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第1051話

Author: 夜月 アヤメ
また何日かの時が流れた。

侑子は運が良かった。ちょうどそのとき、事故に遭ったドナーから心臓が提供されたのだ。

健康な心臓を手に入れたことで、侑子はなんとか危機を乗り越えた。

修もこの数日、ずっと侑子のそばに付き添っていたせいで、若子と会う機会はめっきり減っていた。

何度も若子は、彼に生検の結果を尋ねたくなった。でも病室の前まで来て、侑子の隣に寄り添い、優しく世話を焼く修の姿を見ると―彼にはすでに想ってくれる女性がいるんだ、と、余計なことを言うのはやめようって思ってしまった。

若子は静かにため息をついて、踵を返す。

そのときだった。修がどうやら彼女に気づいたようで、侑子に何か言葉をかけた後、病室を出て追いかけてきた。

「若子」

足を止める。

振り返りながら、若子は言った。

「生検の結果を聞きに来ただけ。けど、本当に話したくないならいいわ。どうせ今は、山田さんとお似合いのカップルだし。何かあったら、彼女に言えばいい。じゃあね」

「悪性だった」

背中に向けて修の声が飛ぶ。

若子は目を見開いて振り向いた。

「......今、なんて?」

修は数歩こちらに近づいた。

「腫瘍は悪性だった。まずは化学療法で縮めて、それから手術で取り除く」

若子の指が震え始める。彼のそばに歩み寄り、声を震わせながら問う。

「治るの......?」

「医者には聞いた。まずは化学療法だってさ」

若子の胸が苦しくて、言葉がうまく出てこなかった。やっとの思いで、どうにか声を出す。

「それって......戻って治療するの?それとも、アメリカで?」

「アメリカに残る。侑子もここにいるし、彼女の体はまだ回復してない。飛行機は無理だ」

「修......お医者さんは、成功率って言ってた?」

「わからないって。できる限りのことをするってさ」

「......山田さんは、このこと知ってるの?」

「いや。彼女は手術を終えたばかりだ。ショックを与えたくない。だから、お前からも言わないでほしい」

「じゃあ......いつから、治療を始めるの?」

「明日から第一ラウンドが始まる」

修の言葉に、若子はそっとため息をついた。

「......付き添った方がいい?」

「いや、大丈夫だ。お前にはお前のやることがあるだろ
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Comments (4)
goodnovel comment avatar
ayako
修の病気、ノラのせいだったりしないよね?ダメですね、疑い深くなってて全てが怪しく思えてくる。 侑子は助かったけど、ノラ今度は一体誰を殺したの?可哀想なドナー。。 早く若子みたいに修もこの心臓の弱い女ばかり自分の周りに現れる摩訶不思議現象に気付きますように。
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barairose88
ヴィンセント冴島、やはり修の声は届いたいたのですね… 今後は、どうか若子の為に、遠くから、時には近くから見守って欲しいです。 そして修、病を得たことで、自分の抑えていた思いを、再認識…  「一緒にご飯を食べて欲しい」…若子へのそのひとことが琴線に触れました。   修、暁ちゃんのことを知ったら闘病の励みになりますよね… でもきっと若子は、修と侑子との関係を前にして頑な気持なままなのでしょう…
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hayelow488
修は命の瀬戸際にたって、今度こそ自分の本当の気持ちと向きあってほしいです。そばにいてほしいのは、若子なのか、侑子なのか。 若子も修に暁のこと教えてあげて。 修、元気になるよ。 そして、これをきっかけに大きな転換が訪れますように。。。だって、毎回、進展しなくて、あまりにつまらないです。 ただでさえ、そろそろノラが侑子に何か吹き込みそうで憂鬱ですから。
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