容姿コンプレックスをもつ内気な女子高生 神林紀子(かんばやしきこ)は、代わり映えしない毎日を過ごしていた。 両親に購入してもらったスマートフォンを手にしたことで 窮屈で居心地の悪かった毎日が、少しずつ変わっていった。 インターネットの世界で、現実では味わえない人との繋がりを作っていく紀子は、オフ会の話が出るたびに断り続け、やがて作り上げた繋がりを絶ってしまう。 そうしてネットの世界を渡り歩いているとき、一人の男の子と知り合う。 彼との出会いが、紀子の世界を少しずつ変えていった。
view more洗面台の鏡に映る顔を見るたび、私は心の底から嫌になる。
どうして私はこんなに醜いのだろう。目は小さくて一重で、鼻は大きくて形が悪い。輪郭だってぼんやりしていて、とても十六歳の女の子の顔だなんて思えない。友だちのお母さんに間違われたこともある。それも一度や二度じゃない。
でも、だからって、なにもしないわけにはいかない。
私は丁寧に髪をブラッシングする。昨夜アイロンをかけておいた制服に袖を通し、スカートのプリーツが乱れていないか確認する。靴下もきちんと伸ばして、靴紐も結び直す。
これが私の、せめてもの抵抗だった。
顔は変えられないけれど、せめて身だしなみくらいはきちんとしていたい。そうしていれば、少しはマシに見えるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、今日も鏡の前で身支度を整える。
「紀子、朝ごはんよ」
一階からお母さんの声が聞こえた。私は最後にもう一度鏡を見て、小さくため息をついた。
今日もまた、長い一日が始まる。
* 家を出るとき、私はいつものように人通りの少ない裏道を選んだ。大通りを歩けば同級生に会う可能性が高いし、なにより人の視線が怖い。すれ違う人たちが私を見て、心の中でどんなことを思っているか想像してしまう。「あの子の顔、可哀想に」
「まだ高校生なのに、あんな顔で」
そんな声が聞こえてくるような気がして、私は俯いて歩く。
桜の花びらが風に舞っている。薄いピンク色の花びらが青い空に映えて、とても美しい。普通の女子高生なら、友だちと一緒にこの桜を見て「きれい」って言い合って、写真を撮ったりするんだろうな。
でも私には、そんな友だちはいない。
学校の門をくぐるとき、胸がきゅっと締め付けられた。今日もまた、あの教室に入らなければならない。みんなの視線を感じながら、一人で過ごさなければならない。
私は深く息を吸って、覚悟を決めた。
* 教室に入ると、もうクラスメイトの何人かが登校していた。私はいつものように、一番後ろの隅の席に向かう。ここなら目立たないし、みんなの楽しそうな会話を聞きながらも、無理に参加する必要がない。「昨日のドラマ見た?」
「見た見た! 最後のシーン、超感動した」
「あの俳優さん、めちゃくちゃイケメンだよね」
女子たちの華やかな会話が教室に響く。中でもひときわ美しい声で話しているのは、桧葉彩音さんだった。まるでモデルみたいに美人で、いつも男子たちに囲まれている。今も彼女の周りには人だかりができていて、彼女が髪を直すたびに男子たちの視線が集まっていた。
「彩音ちゃん、今度の休日空いてる?」
「映画でも観に行かない?」
そんな誘いの声があちこちから聞こえてくる。
私はカバンから教科書を取り出すふりをしながら、その様子を横目で見ていた。羨ましいという気持ちと、自分とは住む世界が違うという諦めが胸の中で混ざり合っている。
担任の堀川先生が教室に入ってきて、みんな席に着いた。朝のホームルームが始まる。
「おはようございます。今日も一日、頑張りましょう」
先生の明るい声に、みんなが元気よく応える。私も小さく「おはようございます」と呟いたけれど、誰にも聞こえていないだろう。いつものことだった。
* 二時間目の数学の授業中、私は必死に問題に集中しようとしていた。数学は私の得意科目の一つで、問題を解いている時だけは嫌なことを忘れられる。でも今日は、隣の席の男子のひそひそ話が気になって仕方がなかった。
「神林ってさ~、勉強はできるけど……」
その後に続く言葉は聞こえなかったけれど、沈黙の意味は痛いほどわかった。勉強ができても、容姿がこれでは意味がない。そう思われているのだ。
私の手が震えた。シャープペンシルを握る指に力が入らない。
勉強だけが私の取り柄だった。テストではいつも上位の成績を取っているし、先生たちからも褒められる。でもそれだけでは足りないのだ。外見が全てを否定してしまう。
どうして世の中は、こんなにも外見で人を判断するのだろう。
私は唇を噛んで、再び問題に向き合った。これしかないのだから。勉強することしか、私にはできないのだから。
* 昼休みになると、教室は一気に華やいだ。みんなそれぞれお弁当を広げて、楽しそうに食事を始める。友だち同士でお弁当を見せ合ったり、おかずを交換したりする声があちこちから聞こえてくる。私は一人、自分の席でお母さんの作ってくれたお弁当を開けた。今日は私の好きな卵焼きと鶏の唐揚げが入っている。きっと朝早くから作ってくれたのだろう。お母さんの愛情がたっぷり詰まったお弁当を見ていると、少しだけ心が温かくなった。
でも、一人で食べる寂しさは隠しようがなかった。
「今度みんなでプリクラ撮りに行かない?」
「いいね! あの新しい機械、盛れるって聞いたよ」
「インスタ映えするカフェも見つけたんだ」
隣のグループの楽しそうな会話が耳に入る。プリクラにカフェにインスタ。私には縁のない世界の話だった。
友だちが欲しい。一緒にお弁当を食べて、他愛もない話をして、放課後は一緒に帰る。そんな普通の高校生活を送ってみたい。
でも、私から声をかける勇気はない。過去に何度も痛い思いをしてきたから。優しそうに見えた子に話しかけても、結局は距離を置かれてしまう。それがどれだけ辛いか、もう充分に知っていた。
私は静かにお弁当を食べ続けた。一人で。
* 放課後、私は図書室に向かった。ここなら人も少ないし、静かに過ごすことができる。私は好きな少女漫画のコーナーに行き、新刊を手に取った。美しいヒロインと素敵な男性の恋愛物語。ページをめくるたび、私の心は物語の世界に引き込まれていく。こんな恋愛ができたらどんなにいいだろう。運命的な出会いがあって、相手が私の内面を見てくれて、外見なんて関係ないって言ってくれて...
でも、漫画の中のヒロインはみんな美人だった。
私は本を閉じて、深くため息をついた。現実では、私にこんな恋愛は無理だ。まず誰かに好きになってもらうことから始まるって、それがもう不可能に近い。
図書室の静けさが心地よかった。でも同時に、この静寂が私の孤独を際立たせているようにも感じられた。
* 帰り道は、朝とは違うルートを選んだ。同級生に会うのを避けるためだ。少し遠回りになるけれど、人目を気にしながら歩くよりはずっと楽だった。夕日が校舎を染めている。オレンジ色の光が桜の花びらを照らして、とても美しい光景だった。コンビニの前では、同年代の子たちが楽しそうに話している。制服から察するに、隣の学校の生徒たちらしい。
私は遠くからその様子を眺めた。私も、あの輪の中に入りたい。みんなと笑い合って、他愛もない話をして、青春らしい時間を過ごしたい。
でも、それは無理な話。
私は足早にその場を通り過ぎて、家路を急いだ。家に帰れば、少しは安心できる。誰かの視線を気にしなくてもいい、私だけの空間がある。
* 夜九時。宿題を終えた私は、ベッドに横たわっていた。今日という一日を振り返ってみる。朝、鏡の前で感じた絶望。学校での孤独。昼休みの寂しさ。図書室での切ない思い。
今日も、なにも変わらなかった。
でも、完全に希望を失ったわけではない。明日はなにか違うことが起こるかもしれない。小さな変化があるかもしれない。そんな淡い期待を、私は心の奥底で抱き続けている。
「紀子、もう寝る?」
お母さんが部屋のドアを開けて、顔を覗かせた。
「うん、もう寝るよ」
「そう。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
お母さんがドアを閉めて、部屋は暗くなった。街灯の明かりが薄くカーテンを透かして、壁に淡い影を作っている。
私は目を閉じて、小さくつぶやいた。
「いつか、変われるかな」
その言葉は暗闇の中に消えていく。でも私は信じていた。いつか、きっと。
たとえそれがいつになるか、わからなくても。
新緑の葉が赤や黄色に色を変え、高く広がる空が心地よい季節になった。 私もついに進路を決めて、受験に向けて本格的に準備を進めている。教室の黒板には「進路希望調査」の文字が踊り、周りのクラスメイトたちは将来の話で盛り上がっている。この数カ月で、私の周りの環境も少しずつ変わっていた。彩音とは別のクラスになって顔を合わせることもほとんどなくなった。今のクラスメイトたちは、そこまで深く付き合っていなくても、私と普通に接してくれる。 以前のように、私を嫌な目で見る人もいるけれど、嫌がらせをする人はいない。 お昼ももう、一人で食べることはなくなった。一緒に食べる仲間ができたから。毎朝、学校へ来ることが憂鬱でたまらないことは、もうなくなった。「紀子は大学行くの?」 隣の席の女子が気さくに声をかけてくれる。「うん、文学部に進みたいと思ってるんだ」「へえ、美術部だから、てっきり美大に行くんだと思った。もしかして小説とか書くの?」「まあ、そんなところかな」「いいじゃん、夢があるよね。でも、絵を描くのはやめちゃうの? 上手いのにもったいなくない?」「ありがとう……絵は続けるよ。せっかく美術部で色々と教わったから」 あのころから物語を書くことに興味を持つようになっていた。自分の気持ちを言葉にすることで、少しずつ心の整理ができるようになった気がする。 絵を描くことも、もちろん続けていきたい。自己流だけれど、時間を見つけて描くようにしている。拓翔が上手いと褒めてくれたから。 放課後の図書館で、私は大学の資料を眺めていた。志望校のパンフレットを開きながら、今日もまた、拓翔は今どうしているのだろうと考えてしまう。 彼も高校三年生になったはずだ。進路は決まったのだろうか。拓翔は小説家になりたいと言っていた。私と同じように、どこかの大学の文学部に進むんだろうか。 そして、あの優しくて温かい口調で、進路について、誰かと話しているのだろうか。 もしかすると、同じ大学を希望しているかもしれない。「……だめね、私」 思わず呟いてしまう。こんな風に、拓翔のことを考えない日はない。あの日、私は自分から関係を断ち切ったのに、心の奥底では、今でも彼への想いを手放すことができずにいた。 夜、自分の部屋でスマホを見つめる。 あの日以来、私はSNSやチャット、掲示板からは完全に距
桜が散り始めた四月の午後、私は一人で図書室にいた。 進路相談の資料を広げながら、将来のことを考えている。三年生になって、現実的に自分の進路を決めなければならない時期が来た。 以前なら、こんなときも拓翔に相談していただろう。拓翔は私の話をいつも真剣に聞いてくれて、的確なアドバイスをくれた。でも、もうそれは叶わない。「神林さん、一人?」 振り返ると、同じクラスの|梶原哲哉《かじわらてつや》が立っていた。彼は図書委員で、私とは時々、本の話をする仲だった。「うん、進路のことを調べてるの」「俺も。一緒に考えない?」 哲哉は、私の向かいに座った。彼は背が高くて、優しい顔をしている。クラスでも人気があって、私なんかとは住む世界が違う人だと思っていた。どちらかというと、彩音のグループにいるような人だから。「神林さんは、文学部志望だっけ?」「うん。でも、まだ迷ってる」「なにを迷ってるの?」 私は少し考えてから答えた。「本当に、私なんかが文学を学んでいいのかなって」 哲哉はジッと私を見つめて首をかしげた。「どうして? 神林さんの読書感想文、いつもすごく深くて感動するよ。先生も褒めてたし」 その言葉に、私は驚いた。誰かが私の感想文を読んでくれていたなんて知らなかった。「ありがとう。でも、私は人とのコミュニケーションが苦手だから、将来文学の道に進んでも、うまくやっていけるか心配で」「それなら、今から少しずつ慣れていけばいいんじゃない? 僕、神林さんと話してると楽しいよ。落ち着いてるし、考えが深いし」 哲哉の言葉は、拓翔が言ってくれた言葉と似ていた。以前は受け入れられなかったお世辞も、今度は素直に受け取ることができた。「そう言ってもらえると、少し自信が持てる」「神林さんは、もっと自分を信じていいと思う」 その後、私たちは進路について色々と話し合った。哲哉は理系志望で、将来は研究者になりたいと言っていた。真剣に夢を語る彼の姿を見ていると、拓翔と重なる。私も
僕は、もう一週間も眠れない夜を過ごしていた。 スマホの画面を何度も確認するけれど、紀子からの返信は来ない。当然だった。彼女は最後のメッセージで、もう連絡しないでと言ったのだから。 それでも僕は、諦めることができなかった。 あの日、紀子の写真を見たときの気持ちを思い出す。確かに驚いた。でも、それは彼女が思っているような嫌悪感ではなかった。むしろ、ほっとしたのだ。 紀子は、ずっと自分のことを醜いと言い続けてきた。だから僕は、相当な容姿の人を想像していた。でも実際の写真は、ごく普通の、むしろ優しそうな表情をした女の子だった。「なんだ、全然大丈夫じゃないか」 それが、僕の率直な感想だった。 自分だって、身長が低いことで散々からかわれてきた。人の容姿をどうこう言えるような立場ではない。それに、紀子の魅力は見た目ではなく、その優しい心や、物事を深く考える知性、そして純粋さにあった。 写真を見たあとも、彼女への愛情は微塵も揺らがなかった。むしろ、やっと実際の彼女を知ることができて、嬉しかったのだ。 でも、紀子には信じてもらえなかった。『もう連絡しないでください』 あの言葉が、何度も頭の中で響く。紀子の気持ちもわかる。容姿にコンプレックスを持つ彼女にとって、写真を見られることは、心の奥の傷をえぐられるような体験だったのだろう。 でも、だからといって諦めるわけにはいかない。彼女が誤解したまま関係を終わらせてしまうなんて、あまりにも悲しすぎる。 僕は、パソコンの前に座り、新しいアカウントを作成した。名前も、アイコンも、すべて変えて。そして、紀子が使っていた掲示板にアクセスする。 紀子がもう戻ってこないことはわかっている。でも、もしかしたら、気が変わって覗きに来るかもしれない。そのときのために、メッセージを残しておこう。 本名を晒すわけにはいかないから、ハンドルネームで。『NORIへ。君がこれを見てくれるかはわからないけれど、どうしても伝えたいことがある。僕の気持ちは、君が思っているようなものじゃない。君は美しい人だ。外見的な美しさ
机の引き出しに、使わなくなったスマホが眠っている。 あれから一週間。 私は機種変更として、新しいスマホを買ってもらったけれど、SNSのアプリは一切入れていない。ネットの世界には、もう戻らないと決めたのだ。 朝、目が覚めると、真っ先にスマホを手に取る習慣が抜けない。拓翔からメッセージが来ていないか確認しようとして、ハッと我に返る。もう、拓翔からのメッセージが来ることはないのだ。 学校に行く準備をしながら、鏡の前に立つ。相変わらず、そこには醜い自分が映っている。でも、なぜか少し違って見える。拓翔が「優しそうな表情をした女の子」だと言ってくれた顔。本当にそう見えるのだろうか。 そんなことを考えている自分に気づいて、慌てて頭を振る。もう、彼の言葉にすがるのはやめよう。「紀子ー、朝ごはんよー」 母の声に返事をして、階下に向かう。食卓に着くと、母が心配そうに私を見つめていた。「最近、元気がないみたいだけど、大丈夫?」「大丈夫だよ」 嘘だった。全然大丈夫じゃない。胸に空いた穴は、日に日に大きくなっているような気がする。「友だちと、なにかあった? 最近、スマホもあまり見てないみたいだし」 母の優しい問いかけに、思わず涙が出そうになる。でも、説明することはできない。ネットで出会った人との恋愛なんて、理解してもらえるはずがない。「ちょっと疲れてるだけ。心配しないで」 母は納得していない様子だったけれど、それ以上は聞いてこなかった。 学校に着くと、彩音が意地悪な笑みを浮かべて近づいてきた。「あら、神林さん。ネットの彼氏とはうまくいってる?」 その言葉に、クラスメイトたちがこちらを見る。あの日から、私はクラス中の好奇の対象になってしまった。「もう、そんな人はいません」 私の答えに、彩音は満足そうに微笑んだ。「そうよね。所詮、ネットの関係なんて虚しいものよ。現実を知れば、みんな逃げていくのよ。傷が浅いうちで良かったんじゃない?」 胸に刺さる言葉。でも、違う。
スマホの画面を見つめながら、私は震える指で文字を打ち続けていた。もう何時間も、この一通のメッセージを送ることができずにいる。「拓翔へ。これが最後のメッセージになります」 削除して、また打ち直す。何度繰り返しただろうか。でも、もう私は決めていた。この関係を終わらせると。 昨日から、拓翔は必死に私を慰めようとしてくれている。『写真を見たけど、紀子は僕が思っていた通りの優しい人だよ』『容姿なんて関係ない、紀子の心が好きなんだ』『今度こそ、直接会って話そう』と。 優しい言葉の数々。きっと、彼は本当にそう思ってくれているのだろう。でも、その優しさが、逆に私の心をえぐるのだ。 私は醜い。それは紛れもない事実。鏡を見るたびに、自分でも嫌になるほどの容貌。そんな私を見て、本当になにも感じないなんてことがあるだろうか。きっと、拓翔は優しいから、私を傷つけまいと嘘をついてくれているに違いない。「拓翔、今まで本当にありがとう。拓翔と話してきた時間は、私にとって宝物でした。でも、もうこれで終わりにします」 送信ボタンに指を置いたまま、動けない。これを送れば、もう二度と拓翔と話すことはできない。この数カ月間、私の心の支えだった彼との関係が、完全に終わってしまう。 けれど、あんなことがあった以上、もう続けることはできない。現実を知った今、このままでは私たちの関係は嘘になってしまう。 私の指が、送信ボタンをタップした。 震える指で、続きの文字を打つ。「会わない恋人なんて、やっぱり無理だったんです。私たちは画面の向こうの存在のままでいるべきでした。リアルな私を知ってしまった今、拓翔が私に向ける優しさは同情でしかありません」 涙が画面に落ちて、文字が滲む。「私は、あなたに同情されるのが辛いんです。本当の恋人同士だったら、こんなことで関係が変わったりしないはず。でも私たちは違う。画面越しの、美しい幻想の中でしか成り立たない関係だったんです」 ここで一度手を止める。本当にこれでいいのだろうか。拓翔の気持ちを信じてみることはできないのだろうか。 何度考えても無理だ。彩音
翌日の朝、私は昨夜の出来事が夢だったのではないかと思った。 拓翔との電話。お互いの愛の告白。改めて、恋人として付き合っていけるという現実。 すべてが信じられないほど美しくて、温かい。 学校に向かう道のりで、私は何度もスマホを確認した。拓翔からの『紀子、おはよう。愛してる』というメッセージが、本当にそこにあった。「おはよう、拓翔。私も愛してる」 返信を送ると、すぐに返事が来た。『今日も一日頑張ろうね。紀子がいると思うだけで、なんでも乗り越えられる』 その言葉に、私の心は温かくなったのと同時に、不安もまた大きくなった。 教室に入ると、昨日のことを思い出して足がすくんだ。彩音はもういつものように席に座っていて、私を見ると意味深な笑みを浮かべた。「おはよう、神林さん」 彩音の声は昨日と変わらず甘い。でも、その目には昨日と同じ冷たい光があった。「昨日はごめんなさいね。ちょっとやりすぎちゃったかな?」 彩音の謝罪は、心がこもっていなかった。私は彼女を無視して自分の席に向かった。 休み時間になるたびに、私はいつものように、こっそり拓翔とメッセージを交換した。昨日、お互いの気持ちを確認し合った。そう思うだけで、胸がドキドキした。『紀子、大丈夫? 昨日のこと、学校でなにか言われてない?』 拓翔の心配そうなメッセージに、私は少し罪悪感を覚えた。「大丈夫。拓翔がいるから」 本当は大丈夫じゃなかった。今日は彩音になにもされていないけれど、クラスメイトたちの視線が気になって仕方がなかった。昨日のことで、私を変な目で見ている人もいる。 昼休み、拓翔から電話がかかってきた。私は人目のない場所を探して、階段の踊り場で電話に出た。『紀子?』「うん」『声を聞けて安心した。今日は大丈夫?』「大丈夫」 私は嘘をついた。本当は辛くて仕方がなかった。クラス中が敵のように思えるほどなのに。『本当に? なんだか元気がないみたいだけ
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