大学は夏休みに入った。
四年生になり、ただでさえ講義のコマ数も少なかったが、全く行く必要がなくなると、やっぱり楽だ。
直桜が本格的に霊・怨霊担当部署、通称・清祓屋稼業を始めてから二週間が経過していた。
最近は仕事が増えてきたので、余計に大学がなくて良かったと思う。
「昨日は病院で、今日は特別養護老人ホーム。何か、意外だ。墓とか廃墟とか、そういう場所に行くんだと思ってた」
化野が運転する車の助手席で、仕事用の資料を確認する。
「墓や廃墟は邪魅や怨霊が溜まりやすい場所ではあります。時々には、そういう場所での仕事もありますが、基本的には他部署の担当になりますね」
車はマンションがあるさいたま市を抜けて、都心に向かって走っている。
「死が身近で頻繁にある場所は霊が冥府に逝けずに留まるケースが多い。霊が溜まれば怨霊に変化する可能性が高い。我々の仕事は、霊を無事に冥府へ送ること。怨霊と化したなら霊に戻して冥府へ送る、戻せないなら消滅させることです」
「なるほどねぇ」
存外、安全な仕事だな、と思う。
怨霊も強くなると人型になり、人の振りをして社会に紛れる者もある。そういう存在を相手にするとなると、命懸けが冗談ではなくなる。
「都内に拠点を持たないのは、何で? 関東ブロックの、もう一か所は横浜って言ってたよね?」
霊・怨霊担当部署の他の地域は県庁所在地や中心部に拠点を設けている場所が多い。
「都内には既に警察庁があります。13課の本部もその中にあり、班長と副班長が常に待機していますので、必要がないんです」
「言われてみれば、そっか」
13課は細かく部署が別れているが、班長と副班長は何でもできる人たちらしい。不測の事態が起きでも対処できてしまうのだろう。
『お前は特別な子だよ、直桜。その身に最高神を宿せる。神降ろしができる子は集落でも数少ないんだ』「嫌だ。俺はそんなの、望んでない。神様なんか、いらない」『神降ろしをしろと教えただろうに。神喰いなど、恐れ多い。顕現させた神を止めるから生神なのに、神を体内に喰らったら、何の意味もない』「言われた通りにしただけなのに。直日神は内側に宿ることを望んだから。魂が繋がれば直桜の負担も少ないって、直桜ならそれができるって、神様がそう言ったのに」『異端、忌子、災禍の種。何故、教えた通りにしなかった。人が神の力を得るなど、恐ろしい。お前はその力を使ってはいけないよ。きっと災いが起こる、きっとだ』「そうか、俺の存在が災いなんだ。これだけ集落が騒いでる。力を使わなければ、普通に埋もれて生きれば、きっと何も起こらない。きっと、平和だ」 昔々の出来事が、走馬灯のように頭の中を流れていった。(……夢、か? 久々にみた。あの時、俺を災いと呼んだのは、誰だったか) 呪詛でもかけるように囁いた女は、まるで直桜の存在を卑下した声で、顔で、笑っていたと思う。(気分、悪ぃ。久しぶりに神力を使ったせいか。もう、忘れていたのに) カーテンの隙間から木漏れ日が差し込んでいる。鳥の鳴く声が朝を告げていた。 気分が悪くて寝返りを打ったら、やけに端正な男の顔が目に入った。(あれ……、化野? あれ、あれ⁉) 状況が理解できずに頭の中が混乱している。(昨日は楓と飲んで帰って、風呂上がりの化野と話を……、プリン食べて、えっと)
結局、マンションに帰ってきたのは0時過ぎだった。 失恋記念と称して飲みに付き合った結果だが、その割には早く帰ってこれたと思う。楓の強メンタルに驚くばかりだ。(きっと俺に気を遣ってくれたんだ。これからも友達でいたい、なんて言ったから) とても傷付いたはずなのに、直桜に気を遣える楓は強いと思うし、これからも良い友達でいたいと思う。 なんとなく沈んだ気持ちを引き摺ったまま、直桜はキッチンに向かった。お土産に買ってきたプリンを冷蔵庫に入れておきたかった。(化野がプリン好きか知らないけど。そういえば、化野の好みって知らないな) 夕飯も別の時が多いし、何が好きかなんて知らない。 私服も見たことがない。いつもスーツで髪を綺麗に後ろに流して、眼鏡をしている。そんな姿しか、見たことがない。(一緒に住んでるはずなのに、化野のこと、何も知らないんだな) 部屋からキッチンへ続く廊下に出る。 キッチンと向かいの風呂の扉が開いて、誰かが出てきた。 濡れた髪を拭きながら上半身裸の男が目を細めて、こちらを見ている。 細い割に引き締まった体と高い身長、整った顔立ちは、まるで有名人のようだ。(誰⁉ このモデルみたいな男、誰だ⁉ ここには俺と化野しか住んでいないはず) あまりに驚いて、声が出ない。 凝視していると、男が声を発した。「瀬田くん、おかえりなさい」 その声は、まぎれもなく化野だった。「……え? 化野、なの?」 思わず呆けた声が出てしまった。 化野らしきイケメンが目を擦って、再度直桜を凝視
帰ってきてからも、直桜は部屋に籠ったきり、出なかった。 ここ何日かは、顔も合わせていない。 トイレと風呂とキッチンが共同スペースになっているのは、こういう時は厄介だ。(しばらくは外の仕事がなかったな。終日一緒は、今はしんどいから、良かった) ベッドに転がって枕を抱き締める。 自分の中のモヤモヤを、どうにも消化できない。「あぁ! くっそ!」 枕を投げようとして、スマホが光っているのが目に入った。 楓からのメッセージだった。『夏休み中は、ずっとバイト? 暇があったら、会わない?』 なんてタイミングが良いのだろうと思った。 ここのところ、化野とばかり顔を合わせていたから、良い気晴らしになる。 明日会う約束をして、直桜は何とか眠りに就いた。〇●〇●〇 楓と会うのは久しぶりだ。 駅前で約束をして落ち合うと、楓がパンケーキが美味しい店に連れて行ってくれた。「直桜って甘いもの好きだから。バイト頑張っているご褒美にね。美味しい?」「うまーい。マジ幸せ。生きてて良かった」 一口頬張ると、口の中に幸せが広がる。「俺が好きなものとか、よく覚えてるよなぁ。楓ってマメだな。だからモテるんだよな、きっと」「直桜だから、覚えてるんだよ」 不意に顔を上げると、楓ににこりと微笑まれた。「ねぇ、直桜。前にさ、大学に直桜を捜しに来た人がいたって陽介に聞いたんだけど。今のバイト先って、その人の所?」 急な話題に、ドキリとする
大学は夏休みに入った。 四年生になり、ただでさえ講義のコマ数も少なかったが、全く行く必要がなくなると、やっぱり楽だ。 直桜が本格的に霊・怨霊担当部署、通称・清祓屋稼業を始めてから二週間が経過していた。 最近は仕事が増えてきたので、余計に大学がなくて良かったと思う。「昨日は病院で、今日は特別養護老人ホーム。何か、意外だ。墓とか廃墟とか、そういう場所に行くんだと思ってた」 化野が運転する車の助手席で、仕事用の資料を確認する。「墓や廃墟は邪魅や怨霊が溜まりやすい場所ではあります。時々には、そういう場所での仕事もありますが、基本的には他部署の担当になりますね」 車はマンションがあるさいたま市を抜けて、都心に向かって走っている。「死が身近で頻繁にある場所は霊が冥府に逝けずに留まるケースが多い。霊が溜まれば怨霊に変化する可能性が高い。我々の仕事は、霊を無事に冥府へ送ること。怨霊と化したなら霊に戻して冥府へ送る、戻せないなら消滅させることです」「なるほどねぇ」 存外、安全な仕事だな、と思う。 怨霊も強くなると人型になり、人の振りをして社会に紛れる者もある。そういう存在を相手にするとなると、命懸けが冗談ではなくなる。「都内に拠点を持たないのは、何で? 関東ブロックの、もう一か所は横浜って言ってたよね?」 霊・怨霊担当部署の他の地域は県庁所在地や中心部に拠点を設けている場所が多い。「都内には既に警察庁があります。13課の本部もその中にあり、班長と副班長が常に待機していますので、必要がないんです」「言われてみれば、そっか」 13課は細かく部署が別れているが、班長と副班長は何でもできる人たちらしい。不測の事態が起きでも対処できてしまうのだろう。
清人との約束通り、次の日には早速、仕事に取り掛かった。 最初の仕事は、引っ越しだ。 事務所兼住居である例のマンションに直桜が入ったのは、あれから五日後だった。「なぁ、化野。段ボールってどこ捨てたらいい?」 事務所で作業する化野に声を掛ける。 「荷解き、もう終わったんですか? 早いですね。事務所の隅にでも置いておいてください。出しておきます」 言われたっとおり、ゴミ箱の辺りにまとめて立てかける。「引っ越しっても、三か月だけだしさ。住んでるアパートも契約そのままだし。最低限の荷物しか持ってきてないよ」 面接に来たマンションの、事務所の隣には化野の部屋がある。その隣に空き部屋があるので、契約期間である三か月間はそこで暮らすよう、清人から言付けられていた。『バディを組んだら一緒に生活すんのが基本な。暮らしてれば、化野の魂魄も祓いやすくなると思うぞ』 清人の言葉は、何となく理解できる。 直桜が入った部屋は恐らく、化野の前のバディが住んでいた部屋だ。 席を立ち、コーヒーを淹れる化野の腹を遠目に眺める。(あの腹ン中にある魂魄は、多分ソイツなんだろう。聞くまでもないし、聞きたくもないけど) 清人に追い回されたあの日以降、化野の中の魂魄が邪魅を帯びることはなくなった。だが、目を凝らせば魂魄の拍動を視認できる。化野の中で生きているような存在感だ。(……気に入らない。死んだヤツが生きた人間を翻弄している事実も、それを甘んじて受け入れている化野自身も) 立ち上がり、化野の後ろに立つと、その腹に手を回した。「えっ! 瀬田くん⁉」 びくりと肩を震わせてカップを落としそうになる化野に、体を寄せる。「じっとしててよ。邪魅が憑きにくくなるように神力送り込んでるだけだから。嫌なら口から流し込むけど?」 囁いた耳が熱を帯びていく。「……お願いします」 このままが良いのか、口からが良いのか、いまいち曖昧だ。 化野の顎を持って引き寄せる。
「瀬田くん! ダメです!」 化野が後ろから直桜の体に抱き付いた。 吐息も手の温度も、やけに熱い。「それ以上は、清人さんを殺してしまいます!」 直桜の耳元で、化野が必死に叫んでいる。 化野の腹が背中に触れた瞬間、直桜の体から神力が吸い取られた。 神力と一緒に溢れていた怒りが沈んでいく。 直桜は化野を振り返った。「化野、そこ、座って」 声は冷静だったと思う。 化野は直桜の言葉に従い、素直に椅子に腰かけた。 邪魅を纏った腕と腹に手を添える。「瀬田くん! 待って……」「魂魄は祓わない。無駄に増えてる邪魅だけ祓う。このままにしてたら、化野が鬼化するだろ」 あてた手のひらから邪魅を吸い取る。 体の中に取り込んで聞食すと、清浄な気だけが体外に流れた。 化野の手を取って、自分の頬に添える。まだ、熱い。「ありがとうございます。……あの、瀬田くん?」 困惑した声が頭の上から聞こえる。「化野の手って、いつもこんなに熱いの?」「……前は、冷たいくらいでした」 気まずい声だが、黙り込まずにちゃんと答えてくれた。「そっか。やっぱ、そうだよな」 腕を伸ばして化野の腰に巻き付けると、腹に顔を寄せた。「え⁉ 瀬田くん⁉」 更に困惑した声が降ってくるが、気にしない。 手を伸ばして、化野の手を握り締めた。(何で俺が一昨日、あのマンショ