Chapter: 第63話 二人の部屋 その日の夜、澪は鷹司の家を訪れていた。 就任祝いとして外食を提案されたが、澪は家で過ごすことを選んだ。 事件はまだ完全には解決していない。 黒崎の会社への調査も、匿名文書の送信者の特定も続いている。 それでも、澪がすべてを確認する必要はなかった。 法務部からは、警察への相談を開始したと連絡があった。 情報システム部からは、東央リテールのサーバーを保全し、外部との通信を遮断したという報告が届いている。 澪が指示を出さなくても、関係部署は動いていた。「何か手伝うことはありますか」 鷹司が台所から尋ねた。「大丈夫です」「先ほどから、私は野菜を切っているだけですが」「それが手伝いです」 澪は鍋の中を確認した。 今夜は、二人で作ることにした。 凝った料理ではない。野菜と肉を煮込み、市販のルーを入れただけのカレーだった。「家庭はプロジェクトではないと言われましたので、今日は指示に従っています」「私が責任者ということですか」「料理に関しては」「私も得意ではありません」「では、共同責任者ですね」 鷹司は真面目な顔で答えた。 澪は思わず笑った。「その言い方だと、失敗する前提みたいです」「失敗した場合は、原因を確認します」「やっぱりプロジェクトになっています」 二人で作ったカレーは、少し水分が多かった。 それでも、味は悪くない。 向かい合って食事をしながら、澪は部屋を見回した。 鷹司の家は広く、整理されている。 必要なものは揃っているが、生活感はあまりない。「この家で暮らすのは、どうでしょう」 鷹司が言った。「この家で?」「部屋数はあります。あなたの仕事部屋も用意できます」 澪はすぐには答えなかった。 不便はない。 会社にも通いやすい。 新しく家具を揃える必要も少ないだろう。 だが、どこか違う気がした。「鷹司さんは、ここに住み続けたいですか」「特にこだわりはありません」「では、私が来ても、鷹司さんの家のままですね」 鷹司は少し考えた。「あなたの家にもなります」「言葉ではそうです。でも、置いてあるものも、家具も、全部鷹司さんが選んだものです」「気に入らないものがありますか」「そうではありません」 澪はスプーンを置いた。「私がここに入るだけではなく、二人で生活を作りたいんです」 以前の澪
آخر تحديث: 2026-07-25
Chapter: 第62話 守るということ 澪は、添付された写真を見つめた。 今朝、会社の正面玄関を通る鷹司の姿。 遠くから撮影されたものらしく、画質は荒い。それでも、着ていたコートや手にしていた鞄まで、はっきり確認できた。『これ以上調べれば、次に排除されるのは、あなたではない』 胸の奥が冷たくなる。 だが、澪はすぐにメールを閉じなかった。「情報システム部長、このメールの送信記録を保存してください」「すぐに調べます」「写真の撮影場所も確認できますか」「建物の向かい側でしょう。防犯カメラを確認します」 澪は頷き、鷹司へ電話をかけた。 数回の呼び出し音のあと、彼の声が聞こえる。『白石さん?』「今、どこにいますか」『社内です。会議が終わったところですが』 普段と変わらない声に、澪は息を吐いた。「怪しい人物を見ませんでしたか」『いいえ。何かありましたか』 澪は一瞬迷った。 心配をかけたくない。 しかし、隠すことは、二人で決めるという約束に反する。「脅迫メールが届きました。今朝の鷹司さんの写真が添付されています」 電話の向こうが静かになった。『写真を送ってください。すぐにそちらへ行きます』「来なくて大丈夫です」『大丈夫ではありません』「鷹司さんが来れば、相手の思いどおりになります」『どういう意味ですか』「私を怖がらせて、調査から外すことが目的です。鷹司さんが感情的に介入すれば、私が婚約者の力を使っていると言われる可能性もあります」『それでも、あなた一人に任せるつもりはありません』 強い声だった。 澪は目を閉じる。「一人ではありません。会長も、法務部も、情報システム部もいます」『私だけが、何も知らずにいる必要がありますか』 その言葉に、澪は返事を失った。 守るという名目で、鷹司を遠ざけようとしていた。 以前の澪なら、何も言わずに自分だけで解決しようとしただろう。 誰かを頼れば迷惑をかける。 弱いと思われる。 そう考える癖は、まだ完全には消えていない。「すみません」 澪は静かに言った。「来てください。ただし、会議には参加せず、別の部屋で待っていてください」『わかりました』「それから、一人で移動しないでください」『白石さんもです』「はい」 通話を終えると、会長が澪を見ていた。「彼を巻き込みたくなかったのですか」「はい」「だ
آخر تحديث: 2026-07-21
Chapter: 第61話 排除対象「どうして、私の名前が……」 澪は画面を見つめた。 東央リテールの社員情報を分析しているはずのシステムに、白石澪という名前が表示されている。 所属欄には、現在の会社名。 職種欄には、社内SE、AI開発責任者。 さらに、危険度を示す数値まで記載されていた。 『組織への反抗性――高』 『システム停止実績――あり』 『経営判断への影響――重大』 『排除優先度――最上位』 情報システム部長が、画面を操作する。 「東央リテールから取り込んだ情報ではありません。別のデータが混ざっています」 「どこからですか」 「接続経路を確認しています」 澪は、自分の名前を選択した。 詳細画面が開く。 そこには、以前の勤務先で起きた出来事が記録されていた。 AIを停止した日時。 元婚約者との関係。 退職後に転職した会社。 鷹司との婚約まで書かれている。 社内の人事情報だけでは、集められない内容だった。 「個人情報を集約している……」 法務部長が低い声で呟いた。 「一社のデータではありませんね」 「複数の企業から集めた情報を、一つの人物情報として統合しています」 澪は画面を読み進めた。 評価の根拠として、メール、会議記録、人事情報、取引履歴、外部の記事が並んでいる。 正しい情報もあった。 しかし、事実を歪めた記述も多い。 『個人的な感情を理由に、基幹AIを停止』 『経営陣へ過度な要求を繰り返す』 『婚姻関係を利用し、企業経営へ介入する可能性』 黒崎が匿名文書に書いた内容と似ていた。 「この評価結果が、匿名文書の元になった可能性があります」 澪が言うと、会長が眉を寄せた。 「黒崎が書いたのではないと?」 「本人が送った可能性はあります。ただ、文章の一部は、このAIが作成したのかもしれません」 「AIに排除対象を選ばせ、理由まで作らせているということですか」 「はい」 澪は画面を閉じた。 人間が先に排除したい人物を決めたのか。 AIが集めた情報から、勝手に選んだのか。 どちらにしても危険だった。 「東央リテールへ連絡します」 営業企画部長が立ち上がった。 「待ってく
آخر تحديث: 2026-07-19
Chapter: 第59話 止めるための権限 警告音が、開発室に響き続けていた。『処理を継続します』 画面には同じ文字が表示され、遮断命令を受け付けない。「白石さん、何が起きているんですか」 佐伯が椅子から立ち上がった。「営業企画部の検証環境から、顧客データへのアクセス要求が来ています」「でも、接続は許可していませんよね」「許可していません」 澪は操作履歴を確認した。 アクセスは通常の社内経路を通っていない。黒崎たちが用意した外部環境から、連携用の認証情報を使って接続している。 その認証情報は、開発室が発行したものではなかった。「佐伯さん、顧客データベースを保守モードへ移行してください」「利用中のシステムも止まります」「完全停止ではありません。参照だけを一時的に制限します」「わかりました」 佐伯が作業を始める。 澪は接続先ではなく、データベースそのものを守る方法へ切り替えた。 相手の処理を止められないなら、渡す側を閉じればいい。「保守モードに移行しました」 画面上のアクセス数が減少した。 しかし、完全には消えない。「まだ接続されています」「複製データです」 澪はログを見ながら答えた。 営業企画部の環境には、すでに一部の顧客情報がコピーされている。 誰かが、正式な申請を通さずに持ち出したのだ。 そのデータを使って、AIは処理を続けている。「情報システム部へ連絡します」「待ってください」 澪は佐伯を止めた。「電話ではなく、緊急申請を出してください。記録を残します」 黒崎は手続きを軽視していた。 だからこそ、こちらは手続きを使って止める。 誰が、いつ、何を知り、どの判断をしたのか。 すべてを記録に残す必要がある。 澪は緊急対応申請を作成した。 顧客情報への未承認アクセス。 外部環境へのデータ複製の疑い。 遮断命令に従わないシステム。 重大な情報漏洩につながる可能性あり。 送信した直後、内線電話が鳴った。『白石さん、何をしたんですか』 川瀬だった。「顧客データへの接続を制限しました」『今すぐ戻してください。検証処理が止まっています』「未承認の処理です」『役員の許可があります』「承認文書を提出してください」『今はそんなことを言っている場合ではありません。処理を中断すれば、これまでの検証結果が失われるんです』「顧客情報が失
آخر تحديث: 2026-07-17
Chapter: 第58話 止められないシステム 男の名前は、黒崎だった。 以前の勤務先で、澪が開発したAIの導入を強く推進していた外部企業の担当者だ。 当時、黒崎は効率化という言葉を繰り返し、現場の反対意見を無視して計画を進めていた。「お久しぶりです、白石さん」 黒崎は笑顔のまま、向かいの席を示した。「どうぞ、お掛けください」 澪は表情を変えずに座った。「今回の顧客選別支援システムは、黒崎さんの会社が開発しているのですか」「正確には共同開発です。弊社が技術を提供し、こちらの営業企画部が運用を担当します」 隣に座る川瀬が資料を差し出した。「すでに試験運用の準備は整っています。白石さんの開発室には、学習用データの提供だけをお願いしたいと考えています」「正式な申請は確認できませんでした」「手続きが遅れているだけです」「手続きを終える前に、データを求めたのですか」 川瀬の笑顔がわずかに引きつった。「時間がなかったもので」「顧客情報を扱う案件で、時間がないという理由は通用しません」 澪は資料を開いた。 顧客の取引履歴、支払い状況、問い合わせ回数、担当者の評価。 それらをAIに学習させ、今後利益を生む可能性が低い顧客を抽出する。「評価の低い顧客は、契約更新の対象から外すと書かれています」「経営判断を支援するだけです」 黒崎が答えた。「最終的に決めるのは人間です」「では、判断した人間の名前は記録されますか」「必要ありません」「なぜですか」「AIが客観的な数値を示すからです」 澪は資料から顔を上げた。「AIの判断は、客観的とは限りません」「また、その話ですか」 黒崎は呆れたように息を吐いた。「白石さんは、AIに慎重すぎる。自分で作ったシステムさえ止めたほどですからね」「問題があれば止めるのは当然です」「その結果、会社を混乱させた」「不正な運用を続けるよりはましでした」 会議室に緊張が走った。 川瀬が慌てて口を挟む。「過去の話は、そのくらいにしましょう。今回のシステムには安全対策があります」「どのような対策ですか」「異常な結果が出れば、担当者が確認します」「異常の基準は?」 川瀬は答えられなかった。 代わりに黒崎が口を開く。「数値が大きく外れた場合です」「過去のデータに偏りがあれば、正常に計算しても不公平な結果が出ます」「理論上の話です
آخر تحديث: 2026-07-17
Chapter: 第57話 匿名文書の送り主 澪は、鷹司から送られてきた画像を拡大した。 文書には、統括室の新設を批判する言葉が並んでいる。『AIの停止権限を一人の技術者に与えることは、経営判断を放棄するに等しい』『白石澪は、過去にも独断でAIを停止し、勤務先を混乱させた』『個人的な感情でシステムを止める人物に、グループ全体の管理を任せるべきではない』 どれも、事実の一部だけを切り取った内容だった。 澪がAIを停止したのは、個人的な感情からではない。権限を奪われ、不正な運用をされる危険があったからだ。 だが、その事情を知らない者が読めば、文書の内容を信じるかもしれない。『送信元はわかりますか』 澪が尋ねると、鷹司からすぐに返信が届いた。『社外の匿名メールサービスが使われています。情報システム部が調査していますが、特定は難しいでしょう』『文書の内容を知っている人は限られます』『はい。統括室の構想と、あなたが候補であることを事前に知っていた人物です』 つまり、送り主は社内にいる可能性が高い。 澪はスマートフォンを閉じた。 開発室へ戻ると、佐伯が心配そうに声をかけてきた。「会議、どうでしたか」「条件付きで保留になりました」「条件?」「必要ならAIを止められる権限です」 佐伯は目を丸くした。「経営陣の許可がなくてもですか」「重大な危険がある場合だけです」「それ、反対する人が多そうですね」 澪は佐伯を見た。「どうして、そう思いますか」「AIを止められたら困る部署があるからです。導入にお金を使った人とか、成果として発表したい人とか」 それは、もっともな意見だった。 AIが危険だから反対しているのではない。 止められると困るから、澪を排除しようとしている。「佐伯さん」「はい」「最近、グループ各社で導入予定のAIについて、何か聞いていませんか」「詳しくは知りませんけど、営業部門で顧客評価AIを試すという話は聞きました」「顧客評価?」「契約を続ける価値があるか、AIに判断させるそうです」 澪は眉を寄せた。「誰から聞きましたか」「先週、営業企画の人が開発室に来たんです。過去の取引データを提供してほしいって」「許可したんですか」「いいえ。白石さんの承認が必要だと伝えました」 その報告を、澪は受けていない。「担当者の名前は?」「確か、川瀬さんです
آخر تحديث: 2026-07-16