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afterstory オシロイバナの小心《3》

作者: 砂原雑音
last update 最終更新日: 2025-06-06 12:29:22

くるくるくる、と頭の中で一瀬さんの言葉が回る。

それを正しく理解するには、少しの時間を要した。

これは、もしかして……デートのお誘いなのだろうか?

それとも昼休憩的な。

あ、でも。

今、仕事が終わったら、って、言った。

そう気づいた途端、ぶわわっと体温が上がって体中から汗が噴き出した。

「あ、あああのっ、えっと」

「今日のご予定は?」

一瀬さんの声は至極淡々としたもので、私一人が体温を上げているような気がしてならない。

「予定は、ない、です。ここだけ」

だけど私がどもりながらもそう返事をしたら、ほんの少しだけ眼鏡の向こうで目元が緩んだのが、わかった。

とても小さな変化だ。

私じゃなければ、きっと見落としていた。

早くしなくちゃ。

せっかく誘ってくれて、手伝いにまで来てくれているのに余り待たせちゃいけない。

それからは、急いで支度をした。

広げたレジャーシートの上に、順に花を広げて汲んできてもらったバケツの水で水切りをする。

明日の個展初日は勿論、期間中できるだけ長く花を保たせてあげないといけない。

丁寧に仕上げたいけれど、もたもたすると逆に花を傷めてしまう。

広げたデザイン画と実際の花を見比べながら、茎の長さを整える。

てきぱきと作業をするうち、はじめは見られながら仕事をするのに緊張していたけれど、そんなことはすっかり気にならなくなっていた。

途中から、一瀬さんの存在も忘れるくらいに集中していて。

「できた……」

全体像を眺めデザイン画と照らし合わせ、ホッと息を吐いた時、「綺麗ですね」と声をかけられて、思い出したくらいだった。

わっ、と控えめではあるが、驚きの声を上げた私に、一瀬さんが苦笑いをする。

「……忘れてました?」

「いえ、そんな! その、ちょっと夢中になりすぎて」

「集中されてましたからね」

そうだ、すっかりお待たせしてしまったと、慌てて足元を見た。

早く、片づけてしまわなければ。

切った枝や葉があちこちに散らばっているのを、持参のミニ箒とちりとりで集めていて、ふと一瀬さんが微動だにしていないことに気が付いた。

「一瀬さん?」

振り仰ぐと、じっと私の創作した花を見つめたままで、不思議に思って名前を呼ぶ。

呼ばれて初めて我に返ったかのように、一瀬さんは足元の私を見て同じようにしゃがんだ。

「片づけますか。ゴミは私がまとめます」

「どこか、変ですか?」

「と
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