共有

第883話

作者: 豆々銀錠
「美希さん、お目覚めですか?それとも......一睡もされなかったのですか?」

介護士がカーテンを開けながら声をかけた。

「どうしてずっとスマホを見ていらっしゃるんですか?」

ベッドの上、美希はゆっくりと顔を上げた。

「紗枝が、何かあったみたいなの」

「紗枝さんに......?」

介護士は不安げに近寄り、美希のスマホ画面を覗き込んだ。トレンドニュースの見出しが目に飛び込む。

「あっ、これ......朝、私も見ました。本当に紗枝さんなんですか?」

「ええ。間違いないわ」

美希は頷いたが、声は沈んでいた。

「でも......紗枝さんが他人の作品を盗むなんて、想像できません」

介護士の戸惑いは当然だった。だが、美希の胸にも、今や葛藤が渦巻いていた。

誰が本当の顔を持ち、誰が偽りで笑っているのか。長年の人生経験と、失った時間が教えてくれたことだ。

そして、もう自分に残された時間は、決して多くない。せめて最後に、償えることを償いたい。死後、彰彦に顔向けできるように。

そう願っていたはずなのに......

朝からずっとニュースを追い続けているうちに、心の奥底に、小さな疑念が芽生えていた。

もしかして......本当にやったのかもしれない。

時先生――あの伝説的な作曲家の才能は、美希も実際に見ていた。

昭子のために曲を依頼しようと、ライブで踊ったことさえある。今思えば後悔しかなかった。

「出世したかったのよ、きっと」

自分がかつてそうであったように。美希は思わず呟いた。

ふと、彼女は思い出した。

そういえば、時先生の番号......まだ残っていたわ。

「一度、電話してみる。まだ、挽回の余地があるかもしれない」

美希は知らなかった。その番号は、今や紗枝の秘書・心音のものとなっていたことを――

着信音が長く続いた後、ようやく電話が繋がった。

画面を見た心音は、一瞬驚いた。

美希?今さら何の用......まさか、またあのダンサーの娘のための売り込み?

彼女は美希が紗枝の実母であることを知っていた。だが、その関係に温かみを感じたことは一度もない。

電話を取ると、声は自然と冷たくなっていた。

「もしもし」

「時先生で、いらっしゃいますか?」

美希の声は、意外なほど穏やかだった。

「そうですが。ご用件は?」

心音の中で警戒心
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第890話

    心音が電話を切ると、美希はその場にぼんやりと立ち尽くしていた。「母親の資格はない」という言葉が頭の中を反芻して離れなかった。そのとき、介護士がにこやかに病室へ入ってきた。「まあ、よかったですね!ネットで真実が明らかになりましたよ。紗枝さんって、海外で有名な作曲家の時先生だったんですって!」介護士はネット事情に明るくなかったが、娘から話を聞いて初めて知ったという。紗枝はただの一般人ではなく、世界的にも名の知れた人物だったのだ。「えっ......?」美希は慌ててスマホを取り出し、ネット記事を確認した。たった半日で、風向きはまるで別物だった。時先生名義の公式アカウントが釈明を発表し、そこには決定的な一文があった。「時先生とは、黒木紗枝本人のペンネームである」美希は何度も何度も、その一文を読み返した。紗枝と時先生は、同一人物だったのだ。美希の脳裏に、ついこの間の出来事がよみがえった。あのとき昭子が機嫌取りのために、美希をダンスの公演に誘い、紗枝と唯に会った。その場で紗枝を見下すようなことを言っていたのに、唯がたしかこう言ったのだ「紗枝は、有名な作曲家だよ」......と。スマホを握る手が震え、美希の瞳に驚愕が浮かんだ。耳が不自由な紗枝は音楽とは無縁ずっとそう思い込んでいた。まさか、あの紗枝が時先生であり、自分が曲を依頼した相手だったなんて!だからこそ、あの時は昭子のために自分がダンスを披露しなければならなかったのか。「なるほど」美希は震える声で呟いた。「本当によかったですね。実の娘さんも、養女さんも、こんなに立派になって」介護士は目を細めて微笑んだ。美希は返す言葉が見つからず、うつむいたままニュース記事を読み続けた。胸の奥には、言いようのない苦い感情が渦巻いていた。紗枝は、幼い頃からずっと優秀だった。それを美希は、一度も正面から認めたことがなかった。「そうね、立派になった......本当に、立派になったわね......」その言葉を繰り返しながら、美希は泣くべきか笑うべきか、自分でもわからなかった。時先生の知名度といえば、ダンスしか取り柄のない昭子とは比べものにならないほど高い。昔の自分は、どうしてそれが分からなかったのだろう?本当に、自分の目は節穴だった。一方その

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第889話

    「お母さん、今ネットで私を罵る声が溢れていて、スマホを見るのも怖いの......」昭子は心細げに言った。だが彼女は、鈴木家が後ろ盾さえあれば、誰の非難も怖くないことを知っていた。青葉はそんな娘の肩を軽く叩いて、落ち着かせた。「怖がることはないわ。ただのネットの書き込みよ。おばさんに連絡して、すぐに対応してもらうから」青葉の妹は帝都でも有名なやり手で、広い人脈を誇っていた。「うん、ありがとう」昭子は涙を拭いながら頷いたが、それでも納得がいかずに尋ねた。「でも......紗枝は?あの人がこんなこと仕掛けてきて......私、許せない......」青葉はそんな昭子の弱々しい姿を見て、深くため息をついた。「昭子。これからは、自分の問題は自分で解決する力を身につけなさい。お母さんも年を取るし、いつまでもあなたを守ってあげられるわけじゃないのよ」その言葉に、昭子の胸がひやりとした。それってつまり、もう紗枝を懲らしめる手伝いはしてくれないってこと?けれど今は、まず世論を鎮めることが先決。昭子はすぐに笑顔を作り、機嫌を取るように言った。「そんな......お母さんは絶対に老けないし、ずっと私のそばにいてくれるでしょ?」「まったく、甘えん坊なんだから」青葉は微笑み、彼女を軽く抱きしめた。「今回のことはね、お母さんがきちんと調査して、責任の所在を明らかにするわ」「えっ、調査......?」昭子の顔が強張った。自分が仕掛けたことがバレたら大変。焦って首を振った。「いえ、お母さん、それはやめてください。紗枝さんはもう黒木家に嫁いでるし、私はまだ嫁いでないから......もうこれ以上、波風立てたくないの」「ふふ、大人になったわね。えらい」青葉は感心したように微笑み、話題を切り替えた。「あなたと拓司の婚約もだいぶ長いし、妊娠もしてる。これ以上引き延ばす理由はないわね。この騒動が片付いたら、黒木家にきちんと責任を取らせて、盛大な結婚式を挙げさせるわ」「はいっ!」昭子は一転して笑顔になり、ぱっと花が咲くように喜んだ。彼女が出て行ったあと、青葉はすぐに部下に指示して、今回のネット騒動の発端を調査させた。調べ始めてすぐ、その発端が自分の娘であることが明らかになった。青葉は目を伏せ、複雑な思いを抱

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第888話

    昭子は画面を睨みながらも、詳しくコメントを見る気にはなれなかった。だが、最後の足搔きを試みた。「きっと紗枝が何か仕組んだのよ!私、時先生に会ったことあるんだから。あんな子が本人のはずないわ!すぐに否定して、紗枝は偽物だって発表させて!」焦りから声が震えていた。しかし、アシスタントはうつむき、小さな声で答えた。「彼女、本当に時先生なんだと思います。あれは公式のアカウントでしたし、しかも、よくコラボしているエイリーさんもツイッターで紗枝さんの身分を認めています......」そう。まさにそのとおりだった。エイリーは仕事を終えた後、自らツイートしていた。「紗枝が時先生をパクったって?自分をパクる必要が、あるわけ?」その一言が、完全な決定打になった。昭子の呼吸が乱れた。「そんな......そんなわけ、ない......」否定の言葉を繰り返しても、心の奥ではもう気づいていた。紗枝こそが、あの時先生――音楽界の鬼才、その人だったのだ。アシスタントが、おそるおそる口を開いた。「これから、どうすれば......?」だが、昭子には答えが見つからなかった。ダンス会社は青葉が管理するもので、そもそも昭子は、危機管理や収拾の術など学んだこともない。「私にわかるわけないでしょ!!」怒鳴った瞬間、スマホが鳴った。画面には綾子の名前が表示された。昨夜の食卓の会話が蘇る。もし、この騒動の黒幕が自分だと綾子に知られたら......昭子は深く息を吸い、無理やり気持ちを落ち着かせ、電話に出た。「お母様」「ネットの件、あなたがやったの?」綾子は一切の前置きなく、本題を突きつけてきた。明らかに不機嫌な口調だった。「お母様、それは誤解で......」「誤解?紗枝が盗作したって、はっきり書いてたわよね。あれも誤解って言うの?」昭子は拳をぎゅっと握りしめた。爪が手の平に食い込むほど力が入っていた。「お母様、私......以前、時先生とお仕事をご一緒したことがあって......ネットで義姉の盗作疑惑を見たとき、どうしても黙っていられなくて......つい......」「『黙っていられなかった』ですって?」綾子もまた女であり、上流階級の中で数々の駆け引きを乗り越えてきた人間だ。昭子のその言い訳が、ただの建前でしかな

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第887話

    IMグループ本社。役員フロアの応接室にて、啓司は牧野を呼び出していた。「紗枝の件、今どうなっている?」牧野は、社長が記憶を失っていても紗枝を気にかけていると予想していたので、すぐに答えた。「まず、社内関連のネガティブ発言はすべて削除しました。その後、時先生名義のアカウントから釈明が出され......ネットユーザーの間では『紗枝=時先生』であることが広く認知されました。盗作騒動は完全なデマだったと理解されています」啓司はわずかに息を吐いた。先に動いた自分の判断が、結果として紗枝の計画に水を差してしまったと悟った。紗枝は、すでに全てを見越していたのだ。ただ、世論が沸点に達するのをじっと待っていた。「過去の投稿を再び拡散しろ。そして、トレンドのトップ10、その半分を『紗枝が誹謗中傷された』内容で埋めろ」「承知しました」数時間後、主要SNSのトレンドは瞬く間に逆転劇一色に染まった。「#紗枝=時先生」「#義理の姉妹バトル」「#黒木家の内紛」昨夜まで昭子が買い占めていた広告位置は、ことごとく紗枝によって塗り替えられていた。同じ頃、景之は大学の休憩時間を使って、自ら動いた。母を誹謗した複数の匿名アカウントに侵入し、そこに隠された金銭のやり取り記録――つまり炎上工作の裏取引を、完全公開したのだ。その投稿は爆発的な拡散を見せた。「全部嘘だったのか!昭子は夢にも思わなかっただろうね、将来の兄嫁がこんな手強い相手だとは!」 「紗枝さんって、子供の頃から難聴だったらしい。補聴器つけてあんな繊細な曲を書くとか、ただの天才じゃない......ファンになりました。応援します!」「エイリーが『私は紗枝を信じる』って言った時......そうか、『時先生だから』って意味だったんだ!」「本物の友情って、こういうことだよね。紗枝が誰かも知らないくせに適当に貶してた誰かさんとは大違い......」その頃、昭子は私立病院で産科の検診を終えたばかりだった。しかし、出てきたところで、顔色を失ったアシスタントが駆け寄ってきた。「昭子さん、大変です!」昭子は眉をひそめた。「またあの婆さんが何か言ったの?」「違います!ネットで......完全に空気が変わってます!これ、見てください!」アシスタントが差し出したスマホを受け取り、

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第886話

    美希は、昭子からの振込を信じて――いや、どこかでまだ母娘の情を信じて、夜中の零時まで待ち続けた。だが、届いたのは金ではなく、一通の冷たいメッセージだった。「これ以上私を脅迫しないで。お金はない」その一文を見た瞬間、胸の奥がギリギリと軋むように痛んだ。怒りでも悲しみでもなく、底知れぬ虚しさが込み上げる。もういい。美希はスマホを握り締め、そのまま主要メディア各社にスクープを送信した。その頃、紗枝もまた、トレンドの異変に気づいていた。あれほど激しく燃え上がっていた炎上が、まるで嘘のように静まり返っている。「誰かが動いた?」だが、今はそれを考えている暇はない。「心音、アナウンスを出して」その一言に、心音は頷いた。この瞬間を、彼女はずっと待っていたのだ。海外で活動していた紗枝の別名義「時先生」。もともと国内でも隠しアカウントを持っており、数百万のフォロワーを抱えていた。だが、今回の騒動でその数は一気に1000万を突破していた。心音はそのアカウントにログインし、紗枝の言葉を丁寧に綴っていく。「まず初めに、数々の応援と励ましをくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。今回の「盗作騒動」について、はっきり申し上げます。これは、完全なる事実無根です。なぜなら、私・時先生が、紗枝その人だからです。国内のコンテストに参加するにあたって、時先生という名義を使わなかったのは、審査員に先入観を持たせないため。そして、私自身の楽曲が名声ではなく、純粋に評価されるかを見極めたかったからです。ですが、今回の件では不正なやらせ、審査員の買収、ネット世論の操作など、音楽の本質を損なう行為があまりにも横行していました。だからこそ、私は声を上げます」文末には、心音がこれまで集めた証拠データも添付されていた。収賄に関与した審査員のメールログや、SNS操作を依頼した企業との契約書類。その一つ一つが、疑惑ではなく事実を突きつけていた。投稿からわずか数分、ネットは一気に沸き立った。「え?嘘でしょ!?紗枝=時先生!?」「鳥肌立った......マジであの天才本人だったんか」「ってことは、盗作じゃなくて自作じゃん!」「そりゃあの曲、聞き覚えあると思った!」やがて、コメント欄の話題は「誰が仕掛けたのか」へと移り

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第885話

    「お金がないなら、青葉に頼みなさい。鈴木家には、いくらでも資金があるんでしょう?」冷酷な声音で、美希は突き放すように言い放った。「正午までに一千億が確認できなければ、暴露に踏み切るわ。『有名ダンサーが実母を認めない』......このニュース、きっと瞬く間にトレンド1位になるでしょうね。そうそう、法律には『親子関係の断絶』なんて概念、存在しないのよ」昭子は、一瞬言葉を失った。かつてどんなに自分に従順だった美希が、今ここまで冷酷になっているとは、想像もしていなかった。「お母さん!私はあなたの実の娘なのに......」その言葉に、美希は一切の情も見せず、鋭く遮った。「今の私に必要なのは、金だけ。実の娘も、息子も、お金には勝てないの」「で、でも......」「余計なことは言わないで。12時までに用意なさい」一方的にそう言い放つと、美希は電話を切り、疲れたようにベッドへと身を投げた。その様子を見ていた介護士が、静かに声をかけた。「ようやく......彼らの『本当の顔』が見えましたね」美希は目を閉じ、長く深い息を吐いた。「ええ。死ぬ前にやっと見えたわ」けれど、あまりにも遅すぎた。彰彦はもうこの世におらず、紗枝の目には、母への愛など一片も残っていない。太郎も、甘やかしすぎて立ち直るには遅すぎた。夜になると、ふと考えてしまう。もしあのとき、素直に彰彦と生き、世隆の甘言に乗らなければ、すべて違っていたのではないか、と。彰彦は事故に遭わず、紗枝は母を憎まず、太郎もまともに育ち、孫たちの成長を笑顔で見守れていたのかもしれない......でも、それはもう叶わぬ幻想だった。しばし休んだ後、美希はスマホを手に取り、各主要メディアに一斉に電話をかけ始めた。「有名ダンサー・鈴木昭子のスクープがあります。正午以降に公開予定です」たとえ昭子が金を払ったとしても、美希は、スクープを暴露するつもりだった。これまで、美希はどれだけ昭子のために屈辱を飲み込んできたか。すべてを犠牲にしてきたその代償を、今こそ支払わせるときだ。一方、紗枝は早朝に真実を公表しようとしていたが、美希の動きを見て、思いとどまった。「ちょっと待って。心音、行動を一時停止して」紗枝は心音に指示を出した。「あの人が何をしようとしてるのか、

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status