで、美しく、そして…残酷でもあった。 色彩が一時的に反転する。 渦が崩れ落ち
Last Updated: 2025-12-08
Chapter: 第七十五話「アビス・パルス」 世界が静寂に沈んだのは一瞬であった。 次の瞬間、ルシフェルを取り囲んでいたノーネームの群れが黒い塊となり、菌糸めいて絡み合い、巨大な球殻を形づくった。 爆光。 爆風。 黄金の閃光。 ルシフェルは十二枚すべての黄金翼を展開し、羽ばたきではなく爆縮に近い衝撃で、敵を内側から破壊した。 黒い肉片は地に落ちても死なず、微かにぴくりと蠢き続ける。 破片は地面へ降り注ぎ、しかし死んではいない。 まるで観測される限り再生し続ける呪いのようであった。「……厄介だな。あれは個体ではない」 ルシフェルの眼差しは迷いなく地上中央の穴を見据えていた。「記録媒体……いや、食う者か」 穴の奥で、渦がじわりと脈打っている。 形はない。 輪郭もない。 ただ、見ているとしか言いようのない気配だけが、世界の奥底から滲み出している。「干渉した瞬間、何かを上書きするように動いた……捕食行動に近い」 ルシフェルの独白は誰に向けられたものでもない。「箱庭の最奥に……こんなものを置くなど。これも開発者の予定調和か?」 黄金の瞳が細められた。 その名はまだ誰の口からも語られないが、最奥の渦は確かに名前を持たない恐怖として存在していた。◆ 渦の少し上層、空気が歪み始めた領域では、タナトスとアスタロトが衝突していた。 アスタロトの動きはひどく不安定で、狂った視線がタナトスを捉えたり逸らしたりしながら、口元だけが意味の分からない笑みを形づくる。 ぶつぶつと何かを呪文のように繰り返しながら、彼はタナトスへ拳を振り下ろす。 いや拳ではない。腕全体を捻じ曲げ、関節を逆方向に折りながら振るう。 身体までもが完全に壊れていた。 タナトスはその狂撃を受け流しながら、彼に言葉をかける。「哀れなり。アスタロト、お前ともあろうものが」 たったその言葉で、狂気の空間が裂けたように感じた。 アスタロトはひきつけを起こして後退し、意味の持たない絶叫を上げる。 タナトスの地を割るかのような怒気が、狂気を一瞬押し返す。 そして次の瞬間、最奥の渦が、脈動した。 渦は脈動するたび、地面は呼吸をするように波打った。 大地の表面が柔らかい肉のように動き、そこから微細な黒い線がにじみ出る。 その線は触れた物体の情報を奪う。 岩は
Last Updated: 2025-12-02
Chapter: 第七十四話 「狂皇」「渦の底には、人格がある。 異なる世界そのものがこちらを見ていた」 崩れ落ちた渦の残骸が、冷たい砂埃となって空へ散っていく。 中央の穴は静まり返り、ただ低く脈打つ光だけが、まだ終わっていない戦いを告げていた。 セーラの翼は戦いの余韻で微かに震えている。 白い羽根の先に、カイが消えた時の残光がまだ残っていた。 今際のカイの、あの咽び泣くような声が、しばらく彼女の頭から離れなかった。「……カイ」 彼の消滅と同時に舞った光の粒が、セーラの足元へ降り積もる。 触れたそばから消えてしまう、儚い残照。 セーラはしゃがみこみ、震える手で光をすくいあげた。「逃げたんじゃない……弱かったんじゃない……」 光がぱらぱらと崩れる。 「最後まで……あなたは、人であることを捨てなかった……」 セーラは初めて戦場でわんわんと泣いた。 その涙は光に混じり、蒸発した。 そして、ひとしきり泣き終えると顔を上げる。「まだ……希望が全部、死んだわけじゃないんだ」 その言葉は誰にも届かないまま、薄い空気に消えた。 一枚だけ黒く染まった四枚の翼が、決意のように震えた。◆ 渦の反対側では、死神タナトスがひとり、黒い残滓の前に膝をついていた。 アグラトが消えた場所。 狂気に蝕まれ、もはや魂を救うことしかできなかった。 残った影の粒子が、タナトスの掌でわずかに光る。「……なぜ、そこまで私に」 声は低く、冷徹さが消えていた。 アグラトの最期の言葉が胸に残る。 ───愛しています。 あまりに真っ直ぐで、あまりに重く、あまりに幼い告白。「駒でよかったはずだ」 駒であれ。 道具であれ。 そう扱ってきたはずなのに。 なぜ、あんな真っ直ぐな愛を向けられたのか。 答えはもう永久に返らない。 タナトスは拳を握った。黒い霧が溢れ、地面に落ちて花のように広がる。「なぜだ。蒙昧な私に、教えてくれ、アグラトよ……」 返事はない。 影だけが風にほどけていく。 その問いに返るのは、終わりかけた世界の風だけであった。 黒い影の最後の粒が、風に溶けて消えた。 その瞬間。 タナトスの胸に、言語化できない空白が生まれた。 空白はすぐに熱になり、熱は怒りへと変わった。 死を具現化した神であるタナトスは、本来怒りも悲しみも持た
Last Updated: 2025-12-01
Chapter: 第七十三話 「魂の終焉と約束」 中央の穴に近づく異形の渦の中、 カイは破片の散乱する地上を踏みしめながらも、どこか浮遊しているかのように見えた。 異形の力が全身を侵し、理性は徐々に崩れ去っていく。 痛みと快楽、記憶と現実、過去の後悔と現在の絶望が渾然一体となり、脳を震わせる。「……マリア……オレは……特別に……なりたかった……」 言葉は途切れ、呼吸は荒い。だが、その目の奥には、弱くとも人間らしい願いが残っていた。 人間として、誰かを愛し、守り、名誉を得て特別な存在になりたい、その小さな希望がそこにある。 しかし現実は残酷だった。 彼の体はもはや自我を保てず、バグによって記憶と人格が混ざり合っていた。 前方に立つのは天魔セーラ。 白い光に包まれたその姿は、冷たくも決意に満ち、すべての感情を理性で押さえ込むかのようであった。「カイを……止めないと……でも、もう」 一瞬の静寂。 破片と異形の亡骸が渦の中で舞い、世界は緊張に沈む。 バグカイは全力でセーラに突進する。 足元の大地は砕け、空気は裂け、狂気の奔流が渦となり周囲を蹂躙する。 セーラは一歩も退かず、光の刃を振るい、渦を切り裂く。 互いの力がぶつかり合い、嵐の音に混ざり、金属が裂けるような響きが空を震わせた。 バグカイの狂気は圧倒的で、時折、空間すら歪ませる。 しかしセーラは冷静だった。動きは柔らかく、最小限の力で最大の効果を生む。 その眼差しは、狂気に飲まれることなく、ただ目的を果たすためだけに集中している。 衝撃の度にバグカイの表情が歪む。 理性の残滓は徐々に崩れ、暴走の嵐が完全に支配する寸前、その目にマリアの笑顔が映った。彼女は何事かを話し、カイの手を取った。「……ああ……マリア……そうだったよな……」 呟きは空間を震わせ、魂の悲鳴のように響く。 一瞬、セーラの刃が渦をかすめ、彼の身体を斜めに切り裂く。 傷口から滲む血と光が混ざり、狂気の濁流をかき乱す。 バグカイは地面に膝をつき、頭を抱えて嗚咽する。 しかし、その瞳には最後の意志が灯る。 弱々しく、かすかな笑みを浮かべて。「マリア……オレ、アレフのところへ……行くよ……」 その声は嵐にかき消される寸前、魂の残響として残った。 愛する者の記憶、過去の仲間への想いが、最後に彼を常世から解放した。 弱さゆえの逃避でありながら、最後
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第七十二話 「原初演算体」 神界の空は、白濁した水面のように揺らめいていた。 そこから見下ろす北の果て、巨大な口を開けた中央の穴は、苦悶に満ちた心臓のごとく激しく脈動し、現世の残骸と異形の亡骸を無秩序に吐き出し続けている。 かつて存在した秩序は崩壊し、世界は未だ癒えぬ傷を抱えたまま、深い混沌の淵を彷徨っている。 しかし、その絶望的な光景の中に、一筋の冷たい光が静かに、確実に差し込んでいた。「ふむ……地上はすごいことになっているな」 その声は、まるで無邪気な少年のように軽やかであったが、その奥底には、宇宙の深淵を覗き込むような、全てを包み込み、許容する威厳が潜んでいた。 再起動を果たした唯一神。彼は、崩壊した世界の悲劇を、初めて自らの目で直接見つめていた。 肉体は完璧に修復され、精神領域も98%まで復元されている。 言葉は淀みなく滑らかで、思考は明晰。観測者としての冷静な理知と、万物を慈しむ慈悲の心を兼ね備え、かつての欠損はもはや存在しない。「さーて、この中央の穴、これは単なる時空の歪みなんかじゃないね」 唯一神は、まるで旧友に語りかけるように、柔らかく微笑む。 その瞳には、真実を見抜く光が宿っている。「現世の情報が漏洩し……箱庭の自己修復機能と複雑に絡み合っている。つまり、ここは回復と破壊が同時に作用する、極めて特殊な領域だ」 唯一神は、静かに歩みを進める。 その足元には、宙に浮かんだ現世の破片が散乱しているが、彼はそれをやすやすとすり抜けていく。 彼の足跡が通った場所には、まるで聖域を示すかのように、白い光の軌跡が残されていく。「カイ……また君はバグっているのか」 少年の声には、観察者としての冷静さに加え、ほんの少しだけ好奇心の色が滲んでいる。「彼の個体は、私が深く関与した存在だからな……現世のバックアップと、箱庭のコピーを同時に保持している。だから、異形たちは存在としての整合性を保てず、自然に崩壊してしまうのだろう」 唯一神は、中央の穴に視線を固定する。 その瞳には、歪み、蠢き、融合し続ける異形たちの姿が鮮明に映し出されていた。「そして天魔セーラ。彼女も同じだ。未だ暴走の危険性を孕んでいる。しかし、現世データや異形の影響によって、その力の一部は抑制されているようだ。私が安易に干渉すれば、更なる混乱を招くかもしれない」 少年は腕を組み、まるで難
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第37話 「全てを、絶望の月」「我が呪いの秘術をよくぞ打ち破った。さすがだぞルーテ」 魔導師は誇らしげに言った。「……わたしの名前はセーラよ。お父さん…」「父と呼ぶか」「名前を知らないですもの」「ハッハッハ…」 魔導師は表情を変えず続けた。「我らに名前などは無い」「……本当は貴方と戦いたくない、けど、わたしは貴方を……倒さなくちゃならない」「そうだ、お前の秘めた真の力を我に見せてみよ」「行きます!」 セーラは四枚の翼を羽ばたかせ超スピードで魔導師に突っ込んだ。 セーラの輝く身体の周りには光虫が飛び回っている。 魔導師は暗黒魔法を唱えた。«フォビドゥン» ドロドロとした瘴気の塊がセーラを襲う。 しかし光虫の展開する結界で無効化される。 セーラは魔導師の身体へ天使の鉞を打ち下ろした。 黒球の中の魔導師のマントを切り裂く。「お前は我の一部から生まれた、そのお前が我を滅ぼせばどうなるか、わかるか?」 魔導師の黒球がぼやけ崩れ出す。「お前も共に滅びるのだ」「……」「例えそうだとしても」 セーラは再び鉞による打撃を魔導師に加える。「わたしは貴方を討つわ!」 セーラの攻撃に魔導師の干からびた片腕が吹き飛ぶ。 光の追加効果が魔導師の再生能力を奪う。 魔導師は、セーラの素早い打撃を躱せず、両脚、あばら骨、内蔵と次々にその身体を失ってゆく。 顔だけになっても空中に浮かびながら語りかけをやめない魔導師。 その様を見て嘔吐するセーラ。「オェぇぇ…気持ち悪い。死なない、どういうこと……」「そのような…方法では、滅びはせぬ」「くっ…どうすれば」「ルーテよ、共に、我が創り上げた…神と同化、するのだ…」「冗談じゃないわ!」 魔導師の頭部は神と呼ばれた異形の巨大生物と融合しかかっていた。「オレ達だってサポートはできる!」 カイは攻撃力上昇の魔法をセーラに唱えた。「私もよ」 マリアはヒールをセーラにかけまくる。「駄目、引っ張られる…!」 セーラの身体も魔導師と共に異形の神に取り込まれてゆく。「セーラ!!」 マリアが叫ぶ。「吸収されちまった…セーラが」 カイが呆然と見つめる。 セーラの身体は、魔導師の纏う黒球と共に歪みぼやけ、やがて完全に溶けて消えた。 異形のお父様の体内。「ここが、本体ね……」 吸収された他の天使や魔物の亡骸を次々
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第36話 「我々の世界」「リセット?」 カイが怪訝そうに繰り返した。「簡単に言えば、修正すべき事象が起きる"前"まで時間が戻るということだ。 その間に生まれたものは存在しなくなり、無くなったものは復活する」「アレフが生き返るってこと!?」 楽観的なマリアは手を叩いて喜ぶ。「どこまで戻るかは神のみぞ知る…必ずしも我々にとって都合が良い結果になるとは限らない。 それにアレフが死んだ事実も無くなるのだ」「あぁ~頭がこんがらがってきた」「全てをリセットしたくなること、あるよな」「それが神様の御業……?」「つまりやり直しってことや」「横暴やな」(……セーラ)「誰かがセーラを呼んでる……」「そうだわ、わたしには成すべきことがあったんだ」「セーラ?」「ごめんねマリア。わたし行ってくるね」「えっ…どこに? 帰ってきたばかりなのに」「まだ魔族は生きてる。倒さなくちゃ」「いやいやっ! もうどこにも行かないで。どうしてセーラが戦わなくちゃいけないの」 駄々を捏ねるマリア。「絶対戻ってくるから。約束」 優しく声をかけるセーラ。「やだ! あたしも行くから!」 マリアは涙に鼻水を垂らしながらセーラの服の裾を掴んだ。「オレも行くぜ」 カイが臆せずに続く。「オルドさんは?」「行かない」「チキン天使長…」「私にはここを護る責任があるのだ!」「だから、守れてないやないか」「もうっ。みんなしょうがないなぁ」 セーラは根負けして四枚の翼を羽ばたかせる。 マリアとカイがセーラの身体に抱きつき、バヒュンと音を立て空高く飛んでいく。 見上げるオルドは、眩しい陽光に目を細めながら心の中で呟いた。「さらば、神に翻弄されたる心優しき天使よ」◆ ヘルキャッスル跡地には小さな空洞ができていた。 空洞は異次元空間になっており、中の壁は臓物のように蠢いていた。 奥で待っていたのは、横たわる異形の魔生物とその上に座る魔導師だけであった。 「遅かったな、ルーテ…」「……」「魔導師…」「一人か?」 ─── セーラたちが訪れる数時間前。 魔導師はお父様の回復と、更なるパワーアップのために騎士たちを使おうと考えた。 今なら二匹とも手負い。抑え込むのはそう難くない。「この前の恨みか?」 騎士は薄笑いを浮かべて言った。「ガル……貴様、乱心したのか」
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第35話 「帰還」 二つの浮遊大陸における天使の軍団と闇の魔導師たちの戦いは熾烈を極めた。 しかし、無限に増殖する魔物に押され、天使たちの勢力は少しずつ減っていった。 最後に残った能天使パワーは天を仰いだ。「先の大戦と同じか。しかし蘇生を行える天使はもういない」 そして最後の天使パワーは獅子の魔物と対峙した。 獅子の四つ腕の爪が大きく変形し、縦横に延びて次々と地面に刺さり、獲物を逃がさないよう囲った。 パワーはその身に残っている全聖光気を解放した。«ディスピアード・レイ» 凄まじい質量を持った光の槍が、獅子の形成した爪の檻を突き破ってその腕二本を貫き、もぎ取った。 その間隙を縫って黄金の騎士が、光速の斬撃でパワーの身体をズタズタに斬り裂いた。 獅子と相打ちの形で最後の天使パワーは息絶えた。「手こずったな」「グルル……なぁに、これくらいの傷」 異形の魔生物は身体が変形し、崩壊しかかっていた。 魔導師が必死で回復を試みているが、天使の何体かは身体から分離して消滅してしまっていた。「やはり早かったな……作り直しだ」 魔導師は負傷した獅子たちのほうを振り返った。◆ セーラは悪の尖兵として、天使たちと戦いながらも、分裂した天の魂は夢を見ていた。 天使の鉞、アイギスの鎧、天空竜の兜、エデンの盾……天界の装備に身を包んだ勇ましい自分の姿。 そしていつも隣に有った碧い珠、今は暗い灰色となった珠を握りしめた。 珠は輝きを取り戻しセーラを三度、目覚めさせる。 視界に広がった場所は遥か天空の頂上付近であった。 セーラは夢で見ていたその二対四枚の翼で宙を羽ばたき飛んでいた。 地上を見下ろすとどこもかしこも戦争をしていた。 カイやマリア、それにオルドも、魔物たちと戦っている。「わたしだって天使だ! 加勢に行かなくちゃ」 そうセーラが意気込むと、どこからか声が聞こえてきた。「君にはやることがある」 声の主は姿を見せず、小さな羽虫がセーラの周囲を飛んでいた。「セーラね」「誰ですか? 虫さん?」「君を呪いから解き放ち再生したもの」「再生? じゃあわたし一度死んだの? あなたは…神様ですか?」「私は神ではないよ。君は死してなお、新しい命を持てる器だったんだ」 よく分からない話よりも、セーラは早くマリアたちのところへ飛んで行きたかった。「君がいま
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第34話 「神のシステム」 私たちは用意された舞台で踊ることしか出来ない。 いわゆる箱庭ゲームをプレイする存在があるとするならば、それはつまり神である。 その存在はゲームに登場するキャラクターを操作し、パラメータや行動を決め、その人生を創る。 生かすも殺すも自由に、全ての運命は移ろいゆく。(オルドの記述を鑑みて考察するに、厳重な管理体制の下でプレイされている、と仮定する) オルドが異常に気付いたのは、およそ300年ほど前、目の前に起こった事象に端を発している。 突如、自分以外のデータが全てリセットされ、世界がそれまでとどこか違ったものに変わっていた。 オルドはその微細な変化を見逃さなかった。 彼はその変化を神の御業と結論づけた、彼にとっての神は、何者かであり、別次元の、偉大でもなんでもない存在、その所業が行なわれる直前にあった事、それは、深淵なる異物が神のシステムに干渉を試みた、いわば本の登場人物が読み手に何らかの物理的な干渉を成功させた、変化はその結果である。 いま、光り輝く天使の装備に身を包み、二対四枚の翼を持った霊体が、その使命を果たさんとしている。 魔と天は互いに殺し合い、人はその争いに巻き込まれ、地上から消滅してゆく。 二対四枚の翼を持った天使はこの世界の理の全てを超越した場所にいた……。
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第33話 「箱庭」(ゴォォォォォォ) 無造作に生えた羽でも、それぞれがめちゃくちゃに羽ばたけば、巨人でさえ天空を自在に飛び回ることができる。 お父様に乗った魔導師たちは、いくつかの浮遊大陸、エルフの里、天使の住む塔といった、強者や天の者が集うめぼしい地を次々と滅ぼしていった。 お父様の見てくれがグロテスクなせいか「神はお怒りだ」「天罰だ」と人々は恐れ慄いた。 そして、世界の人口は実に半分にまで減った。「それいつまで封じ込めてんの? 名は確か、セーラといったな」 兜を脇に抱えた騎士が訊ねる。「ルーテだ。出しても構わぬが」「ガル…ガルガル…出てきた途端、また襲いかかってくるんじゃねぇか?」「ルーテは我が呪いの秘術をその身に受けた」「どうなるんだ?」「天使や人間に与することで、乳首の色が青から紫、そして赤へと変わっていき、やがて深紅に染まりきると、全身が遺伝子レベルで分解され、バンデッドウデムシに再構成されるのだ」「愛しき娘、じゃなかったのか?」「もちろん醜いウデムシなどに変わる前に、我の手で解呪するさ…それに」 そこで魔導師は言葉を区切った。「この呪術の解除方法はいたって簡単だ」(キュエアアァアァッ) 実験台にされた天使の悲喜交々な顔面は、強風を受けてウネウネと別の方向に動き、その首をちぎれんばかりに伸ばして荒々しく叫んでいた。「それは愛する者の心臓を抉り出し喰らうことだ」「ガル~……お前の話し聞いてると気分が落ちるわ…」「出してやればいい。死んだか逃げたスライムの代わりになるだろ」「強い魔族は多いに越したことはない…グルガルッ」 魔導師たちの次の目的地は『シャイニング・バインド』『グローリアス・ヘイロー』と呼ばれる、天使の総本山とでも言うべき、強大な聖光気で包まれた双子の浮遊大陸であった。 倒れたモンスターの補充は、魂を削る老いた魔導師の代わりに、お父様がその羽根一枚一枚からノーリスクで生み出していた。「天使の属性を合わせ持つ魔族を量産できるならば、我々の勝利は揺るがぬであろう……」 魔導師はセーラを封じ込めた黒いビー玉をコロコロと手の中で遊ばせながら呟いた。◆ 空が茜色に彩られた早朝、カイは浅い眠りから目を覚ました。 隣で蓑虫のように寝袋にくるまっているマリアは、まだスヤスヤと寝息を立てていた。 カイは一晩かけてある決意を固
Last Updated: 2025-11-30
Chapter: 第32話 「やさぐれマリア」 マリアとカイはアレフの亡骸が入った棺を引きずりながら、レムリアの城下町へ戻ってきた。 そして教会の庭にアレフを埋めて墓を作った。 セーラとアレフを同時に失って落胆したマリアはやさぐれていた。 酒をかっ喰らい、高価なアクセサリーを買いまくり、暴飲暴食をして持ち金を全て使ってしまった。 自暴自棄と自堕落を絵に書いたような生活。 ヤケになりすぎてカイを夜のお供に誘って性行為をしてしまう程であった。 「どうせ世界は終わるんだから、もうどうだっていいわ」 ─── 今までの苦労はなんやったんや やってられるか マリアは段々と口汚きガラの悪さが増していった。 ノースリーブの脇から見えるマリアの巨乳が、ぷるんと揺れてカイを悩殺する。 カイはマリアとの二度目の性行為を試みたが、叶うことは決してなかった。 そうして数日が経った。 オルドのいる塔が瓦解したとの噂を聞き、二人は塔へ向かう。何となく向かう。 「あいつらにかかればオルドだって一溜りもないだろう」とマリアは思った。 オルドの真の力は見たことがないが、天使長というくらいだから、ヒラ天使のセーラより少し強いのかもしれない。 ໒꒱· ゜ 塔に辿り着くと、中はズタボロで、複数の魔物と天使が倒れていた。 マリアはぺたんとアヒル座りになり、声もなくそれを見つめた。 カイはショックの余り貧血を起こして倒れた。 オルドの姿は見当たらず、倒れた天使の一人が血のついた指でダイイングメッセージを残していた。 開け 天の聖櫃 主の名において その力に満ちよ タナトス・サネントゥール かつて、魔と天が争った大戦において、劣勢に立たされた戦局をくつがえす為に、熾天使セラフィムが使用したとされる究極の蘇生呪文があった。 呪文の触媒は術者の命。 天使の軍勢のために命を投げ売つ覚悟が、生と死の極限たる呪文の成就を可能にした。 だが、あまりにも危険であるが故にその詠唱はごく一部の高位の天使にしか伝えられなかったと言う。「床に書かれたその血文字こそが、究極の蘇生呪文の詠唱である」 倒れていた天使の一人が、むくりと立ち上がった。 「オルド様!」 「ご無事だったのですね」 カイとマリアが手を合わせて
Last Updated: 2025-11-30