Chapter: 5. 地響きのスタジアム「プロモーションの方は進んでいますか?」 パウンドケーキの芳醇な甘さを楽しみながらタケルは聞く。「今、試用品をあちこちのお店に貸し出しているの。手ごたえは悪くないわよ。それと、市場の一角を借りてステージを作るの!」 クレアはグッとこぶしを握り、ニッコリと笑う。「ステージ……?」「ゲームが上手い人のプレイを見てもらおうと思うのよ!」「いやでも、こんな小さな画面じゃ遠くの人には見えませんよね?」「そ、そうなんですよね……」 クレアは眉をひそめ首をかしげた。一つの画面をのぞきこんでもらうのは数人が限界な事はクレアも気になっていたのだ。「……。分かった。じゃぁ、巨大画面版を作るから、大きなプレートを用意してくれますか?」 タケルはニヤッと笑う。「巨大画面!?」「そうです、二メートルくらいのサイズなら遠くからも見えるでしょう?」 異世界に登場する大型ディスプレイ。そんな物などこの世界の人は見たことないからきっと驚くに違いない。みんなの驚く姿を想像しただけで変な笑いが出そうである。「す、すごい! そんなことできるんですね。タケルさん、すごーい!!」 クレアはタケルの手を取るとブンブンと振った。 タケルはその嬉しそうに輝くクレアの笑顔に思わず胸が熱くなる。こんなビビッドな反応をしてくれる人なんて前世でも一人もいなかったのだ。モノづくりをする者にとって感動し、感激してくれることこそが最高の報酬である。 タケルはクレアの手をギュッと握って、軽く目頭を押さえながら何度もうなずいた。 ◇「なんでタケルさんって、こんなことできるんですか?」 クレアは尊敬のまなざしでタケルを見つめる。高名な魔導士ですら到底できないことを軽々とやってのける素朴な青年、それはクレアにミステリアスに映っていた。「僕のスキルがね、そういうことができる特殊な奴
Last Updated: 2025-10-25
Chapter: 4. 夢を売れ!「タ、タケル君、どうした?」 急に黙ってしまったタケルに会長は不審に思い、首をかしげる。 タケルはこの世界には珍しい黒髪の若者だった。お金には苦労していそうではあったが、清潔感のある身なりには好感が持てるし、話してみると大人の思慮深さを感じる不思議な雰囲気を纏っている。 長くお付き合いできればと、かなりいい条件を提示したつもりだったが、タケルは押し黙ってしまった。 すると、タケルは顔を上げ、覚悟を決めた目で会長を見つめた。「会長、一台当たり銀貨三枚でいいので、一万個売れませんか?」「い、一万個!?」 会長は目を白黒させ、タケルを見つめ返す。「多くの人が買える値段で一気に普及させたいのです」「ふ、普及って言ったって……、ゲーム機なんて前例のない商材は……」 会長は腕を組み、首をひねって考え込む。百個ならお得意さんに卸して行けばすぐにでも捌けるだろうが、一万個となると庶民向けの新規の流通経路がいるのだ。ゲームは面白いが、ゲームに大金を払える庶民なんて本当にいるのだろうか? 前例のない商品を新規の流通経路に流してトラブルにでもなったら、アバロン商会の信用にも傷がついてしまう。合理的に考えればとても乗れない提案だった。 渋い顔をする会長にタケルは両手を前に出し、まるで夢を包むように想いを込める。「テトリス大会を開きましょう! ハイスコアトップの人に賞金で金貨十枚を出すのです!」 起業家は商品を売る前にまず、夢を売らねばならない。前例のない提案でも熱い情熱で相手を動かす、それがわが師、スティーブジョブズの教えなのだ。「じゅ、十枚!?」「それ素敵! 私も出るっ! きっと私が優勝だわっ!」 クレアは太陽のように輝く笑顔で笑った。 その今まで見たこともないような、希望に満ち溢れた笑顔を見て会長はハッとする。娘がここまで入れ込むなんてことは今までなかった。つまりこれは新たなイノベーションであり、ブレイクスルーに違いない。ここは若い感性に賭けるべきでは無いか?「ふぅ……。タケル君……。キミ、凄いね……。うーーーーん……。分かった、一万個、やってやろうじゃないか!」 会長はタケルの手を取り、グッと握手をする。その瞳にはタケルやクレアから燃え移った情熱の炎が燃え盛っていた。 タケルも負けじと情熱を込め、グッと握り返し、うなずく。 かくして、テトリ
Last Updated: 2025-10-24
Chapter: 3. わが師ジョブズ タケルがやってきたのはアバロン商会本店。目抜き通りにある豪奢な石造りの建物で、木の板にフェニックスをあしらったシックな看板がかかっている。中には煌びやかな宝飾品が並び、ボロい服を着たタケルではとても気軽に入っていける雰囲気ではない。「あのぉ、すみません……」 タケルは入り口の警備員にクレアと約束があることを告げた。「タケル様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ……」 警備員はにこやかにタケルを二階のVIPフロアへと案内していく。豪華で煌びやかな室内、床には赤いカーペットが敷かれてあり、庶民には実に居心地が悪い。タケルは店員たちの鋭い視線に渋い顔をしながら、警備員に着いていった。 洗練されたインテリアの応接室に通され、言われるがままにフワフワとした豪奢なソファーに腰かけたタケルだったが、とても場違いで居心地が悪い。出された紅茶の繊細な香りに圧倒されているとコンコンとドアが叩かれ、クレアが顔をのぞかせる。「タケルさん、お待ちしておりましたわ!」 クレアは満面の笑みで足早に入ってくると、後からは恰幅のいい紳士もついてきた。会長だろうか?「きょ、恐縮です」 タケルは慌てて立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げた。「で、商品版はできましたの?」 クレアは待ちきれない様子でタケルの顔をのぞきこむ。「は、はい。こちらです……」 タケルは早速テトリスマシンをクレアに渡す。「わぁ……、随分……変わりましたね……」 クレアはハイスコア表示もされ、ブロックに色もついたテトリスマシンに目を輝かせる。「ほう……、これは珍妙な……。一体これは何なんだね?」 紳士はクレアの後ろからテトリスマシンをのぞきこみ、口ひげをなでながらけげんそうな顔で聞いてくる。「ゲームマシンよ? こうやるのよ!」 クレアは【START】ボタンをタン! と叩いた。「ほう……? なんか動いとるな……」「これは列を消して楽しむのよ!」 クレアは得意げにタン! タン! とボタンを叩き、次々とブロックを積み上げていく。そして『棒』のブロックがやってきた。「見ててよ! えいっ!」 クレアは得意満面に棒のブロックを|隙間《すきま》に落とす。 ピコピコっと点滅しながら四列が消えていった。「ほう! なるほどなるほど……、これは新鮮じゃな……。どれ、ワシにも貸してみなさい」 紳
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 2. 澄み通る碧眼「やるぞ……、やったるぞぉぉぉ!」 月を見つめ、武者震いするタケル……。すると、若い女の子の声がする。「あのぅ……、それ、何ですか?」 金髪の少女が碧い瞳をクリっと輝かせながら、好奇心いっぱいに声をかけてきたのだ。指さす先にはテトリスがピコピコと動いている。「あ、これは……ゲーム、ゲーム機です。やってみますか?」 挙動不審だった自分が恥ずかしくて真っ赤になったタケルは、テトリスマシンを差し出した。「ゲーム?」 小首をかしげる少女。薄手のリネンのシャツと、その上に重ねられた装飾的なボディスが、彼女の上品な雰囲気を演出していた。かなり裕福な家の娘に違いない。 タケルは少女の澄んだ碧い瞳に見つめられて、ほほを赤らめながら丁寧に説明していった。「ここを押すと右、ここで左、これで回転ですね……」「はぁ……?」 少女は押すたびにチョコチョコとブロックが動くのを見て、不思議そうに首をかしげた。「で、ここを押すと……」 タケルがブロックを隙間に落とすとピカピカと光って列が消える。「うわぁ! 面白い!」 少女は碧眼をキラッと輝かせて嬉しそうに笑った。「簡単でしょ?」「うん! やらせて!」 少女は受け取ると、好奇心いっぱいの瞳で画面を見つめ、ブロックを操作していく。 最初は下手だった少女も段々慣れてきて、うまく列を消せるようになってくる。「やったぁ! 四列消しよっ!」 少女は自慢げにタケルを見て、パアッと笑顔を輝かせた。「上手ですね、僕より上手いかも」 タケルは喜んでくれるのが嬉しくて、ニコニコしながら少女の横顔を見入る。不器用なタケルは、前世でも女の子に喜んでもらった経験などなかったのだ。 ものすごい集中力で
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 1. 異世界テトリス「お前はクビ! とっとと出ていけ!」 夕暮れの食堂で、冒険者パーティーのリーダーがウンザリとした表情でタケルを罵倒した。「えっ!? な、なんで……? 僕の武器の整備で強い魔物も倒せるようになって……」「ありがとう! つまりもうお前なしでも十分勝てるってことなんだよ! はっはっは!」 リーダーは美味そうにビールジョッキをグッとあおった。「そうですよ、タケルさん。アイテムの整備はもう十分……。戦わない人はパーティには要らないわ。ふふふっ」 ビキニアーマーの女魔導士はリーダーの首に手を回しながら、|嗜虐《しぎゃく》的な笑みを浮かべる。「いや、契約書ちゃんと読んでくださいよ! それは契約違反ですよ!」 タケルはカバンから契約書を出すと、該当の条文を指さして怒った。「んー? どれどれ……?」 リーダーは契約書を受け取ると、鼻で嗤い、そのままビリビリッと破いて床にぶちまけた。「な、何するんだよぉ!!」 慌てて契約書を拾い集めるタケル。 しかし、リーダーはそんなタケルを思いっきり蹴飛ばした。 ぐはっ! タケルはもんどりうって転がる。「冒険者に契約書なんか関係あるかい! そういうところがお前はウザいんだよ。文句あるなら裁判所へ行けや! まぁ、訴訟費用があればだがな! はっはっは!」 くっ……! タケルはリーダーを見上げてにらむ。明日の食費すら心配な自分にそんな費用など出せるわけがない。「そしたら、僕は明日からどうやって食べて行けば……」「知るか、バーカ! お前のその陰気なツラ見てっと酒がマズくなる! さっさと出てけ!」 リーダーはおしぼりをタケルの顔に投げつけると、女魔導士のお尻に手を回す。「いやっ、ダメよ……」 女魔導士はまんざらでもない様子でほほを赤らめる。 タケルはギリッと奥歯を鳴らした。「分かったよ! その代わり、僕の力が必要になっても絶対に助けないからな!」「お前の力……? なんかあったっけ?」「逃げ足の速さ……よね? きゃははは!」 タケルは怒りでブルブルと震えた。今まで自分が整備してきた魔道具のおかげで高ランクのモンスターを狩り、Aランクパーティにまで達してきたというのに、感謝の一つもないのだ。「ぜっっっったい! 後悔させてやる!!」 タケルはビシッとリーダーを指さし、にらみつける。「後悔? ははっ、お前
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 7. 挑戦状「……ついて来な」 案内された先で、シャーロットは息を呑んだ。そこは、まさにトマトの楽園だった。 背丈近くまで伸びた茎に、大小様々なトマトが実っている。真っ赤に熟したもの、まだ青いもの、そして見たこともない黄色やオレンジ色のトマトまで。プチトマトは房なりに実り、大玉トマトは掌に余るほどの大きさに育っている。 独特の青臭い香りが、辺りに満ちていた。それは、シャーロットにとっては懐かしく、愛おしい香りだった。「素晴らしい……」 思わず感嘆の声が漏れる。キラキラと目を輝かせながら、シャーロットはトマトたちを見て回る。「これだけあれば、オムライスもトマトソースも作り放題!」「待ちな」 ガンツの低い声が、シャーロットの夢想をさえぎった。 振り返ると、老人は腕を組んで難しい顔をしている。「確かにわしはトマトを作っとる。二十年以上もな。だが……」 ガンツの視線が、愛情と諦めの入り混じったものに変わる。「町に出荷しても『毒々しい』『酸っぱくて青臭い』と誰も買わん。最初は『いつか分かってもらえる』と思っとったが……」 老人の肩が、わずかに落ちた。「自分で食うだけのために作るのも馬鹿馬鹿しくてな。そろそろ止めようと思っとったんじゃ。結構育てるの大変なんだわ、これが」 二十年の苦労と孤独が、その言葉に滲んでいた。「いやいや、トマトは最高に美味しいんです! たくさん買いますから、ぜひ作り続けてください!」 シャーロットは身を乗り出した。 しかし――――。「じゃが、お嬢ちゃんが買っても、お客が食べなかったらゴミになるだけなんだぞ?」 ガンツは冷徹な視線を投げかける。「だっ、大丈夫です! トマトの美味しさを私がみんなに紹介します!」 シャーロットは両手のこぶしをグッと握りブンと振った。 その熱意に、ガンツの硬い表情が
Last Updated: 2025-10-25
Chapter: 6. 真っ赤な宝石 とぼとぼと歩いていると、小さな花屋の前で、ふと足が止まった。 店先には色とりどりの花々が、鮮やかに並んでいる。|向日葵《ひまわり》が太陽を追いかけるように顔を上げ、|薔薇《ばら》が朝露を纏って輝き、小さな|勿忘草《わすれなぐさ》が可憐に微笑んでいる。 その花々の中で、シャーロットの視線が一点に釘付けになった。 真っ赤な宝石のような実がいくつも実っている鉢植え――――。「こっ、これは……!?」 震える手で鉢植えに近づく。鼻を近づけると漂う、懐かしい青臭い香り――――。 朝日を受けて、まるでルビーのように輝くその姿に、シャーロットの心臓が高鳴った。「プチトマト!?」 その瞬間、まるで宝物を見つけた子供のように重かったカゴも忘れ、弾むような足取りで店の中に飛び込む。「こっ、この鉢植え、どこで手に入れたんですか?」 カウンターで花の手入れをしていた女主人が、シャーロットの勢いに目を丸くする。「ああ、それ?」 女主人は苦笑いを浮かべながら、エプロンで手を拭いた。四十代半ばだろうか、日に焼けた頬に笑い皺が刻まれた、人の良さそうな女性だ。「郊外のガンツじいさんが作ってる……トマトだったかしら? 変わった植物よ。『観賞用にどうだ』って持ってきたけど……」 女主人は肩をすくめる。「赤い実が毒々しいって、誰も買わないのよね。正直、私も処分に困ってたところよ」「でも、これ……食べられるんです! とっても美味しいんです!」 シャーロットの言葉に、女主人の顔色が変わった。「食べる!? あんた、この赤い実を? 毒があるんじゃないの?」「い、いえ、大丈夫です! 本当に美味しいんです! 甘酸っぱくて、瑞々しくて……」 シャーロットは必死に説明するが、女主人の表情は半信半疑のままだ。でも、その真剣な眼差しに何かを感じたのか、しばらく考え込ん
Last Updated: 2025-10-25
Chapter: 5. 赤い盲点 開店準備も順調に進み、あっという間に一週間が流れていった――――。 朝の|爽《さわ》やかな光が、磨き上げたガラス窓から店内に降り注ぐ。 シャーロットは、何度も磨いて艶が出てきた|欅《けやき》のカウンターに、そっと手を置いた。木の温もりが、掌に優しく伝わってくる。(ここが、私の新しい居場所――――) 深呼吸をして、改装が進む店内をゆっくりと見渡す。 一週間前は埃と蜘蛛の巣に覆われていた壁には、今、蚤の市で一目惚れした温かみのあるタペストリーが飾られている。|向日葵《ひまわり》の黄金色と小鳥の優しい茶色。一針一針丁寧に刺繍された作品は、まるで永遠の夏を閉じ込めたかのような明るさを店内にもたらしていた。「さて、このカーテンは合うかしら……」 シャーロットは脚立に登り、窓際に薄い水色のレースカーテンを取り付ける。朝の微風がさっそく布地を揺らし、まるで湖面の|漣《さざなみ》のような優しい影を床に落とした。「うん! いい感じ!」 テーブルの上には、この一週間で少しずつ集めた宝物のような食器たちが、出番を待つように並んでいる。 クリーム色の地に小さな苺が踊るように描かれた皿は、見ているだけで幸せな気持ちになる。持ち手が小鳥の形をしたティーカップは、まるで手の中で小鳥を包み込むような優しさ。銀のスプーンに彫られた四つ葉のクローバーは、使う人に小さな幸運を運んでくれそうだ。 どれも、マルタが「あんたの店にぴったりよ」と紹介してくれた、町の陶芸家たちの心のこもった作品だった。「お客様が、これで紅茶を飲んだら、きっと笑顔になるわ」 シャーロットは、一番お気に入りの小鳥のカップを手に取り、まるで生きているかのようにそっと撫でる。 振り返れば、厨房も見違えるようになっていた。 かつてのパン屋の名残である大きな|竈《かまど》は綺麗に掃除され、新しい命を吹き込まれるのを待っている。磨き上げた銅鍋が、まるで夕日のような輝きを放ちながらフックに掛けられていた。 窓辺の棚には、ガラスの小瓶がずらりと並ぶ。ローズマリー、タイム、オレガノ、バジル……乾燥ハーブたちが、まるで植物標本のように美しく収まっている。 新しく設置した黒板には、白いチョークで夢が描かれていた。 『本日のスープ』、『ふわふわパンケーキ』、『魔法のシチュー』――――。 そして、一番上に、まるで王
Last Updated: 2025-10-24
Chapter: 4. ひだまりのフライパン 角を二つ曲がり、メインストリートから少し入った静かな通りで、マルタは立ち止まった。「ここよ」 マルタが指差した先で、シャーロットは息を呑んだ。 二階建てのクリーム色の建物が朝の陽光の中、静かにたたずんでいたのだ。 正面には可愛いアーチ型の大きな窓が三つ並んでいて、かつては町の人々で賑わっていたであろう温もりが、今も残っているような気がした。 入口は重厚な|橡《とち》の木の扉で、色ガラスで小さな花模様の小窓があり、二階には白い木製の鎧戸がついた窓が四つ。一番右端の窓の下には小さなバルコニーがあり、そこだけ濃い緑の蔦が優雅に絡まっている。 しっかりとした灰色の石造りの土台は、何十年もこの町の風雪に耐えてきた風格があった。「前はパン屋だったんだけどね。店主が年で引退して、もう半年も空き家なの」 マルタの声には、一抹の寂しさが混じる。「素敵……」 シャーロットは、まるで恋に落ちたように建物を見つめた。 頭の中で、既に夢が形を成し始めている。窓際には、陽だまりのような温かいテーブル席を。入口には、手書きの可愛い看板を。二階の窓からは、ハーブの鉢植えを吊るして……。「中も見る? 大家は私の古い友人でね、鍵を預かって……」「ぜひ!」 かぶせてくるようなシャーロットの即答に、マルタは優しく微笑んだ。 重い木の扉を開けると、埃の舞う光の筋が現れた。でも、その埃っぽさも、シャーロットには素敵な物語の始まりの予感に思える。 中は予想以上に広い。床は年季の入った木製で、歩くたびに優しい音を立てる。厨房も、かつてのパン屋の設備がしっかりと残っていて、少し手を加えれば十分使えそうだ。「裏庭もあるのよ」 マルタに案内されて裏口から出ると、小さいけれど陽当たりの良い庭が広がっていた。 シャーロットは、そこに広がる可能性を見た。ローズマリー、タイム、バジル……新鮮なハーブを摘んで、す
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 3. 辺境の町、ローゼンブルクへ 王都を出て三日目の朝、シャーロットを乗せた馬車は、ついに目的地である|辺境《へんきょう》の町、ローゼンブルクに到着した。 ドウドウドウ! 御者が叫び、車輪が石畳に触れる音が、次第にゆっくりとなっていく。長い旅の終わりを告げる、その優しい音に、シャーロットは胸の奥で何かが解けていくのを感じた。「お嬢様、着きましたよ」 御者の声に、シャーロットは深く息を吸い込んだ。新しい空気。新しい町。新しい人生の始まり。 期待と不安が入り混じった気持ちを抱えながら、震える手で馬車の扉を開ける。 そして――――。 息を呑んだ。 目の前に広がる光景は、王都の華やかさとは全く違う、けれど心を掴んで離さない美しさに満ちていた。 石畳の道は朝露に濡れて優しく光っている。道の両側に並ぶ|赤煉瓦《あかれんが》の家々は、一つ一つが違う表情を持ち、まるで長い物語を抱えているかのよう。窓辺には色とりどりの花が飾られ、朝の微風に揺れている。 町の中心にある噴水は、水晶のような水しぶきを上げ、虹を作り出していた。 そして何より――空が、広い。 王都では高い建物に遮られていた空が、ここでは端から端まで見渡せる。雲がゆったりと流れ、鳥たちが自由に舞っている。「なんて素敵な町……」 思わず呟いた声は、感動に震えていた。これが、自分が選んだ新しい故郷。誰に強制されたわけでもない、自分の意思で選んだ場所。「ローゼンブルクは良い町ですよ」 荷物を下ろしながら、御者が温かく笑った。「人も温かいし、飯も美味い。お嬢様もきっと気に入りますよ」「ええ、もう気に入ったわ」 シャーロットは心の底から微笑んだ。この瞬間、確信した。ここが、自分の居場所になると。ここで、新しい物語を紡いでいくのだと。 御者に心からの礼を言って別れ、シャーロットは期待に胸を膨らませながら町を歩き始める。 メインストリートは、朝の活気に満ちていた。 パン屋からは、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。肉屋の店先では、主人が威勢よく客を呼び込んでいた。八百屋には、朝採れたばかりの野菜が山と積まれ、露に濡れてきらきらと輝いている。(いいわ、とてもいいわ。こんな町でカフェを開けるなんて、夢のよう) 十年間、ただ王都で処刑におびえ、必死に活路を追い求めていた日々。でも、これからは違う。自分の店で、自分の料理を
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 2. 影の功労者|辺境《へんきょう》への道のりは長い。揺れる馬車の中で、シャーロットは過去を思い返していた。 前世の記憶が蘇ったのは八歳の時。高熱にうなされ、生死の境を彷徨った末に思い出したのは、平凡なOLとしての人生と、『聖女と五つの恋』というゲームの内容だった。(まさか自分が悪役令嬢に転生してるなんて……しかも、最後は処刑される運命だなんて) 最初は絶望した。だが、シャーロットには武器があった。前世の知識――特に、基本的な衛生観念と科学の知識だ。 王都の不衛生な環境を見て、彼女は決意した。解決策を知っている以上人々の役に立とうと。 しかし、シャーロットは決して表に出ないように気を配る。「古い書庫で見つけた文献に書いてあった」と嘘をつき、手柄は全て他人に譲った。(だって、目立ったら悪役令嬢として目をつけられるもの。地味に、目立たず、でも確実に) シャーロットの最大の功績は、やはり抗生物質の開発だった。 思い出すだけで、背筋が寒くなる。 十五歳の冬、王都で|猩紅熱《しょうこうねつ》が流行した。子供たちが次々と倒れ、既存の薬では太刀打ちできない。シャーロットは決意した。前世の知識にあったペニシリンを作ると。 問題は材料だった。青カビ――正確にはペニシリウム属の特定の菌株が必要だが、どれが正しいものか、見た目だけでは判断できない。 シャーロットは公爵家の地下室を改造し、秘密の実験室を作る。そして、ありとあらゆる青カビを集めては、培養と抽出を繰り返した。 夜中、皆が寝静まった後。シャーロットは一人、地下室に降りる。|蝋燭《ろうそく》の明かりだけを頼りに、危険な実験を続けた。 何度も失敗した。カビの胞子を吸い込んで倒れそうになったことも、抽出液で手を荒らしたことも数知れない。それでも諦めなかった。 そして、ついに――――。「できた……」 震える手で持ち上げた小瓶の中には、透明な液体が入っていた。動物実験で効果を確認し、ごく少量を自分でも試した。前世の記憶通りの効果だった。
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 5. 絶望の響き 中は話に聞いた通り闘技場のような広大な広間となっており、壁沿いの柱列に配置された魔法のランタンが一つずつ火を灯し始め、ゆっくりと神秘的な明かりで空間を満たしていった。 まるで遥か古の魔術が目覚めるかのように、広間の中央で黄金の輝きを放つ魔法陣がゆっくりと姿を現す。その輝きの中心から、まるで大地の怒りを体現するかのように、|赤鬼《オーガ》が威風堂々と立ち上がる。その血のように赤い肌、頭部から勇ましく突き出た二本の角は鬼の王者としての誇りを示していた。「あ、あれが|赤鬼《オーガ》でゴザル……か?」 フィリアの心臓が、|赤鬼《オーガ》から放たれる威圧的なオーラに震えた。その存在感は、これまで立ち向かってきたどの敵をも凌駕し、まるで暗黒の渦に飲み込まれそうな圧迫感があった。 熱い決意で挑んだボス戦。しかし、目の前に立ちはだかる想像を超えた強敵に、三人の心に恐れの影が忍び寄る。三人の額を浮かぶ冷汗は、内なる動揺の証だった。「ビビっちゃダメ! あれに勝つの! 私たちはあいつより強い! いいね?」 ソリスはバクンバクンと高鳴る心臓に浮足立ちながらも、フィリアの手をギュッと握り返す。「私たち……、あれより強い……の?」 すっかり雰囲気にのまれてしまっているイヴィット。「強い! 勝てる! |華年絆姫《プリムローズ》は常勝無敗よ? この世界は強いと信じたものが勝つの! 信じて!」「わ、分かったでゴザル……強い……強い……」「そう、強い……勝てる……」 フィリアもイヴィットもギュッと目をつぶり、ブツブツと自分に暗示をかけていく。 いよいよ三人の人生をかけた命がけのチャレンジが始まる――――。 身長三メートルはあろうかという、巨大な筋肉の塊である|赤鬼《オーガ》はいやらしい笑み浮かべ、三人娘を|睥睨《へいげい》した。 グフフフ…
Last Updated: 2025-10-25
Chapter: 4. 禁断の果実「な、何階だって関係ないでしょ!」 ソリスはギリッと奥歯を鳴らし、叫ぶ。「何その小汚いぬいぐるみ? 貧乏くさっ!」「いい歳してガキみたい」「ダッセェ! キャハハハ!」 |幻精姫遊《フェアリーフレンズ》たちはソリスのリュックについたぬいぐるみを嗤う。 ブチッ! と、ソリスの頭の中で何かが切れる音がした。 確かに彼らのバッグについているバッグチャームは、金属でできた高価なブランドものではあったが、イヴィットの想いのこもったぬいぐるみを馬鹿にされるいわれなどなかった。「小娘! 言っていいことと悪いことがあるでしょ!?」 ソリスは頭から湯気を上げながらツカツカとリーダーに迫る。「あら、オバサン。冒険者同士のケンカはご法度よ?」 ジョッキのリンゴ酒を呷りながら立ち上がり、ニヤニヤ笑いながらソリスの顔をのぞきこむリーダー。「お前が売ってきたケンカでしょ!?」 ソリスはガシッとリーダーの腕をつかんだ。「痛い! いたーい! 助けてー!! 誰かー!!」 急に喚き始めるリーダー。「な、何よ……。腕を持っただけよ?」 何が起こったのか分からず唖然とするソリス。「何やってるんだ!」 奥の方から金色の鎧を身に着けた若い男が飛んできた。「助けて、ブレイドハート!!」 リーダーは涙目になって訴える。「お前! 何してる!!」 ブレイドハートと呼ばれた男は二人の間に入るとソリスの腕を払った。この男はまだ十八歳の若きAクラス剣士で、ギルドではトップクラスのホープだった。「な、何って、彼女がケンカ吹っ掛けてくるから……」「痛ぁい! 骨が折れたかも……」 リーダーは腕を抱えてうずくまる。「おい! 大丈夫か? ヒーラー! ヒーラーは居るか!?」「いや、私、ただ、腕を持っただけなんだけど?」「何言
Last Updated: 2025-10-24
Chapter: 3. 幻精姫遊 運命の日、前日――――。 時は|赤鬼《オーガ》戦勝利の日から一週間ほどさかのぼる。 茜色に染まる空の下、ダンジョンの暗闇から|這《は》い出すように帰路につく三人。石畳の大通りを歩む彼女たちの足音は、重い疲労と共に夕暮れの街に響いていた。「はぁ~、この歳に肉体労働は疲れるわ……」 ソリスは|凝《こ》った肩を指先で軽く揉みながらため息をつく。「ソリス殿! 歳のことは言わない約束でゴザル!」 黒髪ショートカットのフィリアは、年季の入った丸眼鏡をクイッと上げて口をとがらせる。自分は言わずに必死に我慢している分だけ、不満は大きい。「ゴメンゴメン。最近は不景気で魔石の買取価格が下がっちゃってるから、こんな時間まで頑張らなきゃならないのよねぇ」「不景気……、嫌い……」 冒険の勲章のように、汚れが目立つモスグリーンのチュニックを着たイヴィットは、凝り固まった首筋をゆっくりと回した。疲労を訴えるポキポキという音が響き、続く不満げなため息は、今日の重労働を雄弁に語っていた。 夕暮れの大通りには多くの店がにぎわい、美味しそうな肉を焼く香りも漂ってくる。「不景気だっていうのに、お金持っている人は持っているのよねぇ……。もっとダンジョンの奥まで……潜りたくなるわ」 ソリスは足を止め、繁盛している焼き肉屋をにらんだ。「ソリス殿! 『安全第一』がうちらのモットーでゴザルよ!」 フィリアはすかさず突っ込んだ。|華年絆姫《プリムローズ》は二十三年間、無事故で無事にやってこれている。それは『安全第一』を徹底していたからだった。 同期のパーティーはすでに全滅したり、メンバーを|喪《うしな》って解散したりしてもはや一つも残っていない。それだけ冒険者稼業は危険で過酷。少しでも欲をかいた者をダンジョンは許さない。調子に乗って奥まで進み、気がつけば身の丈を超える状況に追い込まれ、消えていくのだった。「分かってるって。『安全第一』……。でもたまには焼肉も食べたいのよ……」 うつむきながら漏らす本音に、フィリアもイヴィットも何も言わなかった。「はぁ、やめやめ! 魔石を換金して夕飯にしましょ!」 ソリスは気丈に歩き出す。 しかし、その足はすぐに止まってしまった。水色が鮮やかな新作のチュニックが綺麗にライトアップされていたのだ。マネキンが身に|纏《まと》ったチュニックは、まる
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 2. 余りモノ不器用トリオ 泣き疲れ、ゆっくりと立ち上がるソリス――――。 戦いの興奮が冷めるにつれ、勝利の異様さが胸に刺さった。何度も死に、それでも生き返った自分。まるで物語の主人公にでもなったような非現実的な勝利に、倒した|赤鬼《オーガ》に申し訳なく思ってしまうくらいだった。 ソリスは大きくため息をつき、ステータスウィンドウを空中に広げてみる。ーーーーーーーーーーーーーーソリス:ヒューマン 女 三十九歳レベル:55 : :ギフト:|女神の祝福《アナスタシス》ーーーーーーーーーーーーーー いつの間にかレベルが40から55にもなっていたことにも驚いたが、ギフトの項目の【|女神の祝福《アナスタシス》】に目が留まった。 もしかしたら、これが死後の復活を行ってくれたのかもしれない。 今までこれがどんな効果を持つのか分からず、ソリスは長年疑問に思ってきたのだった。女神を|祀《まつ》る教会で聞いても『前例がない』と、一蹴されていた謎のギフト。まさか死後に復活し、なおかつレベルアップもしてくれるチート級のギフトだったとは全く分からなかった。「早く気づいていれば……」 ソリスはがっくりと肩を落とす。 自分のことを死なせまいと必死に頑張ってくれていた仲間。しかし、それが逆にギフトの把握を遅らせ、結果、仲間を失うことになってしまったという皮肉に、ソリスはやるせなく動けなくなった。「自分が先に死んでいたら……」 亡き仲間たちへの思いが胸を圧迫し、ソリスは悲しみの|雫《しずく》を一つまた一つと|零《こぼ》した。 ◇ 時は二十数年さかのぼる――――。 まだ十六歳だったころ、孤児院の院長からメイドの仕事を紹介してもらったソリスは、面接で仕事先のお屋敷に|赴《おもむ》いた。「ほう、なかなかいいじゃないか。男性経験はあるのかね?」 最終面接で出てきた雇用主の男爵は、|顎髭《あご
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: 1. 九死に一勝「みんな……、絶対に|仇《かたき》を討ってみせるからねっ!」 金髪をリボンでくくったアラフォーの女剣士ソリスは、幅広の大剣を|赤鬼《オーガ》に向け、鋭い瞳でにらみつけた。 磨かれた銀色に|蒼《あお》の布が映えるソリスの|鎧《よろい》は、胸元がのぞき、魔法による高い防御力と女性の優美さを見事に融合させている。腰を覆う蒼い|裾《すそ》は、ふわりと揺れるたびに彼女の内に秘めた力強さを感じさせた。長年の手入れで磨かれた革ベルトには、熟練のしっとりとした光沢が宿っている。 グォォォォォ! ダンジョン地下十階のボス、|赤鬼《オーガ》はそんなソリスをあざ笑うかのように、にやけ顔で吠えた。身長三メートルはあろうかという筋骨隆々とした怪力の|赤鬼《オーガ》は、丸太のような棍棒を軽々と振り回し、ブンブンと不気味な風きり音をフロアに響かせている。 こんな棍棒の直撃を食らっては、どんな鎧を|纏《まと》っていても一瞬でミンチだ。ソリスは慎重に間合いを取る。 この地下十階の広大なフロアは、まるで荘厳な講堂のように広がる石造りの地下闘技場だった。苔むした石柱が立ち並び、かつての戦士たちの魂が今もなお息づいているかのような重厚な空気が漂っている。石柱に設置された魔法のランタンたちが柔らかく石壁を照らし、光と影が織りなす幻想的な風景が広がっている。 グフッ! グフッ! |赤鬼《オーガ》はソリスを闘技場の隅に追い込むように、棍棒を振り回しながら距離を詰めてきた。 そうはさせじとソリスは、棍棒の動きを見ながら横にステップを踏み、タイミングを待つ。前回、女ばかりの三人パーティで挑んだ時に、攻撃パターンは|把握《はあく》済みなのだ。 アラフォーともなると力も衰えてきて、同じレベルでも若い者からは大きく見劣りをしてしまう。しかし、そこは豊富な経験でカバーしてやると、ソリスは意気込んでやってきた。 ウガァァァ! しばらく続いた鬼ごっこ状態に業を煮やした|赤鬼《オーガ》が、大きく棍棒を振りかざしながら一気に距離を詰めてくる。 ここだっ! 待ち望んでいた一瞬が到来した――――。 ソリスは猫のように軽やかなステップで地を蹴り、迫り来る棍棒をぎりぎりで|掠《かす》めるようにして避けると、ギラリと輝きを放つ大剣で一気に腕を斬り裂いた。 グハァ! |赤鬼《オーガ》の|呻《うめ》きと共に鮮
Last Updated: 2025-10-23