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第1050話

Author: 夜月 アヤメ
でも、千景の言葉にも一理ある。家を爆破されたなんて、誰だって腹が立つに決まってる。

若子は千景に怒ることはできなかった。だって―明らかに悪いのは修だったから。

「彼の代わりに謝るわ......ごめんね」若子はまっすぐに千景を見つめて言った。

「家のことも、ちゃんと弁償するから。今すぐでもいいわ。支払いの準備してきたの」

そう言って、鞄の中から小切手を取り出す。

「これは一万ドル。これに加えて、家の分......金額はそっちで決めて」

千景は、彼女の手にある小切手をじっと見つめたまま、しばらく無言だった。

「......どうかした?また具合が悪くなった?」

若子が心配そうに尋ねると、千景は首を横に振った。

「いや、ただ......いくらにすればいいか、すぐに決められなくてな」

「じゃあ、こうしようか。あとで家の査定を頼んで、正式に金額を出してもらおう」

「......それよりもさ」千景は、ふと視線を外して言った。

「ちょっとだけ、一緒に外を歩いてくれないか。お金の話は、それからでもいい」

若子はうなずいて、小切手を鞄に戻した。

「わかった」

彼女はそっと車椅子を引き寄せ、千景を丁寧に支えて座らせた。そして、ゆっくりと彼を押しながら病院の中庭へ向かった。

夕日がゆっくりと西へ沈みゆく中、千景は静かに車椅子に身を委ねていた。頬を撫でる風は、どこまでも穏やかだった。

公園には、柔らかい緑の芝生が広がっていて、それはまるで繊細な翡翠の絨毯のよう。

オレンジ色に染まった夕陽が、草葉一枚一枚を照らし出し、きらきらと光り輝いていた。

優しい風が草の間をすり抜け、葉っぱをなでるたびに、かすかなサラサラという音が響く。

池の水面には夕陽が反射して、まるで一面の宝石の鏡のよう。澄んだ水が、言葉のいらない詩を奏でているかのようだった。

若子は、彼が寒くないようにと膝に毛布をかけてあげる。

「......傷が治ったら、また元気に飛び跳ねられるわよ」

千景はふと顔を横に向け、柔らかな笑みを浮かべた。

「......ひとつ、聞いてもいい?」

「うん?なに?」

「俺みたいな男を―好きになってくれる女なんて、いると思う?」

不意の問いに、若子は一瞬、言葉を失った。

こんなことを聞かれるなん
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hayelow488
若子、西也の時と同じようなパターン。 罪深いな・・・。
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