登入中堅商社で社内SEとして働く白石澪は「パソコン係」と軽く扱われていた。三年連続営業トップの恋人・久我蒼真を陰で支えていたのは、澪が個人開発した営業支援AIだった。しかしある日、蒼真から「社内SEじゃ釣り合わない」と婚約破棄を告げられる。澪は静かに退職願を出し、月額1円で提供していたAIの利用契約を打ち切った——。翌日から会社が崩壊していくとも知らずに。財閥御曹司・鷹司怜央に才能を見出された澪は、初めて正当な評価を受け、本当の居場所を見つけていく。
查看更多その日の夜、澪は鷹司の家を訪れていた。 就任祝いとして外食を提案されたが、澪は家で過ごすことを選んだ。 事件はまだ完全には解決していない。 黒崎の会社への調査も、匿名文書の送信者の特定も続いている。 それでも、澪がすべてを確認する必要はなかった。 法務部からは、警察への相談を開始したと連絡があった。 情報システム部からは、東央リテールのサーバーを保全し、外部との通信を遮断したという報告が届いている。 澪が指示を出さなくても、関係部署は動いていた。「何か手伝うことはありますか」 鷹司が台所から尋ねた。「大丈夫です」「先ほどから、私は野菜を切っているだけですが」「それが手伝いです」 澪は鍋の中を確認した。 今夜は、二人で作ることにした。 凝った料理ではない。野菜と肉を煮込み、市販のルーを入れただけのカレーだった。「家庭はプロジェクトではないと言われましたので、今日は指示に従っています」「私が責任者ということですか」「料理に関しては」「私も得意ではありません」「では、共同責任者ですね」 鷹司は真面目な顔で答えた。 澪は思わず笑った。「その言い方だと、失敗する前提みたいです」「失敗した場合は、原因を確認します」「やっぱりプロジェクトになっています」 二人で作ったカレーは、少し水分が多かった。 それでも、味は悪くない。 向かい合って食事をしながら、澪は部屋を見回した。 鷹司の家は広く、整理されている。 必要なものは揃っているが、生活感はあまりない。「この家で暮らすのは、どうでしょう」 鷹司が言った。「この家で?」「部屋数はあります。あなたの仕事部屋も用意できます」 澪はすぐには答えなかった。 不便はない。 会社にも通いやすい。 新しく家具を揃える必要も少ないだろう。 だが、どこか違う気がした。「鷹司さんは、ここに住み続けたいですか」「特にこだわりはありません」「では、私が来ても、鷹司さんの家のままですね」 鷹司は少し考えた。「あなたの家にもなります」「言葉ではそうです。でも、置いてあるものも、家具も、全部鷹司さんが選んだものです」「気に入らないものがありますか」「そうではありません」 澪はスプーンを置いた。「私がここに入るだけではなく、二人で生活を作りたいんです」 以前の澪
澪は、添付された写真を見つめた。 今朝、会社の正面玄関を通る鷹司の姿。 遠くから撮影されたものらしく、画質は荒い。それでも、着ていたコートや手にしていた鞄まで、はっきり確認できた。『これ以上調べれば、次に排除されるのは、あなたではない』 胸の奥が冷たくなる。 だが、澪はすぐにメールを閉じなかった。「情報システム部長、このメールの送信記録を保存してください」「すぐに調べます」「写真の撮影場所も確認できますか」「建物の向かい側でしょう。防犯カメラを確認します」 澪は頷き、鷹司へ電話をかけた。 数回の呼び出し音のあと、彼の声が聞こえる。『白石さん?』「今、どこにいますか」『社内です。会議が終わったところですが』 普段と変わらない声に、澪は息を吐いた。「怪しい人物を見ませんでしたか」『いいえ。何かありましたか』 澪は一瞬迷った。 心配をかけたくない。 しかし、隠すことは、二人で決めるという約束に反する。「脅迫メールが届きました。今朝の鷹司さんの写真が添付されています」 電話の向こうが静かになった。『写真を送ってください。すぐにそちらへ行きます』「来なくて大丈夫です」『大丈夫ではありません』「鷹司さんが来れば、相手の思いどおりになります」『どういう意味ですか』「私を怖がらせて、調査から外すことが目的です。鷹司さんが感情的に介入すれば、私が婚約者の力を使っていると言われる可能性もあります」『それでも、あなた一人に任せるつもりはありません』 強い声だった。 澪は目を閉じる。「一人ではありません。会長も、法務部も、情報システム部もいます」『私だけが、何も知らずにいる必要がありますか』 その言葉に、澪は返事を失った。 守るという名目で、鷹司を遠ざけようとしていた。 以前の澪なら、何も言わずに自分だけで解決しようとしただろう。 誰かを頼れば迷惑をかける。 弱いと思われる。 そう考える癖は、まだ完全には消えていない。「すみません」 澪は静かに言った。「来てください。ただし、会議には参加せず、別の部屋で待っていてください」『わかりました』「それから、一人で移動しないでください」『白石さんもです』「はい」 通話を終えると、会長が澪を見ていた。「彼を巻き込みたくなかったのですか」「はい」「だ
「どうして、私の名前が……」 澪は画面を見つめた。 東央リテールの社員情報を分析しているはずのシステムに、白石澪という名前が表示されている。 所属欄には、現在の会社名。 職種欄には、社内SE、AI開発責任者。 さらに、危険度を示す数値まで記載されていた。 『組織への反抗性――高』 『システム停止実績――あり』 『経営判断への影響――重大』 『排除優先度――最上位』 情報システム部長が、画面を操作する。 「東央リテールから取り込んだ情報ではありません。別のデータが混ざっています」 「どこからですか」 「接続経路を確認しています」 澪は、自分の名前を選択した。 詳細画面が開く。 そこには、以前の勤務先で起きた出来事が記録されていた。 AIを停止した日時。 元婚約者との関係。 退職後に転職した会社。 鷹司との婚約まで書かれている。 社内の人事情報だけでは、集められない内容だった。 「個人情報を集約している……」 法務部長が低い声で呟いた。 「一社のデータではありませんね」 「複数の企業から集めた情報を、一つの人物情報として統合しています」 澪は画面を読み進めた。 評価の根拠として、メール、会議記録、人事情報、取引履歴、外部の記事が並んでいる。 正しい情報もあった。 しかし、事実を歪めた記述も多い。 『個人的な感情を理由に、基幹AIを停止』 『経営陣へ過度な要求を繰り返す』 『婚姻関係を利用し、企業経営へ介入する可能性』 黒崎が匿名文書に書いた内容と似ていた。 「この評価結果が、匿名文書の元になった可能性があります」 澪が言うと、会長が眉を寄せた。 「黒崎が書いたのではないと?」 「本人が送った可能性はあります。ただ、文章の一部は、このAIが作成したのかもしれません」 「AIに排除対象を選ばせ、理由まで作らせているということですか」 「はい」 澪は画面を閉じた。 人間が先に排除したい人物を決めたのか。 AIが集めた情報から、勝手に選んだのか。 どちらにしても危険だった。 「東央リテールへ連絡します」 営業企画部長が立ち上がった。 「待ってく
警告音が、開発室に響き続けていた。『処理を継続します』 画面には同じ文字が表示され、遮断命令を受け付けない。「白石さん、何が起きているんですか」 佐伯が椅子から立ち上がった。「営業企画部の検証環境から、顧客データへのアクセス要求が来ています」「でも、接続は許可していませんよね」「許可していません」 澪は操作履歴を確認した。 アクセスは通常の社内経路を通っていない。黒崎たちが用意した外部環境から、連携用の認証情報を使って接続している。 その認証情報は、開発室が発行したものではなかった。「佐伯さん、顧客データベースを保守モードへ移行してください」「利用中のシステムも止まります」「完全停止ではありません。参照だけを一時的に制限します」「わかりました」 佐伯が作業を始める。 澪は接続先ではなく、データベースそのものを守る方法へ切り替えた。 相手の処理を止められないなら、渡す側を閉じればいい。「保守モードに移行しました」 画面上のアクセス数が減少した。 しかし、完全には消えない。「まだ接続されています」「複製データです」 澪はログを見ながら答えた。 営業企画部の環境には、すでに一部の顧客情報がコピーされている。 誰かが、正式な申請を通さずに持ち出したのだ。 そのデータを使って、AIは処理を続けている。「情報システム部へ連絡します」「待ってください」 澪は佐伯を止めた。「電話ではなく、緊急申請を出してください。記録を残します」 黒崎は手続きを軽視していた。 だからこそ、こちらは手続きを使って止める。 誰が、いつ、何を知り、どの判断をしたのか。 すべてを記録に残す必要がある。 澪は緊急対応申請を作成した。 顧客情報への未承認アクセス。 外部環境へのデータ複製の疑い。 遮断命令に従わないシステム。 重大な情報漏洩につながる可能性あり。 送信した直後、内線電話が鳴った。『白石さん、何をしたんですか』 川瀬だった。「顧客データへの接続を制限しました」『今すぐ戻してください。検証処理が止まっています』「未承認の処理です」『役員の許可があります』「承認文書を提出してください」『今はそんなことを言っている場合ではありません。処理を中断すれば、これまでの検証結果が失われるんです』「顧客情報が失
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