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第176話
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佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第194話
「遼一！」怒りに駆られた明日香は、思わず手を振り上げ、彼の頬を打とうとした。だが、遼一はそれを予期していたかのように、素早くその手首を強く掴んだ。そのまま軽く鼻で笑って、皮肉げに言った。「俺に手を出すなんて......いい子がすることじゃないな」明日香は苦しげに腕を振り解き、睨みつけるように言い放った。「私はあなたに屈しない。どうぞ好きにすればいい。これから......あなたに頼るなんてこと、絶対にないから！」なんて愚かだったんだろう。遼一の目的は、明日香が反抗心を失い、苦しみながら月島家で生き続ける姿を眺めることなのに。そんな人間にすがろうとした自分が、あまりにも馬鹿だった。まるで正気を失っていたみたい。ロビーに入ると、康生と江口が食事をとっていた。「お父さん、江口さん」明日香が挨拶すると、康生は顔も上げずに低く答えた。「遼一は？」「いるよ、お父さん」「ちょうどいい。江口と食事してるんだ。一緒に食べていけ」「いいえ。明日香を送ってきただけです。これから会社に戻ります。会議も控えてますので」遼一がそう言うと、康生は箸を置いた。江口がさっと絹のハンカチを差し出し、それで口元を拭った康生は、それを無造作に脇へ放った。「苦労かけたな。病院の方はどうだった？......今度はなんの病気だ？」明日香は俯き、胸が締めつけられるような息苦しさに襲われた。「お父さん......私......」「体調が悪いなら、部屋で休んでいろ」「......はい、お父さん」康生の態度はいつもこんな調子だった。明日香にとっては、もはや慣れっこで、驚きも怒りも湧いてこなかった。この家では、彼女に発言権など存在しないのだ。階段の前まで歩いた時、背後から康生の声がした。「クラスを変えたそうだな？」「はい」「変えたなら、そこでしっかりやれ。あと半年、学業をきちんと終えろ」「......わかりました」部屋に戻った明日香は、不安な気持ちを抱えながらバルコニーに出て、ビーンバッグソファに身を沈めた。感情が高ぶるたびに下腹部の痛みがひどくなり、湯たんぽの温もりも、もはや感じられなくなっていた。遼一の言葉が頭をよぎり、怒りのまま湯たんぽを壁に投げつけた。それはちょうどポトスの鉢にぶつかり、鉢が倒れて床に
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第193話
「いいの。うちには決まりごとが多くてね......りょ――お兄さんの家みたいに気楽にはいかないの。芳江さんがいてくれれば、それで十分。それに、今はほとんど学校の食堂で済ませてるから、家で食事すること自体、滅多にないの」明日香がそう淡々と語ると、ウメはふうっとため息をついた。「いつも学校から帰ってきたら、私の作った親子丼を一杯ぺろりと食べてたのに......芳江にはちゃんとレシピを教えておいたからね。私がいなくても、もう寂しくなんてないはず。夜中にお腹が空いたって、食べられるようになってるわよ」明日香は微笑んでうなずいた。「ウメさんの手料理は、一番美味しいです。一生親子丼を食べ続けても、きっと飽きない」「ほんと、口のうまい子だこと！」くすっと笑って、ウメはあまり長居せず病室を後にした。退院の手続きは、遼一が代行してくれた。車に乗り込むと、明日香は湯たんぽをお腹に抱えたまま、静かに窓の外に視線を向けていた。「学校まで送って」その声は、どこか突き放すように冷たかった。しかししばらくすると、車が向かっている先が学校ではなく、南苑の別荘だということに彼女は気づいた。眉をひそめた明日香は、低い声で言った。「今さら連れ戻したところで、どうせ自分で学校に戻るから。私の時間を無駄にするのはやめて。余計なことをしないでくれる？」「問題が起きたとき、面倒を見るのは誰だと思ってる。俺との関係を断ちたいのは分かるが、それを決めるのはお前じゃない」運転席から放たれた遼一の鋭い視線が、冷ややかに彼女を射抜いた。「無駄な苦労をしたくないなら、おとなしくしていろ。俺は、そこまでお人好しじゃない」信号待ちの車が方向を変え、再び走り出した。明日香は湯たんぽをぎゅっと抱きしめたまま、うつむき、黙り込んだ。「......私の身体のことは、父に言わないで。帝大に合格したら、自分で手術を受ける。その時、自分の口から父に話すから」遼一は無言だった。明日香は再び口を開いた。「お願いできないかな、この借り、絶対に返すから」それは、極限まで卑屈に頭を下げるような言い方だった。もし康生が早々に彼女の不妊を知ったら、大学に行くどころか、役立たずとして見捨てられる。そんな結末はあまりに悲惨だ。そうなれば、康生は彼女を縛りつけ、明日
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第192話
遼一にはわかっていたはずだ。仮面を捨て、すべてを明日香にさらけ出した瞬間から、二人の行く先にはこうなる運命しか待っていないことを。彼は彼の道を行き、明日香は自分の人生を歩む。もう、互いの人生に立ち入ることはない。遼一が月島家のすべてを手中に収めるその日には、おそらく......明日香の姿は、もう帝都にはない。「俺とこんなことで喧嘩して、何の得がある？」床に転がった器を見下ろしながら、遼一が呟いた。幸い、器は割れていなかった。「同じことは二度言わない。ベッドに戻れ」明日香は痩せた身体を支えながら、ドアの前にじっと立ち尽くしていた。外から吹き込む朝方の風が、だぼついた病衣の裾を揺らし、その冷気が肌の奥まで染み込んでくる。下腹部に再び、鈍く重たい痛みが走った。そのとき、廊下から聞こえてきた看護師の声が、張り詰めた空気を一気に破った。「どうして起きてるんですか？痛くないんですか？廊下まで喧嘩の声が響いてましたよ。お兄さん、こんな時は妹さんに譲ってあげたらどうですか？女性は生理中、イライラしやすいんですから。ほら、早く片付けてくださいね。この後、先生が回診に来ます。特に問題がなければ退院できますよ」「ありがとうございます、分かりました」明日香は淡々と答えた。「ほら、早くベッドに戻ってください。また具合が悪くなりますよ」看護師に促されると、明日香は廊下の清掃用具入れからモップを取り出し、床にこぼれた汁をきれいに拭き取った。遼一の性格では、こんなこと自分からするはずがない、それがわかっていたから。実際、お腹の痛みはもうそれほどでもなかった。初日がいちばん辛いだけだ。やがて、医師の再診が終わると、今度は遼一が診察室へ呼ばれた。部屋の奥、照明に照らされたディスプレイの前で、医師は硬い表情でCT画像を指し示した。「ご家族の方ということで、率直に申し上げます。昨日の検査で、患者さんの子宮に奇形が見つかりました。現在の状態では、手術で正常な形に戻すのはほぼ不可能です。というのも、病変がある可能性が高く、将来的にがん化するリスクが否定できません。今ならまだ早期発見の段階で、切除手術によって対応できますが、もし遅れればがん細胞が転移するおそれがあります。その場合は、単なる子宮摘出だけでは済まなくなります。患
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第191話
明日香はベッドに手をつき、素早く上体を起こすと、身を引いて遼一との距離を取った。「......何しに来たの？芳江さんは？」その声には、拒絶、恐怖、そして反発の色が濃く滲んでいた。遼一は彼女の感情のひとつひとつを見逃さなかった。「俺に会いたくないのか？」明日香は布団を強く握りしめ、視線を逸らしたまま、氷のような声で返した。「偽善者ぶったって無駄よ。わざわざ病院まで来なくても、お父さんはあんたを責めたりしない。芳江さんがいてくれれば、それで十分」だが遼一は動じず、立ち上がると持参した保温ジャーの蓋を開けた。「ウメさんが作ってくれた黒糖茶だ。卵も入ってる。温め直したばかりだぞ」「いらない。帰って」明日香の声は冷えきっていた。だが遼一は、その拒絶をまるで聞かなかったかのように、茶を器によそい、スプーンを手に取って明日香の口元へと差し出した。その眼差しには、否応なく押し通す強い意志が宿っていた。パシッ。明日香の手が振り払った瞬間、器は床に落ち、ガチャンと音を立てて転がった。彼女は遼一を見上げ、皮肉な笑みを浮かべた。「ここには誰もいない。だから無理して演技しなくていい」それでも遼一は怒らなかった。ポケットから真っ白なハンカチを取り出すと、服についた汁を丁寧に拭った。「......口の利き方もずいぶん生意気になったな」その言葉に、明日香の中の苛立ちが一気に沸き立た。生理の影響もあって、彼の顔を見るだけで感情がかき乱される。彼女は目を閉じ、呼吸を整えるようにして、抑え込んでいたものを吐き出した。「じゃあどうすればいいって言うの？私をずっと苦しめて、薬を飲ませて、命まで狙った人間に――今まで通り笑顔で『お兄さん』って呼べって？......無理よ。あんたを見るだけで、吐き気がするの」遼一は静かにハンカチを丸めて捨てると、身を少し前に乗り出した。陰影の深い瞳が明日香の視線と重なり、その声音は、低く、どこか耳元で囁く悪魔のようだった。「俺がまだ少しは理性を保ってるうちに、そのわがままは、胸の中にしまっておけ。好きじゃなくても、嫌いでも......黙って全部、飲み込め」そう言って、遼一は手を伸ばし、乱れた明日香の髪をそっと耳にかけた。「明日香。いつまで経っても分からないんだな。駄々っ子には、お菓子はもらえない。お
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第190話
激しい反応に見舞われた明日香は、夜に口にしたものをすべて嘔吐し、下腹部の痛みはさらに激しさを増していた。シーツを握りしめ、苦悶の表情で身体をよじる明日香。その手の甲に刺さった点滴針から、逆流した血が滲み出ているのを見た芳江は、青ざめた顔でナースコールを押し、慌てて看護師を呼び寄せた。看護師は慣れた手つきで処置を行い、点滴をもう片方の腕に打ち直しながら、小さくため息をついた。「生理でここまで強い反応が出る方、病院にも毎日いらっしゃいます。できる限りの対処はしましたが......あとは黒砂糖湯をたくさん飲ませるとか、お腹を温めてさすってあげるくらいしかないんです。それで少しでも楽になればいいんですが」看護師が部屋を出ていくと、芳江は眉間に皺を寄せながらそっと呟いた。「ほんなら、わたしが黒砂糖、買うて来ましょうかのう......」明日香が枕元の水に手を伸ばすと、芳江はすぐにそれを取って渡した。明日香はひと口すすいだだけで、疲れ切った様子でベッドに横たわり、掠れた声で言った。「ありがとう......でも、芳江さんも隣の部屋で少し休んでいいよ。もうすぐ夜が明けるし......無理しないで」「そんなこと言うてもねぇ、お嬢様がこんな辛そうなんに、私だけ休むわけにはいかんがね。ほれ、ちょっとだけ揉んだげるけぇ」そう言いながら芳江は布団に手を差し入れ、少し荒れた手で明日香のお腹の上からそっと優しく撫でるように揉み始めた。「これで、ちいと楽になったかいの？」明日香は目を閉じたまま、小さく頷いた。「うん......だいぶ、楽になった」「ほれなら、はよ寝てしまいんさい。目ぇ覚めたら、痛みも引いとるけぇの」「......はい」その手の動きは、まるでウメのそれのように温かく、穏やかだった。安心感に包まれながら、明日香はほどなくして深い眠りへと落ちていった。夜が明ける直前。朝の5時。空がかすかに白み始めた頃、芳江はようやく明日香の寝顔を見つめ、ゆっくりと手を引いた。揉み続けて痺れた手を軽く回しながら、立ち上がろうとした。しかし、少しでも手を止めると、明日香が顔をしかめて苦しみ出すため、ほとんど休むことができなかった。手首の骨が折れそうなほどだった。ほんにまあ......この子も、こんなに痛がって。かわいそうに......
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第189話
「ほんと、あんたたちはただの妬みだろ......」静香が呆れたように言い放つと、哲は鼻で笑った。「俺が明日香を妬んでる？笑わせんなって」普段は口数の少ない悠真が、不意に口を開いた。「自分がダメだからって、人を貶すのはやめろよ。明日香は......変わった。少なくとも、前よりずっとマシになった」その場にいた皆の視線が、黙っていた淳也に向いた。「どう思う？淳也」黒のタンクトップからのぞく腕の青いタトゥーが、どこか野性的な威圧感を放っていた彼は、手の中でリンゴを無造作に投げていた。「......これから俺の前で、あいつの話すんな。うぜえ」その言葉が落ちた瞬間、空気が凍りついた。誰一人として、次の言葉を口にできない。不穏な沈黙が教室に広がっていく。その頃、明日香は校門を出たところだった。ちょうど加藤が車で迎えに来たタイミングだった。道は思ったよりも空いていた。到着が少し遅れたため、趣味教室には数分の遅刻。ピアノレッスンは2時間、集中して取り組んだ。だが、その後の2時間が、明日香にとってはもっとも過酷な時間だった。ここ数日サボっていたダンスレッスンでは、ストレッチのたびに体が強張り、元の柔軟さを失っているのを痛感する。途中、踊りの最中に鋭い痛みが下腹部を襲った。太ももの間を温かい液体がつたう感覚。あの、懐かしくも嫌な感触。微かに鼻をつく鉄の匂い。急いでトイレへ駆け込んだ。下着を下ろすと、鮮やかな血の染みが目に入った。更衣室から新しい着替えとナプキンを持ってきて、再び個室に閉じこもった。処置を終えても、明日香は便座に腰掛けたまま、しばらく動けなかった。普通の女の子なら、13歳から15歳で初潮を迎えるものだが、前世の自分は、大学1年の時だった。あまりの遅さに、当時は何か重大な病気かと思い、全身検査を受けた。しかし、返ってきたのは「異常なし」という診断。「体質によるものだから問題ない」と言われ、処方された漢方薬を飲み続けた。特に気に留めることもなかった。けれど、後に判明したのは、自身の子宮が奇形だったこと。そして、それがやがて癌へと変わり、胃へと転移。末期の胃癌でこの世を去った。今ならわかる。あの検査結果も、薬も、すべて嘘だった。身体を蝕んでいたのは、病だけではない。あの男――遼
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