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第906話

Author: 楽恩
海人は顔を上げて彼女を見つめた。その瞳には真摯な光が宿っていた。

「もしその日が来たら、俺はそうする」

「でも、私は望んでない」

来依は体をひねって起き上がり、脚を組んで座った。その姿勢からして、しっかり話すつもりだった。

「あんたは私のために命を捨てるって、それって確かにすごく愛してるってことかもしれない。でもね、あんたがいなくなったら、私はこれからどうやって生きていけばいいの?あんたが私を失えないように、私だってあんたを失えない」

海人もまた起き上がり、彼女と同じように脚を組んで向き合った。

「お前の言うとおりだ。でも、もし俺が助けられなかったとしたら、俺だって同じ苦しみを味わうことになる」

そんな仮定に、答えはなかった。

人生に何が起きるかなんて、誰にもわからない。

「やめよ、もうこの話は。心を落ち着かせて、構えすぎないようにしよう」

来依は大の字に寝転がった。

「敵はもう表に出てきた。警戒しながらでも、ちゃんと日常を楽しもうよ。起こるかもわからないことを、前もって不安がるなんて無駄だよ」

海人は肘で頭を支えながら、彼女の上に視線を落とした。

「お前はそのままの心でいて。楽しく、自由に。それ以外のことは俺が背負う」

彼はいつも先を見据えて動く人間だった。どんな状況にも複数のパターンを想定し、それに対応できる策を練るのが習慣だった。

予期せぬ事態に翻弄されるのを嫌うからだ。

今は青城の動きが表に出てきたとはいえ、長年の宿敵である彼のことは海人もよく理解していたし、青城もまた彼を理解していた。

防御は万全とは言い切れなかった。

だが、そういった不確実なことをわざわざ彼女に話して心配させるつもりはなかった。彼女を縛りたくなかった。

「さて、そろそろちゃんとした話をしようか」

来依はすでに眠気に襲われていて、化粧を落とす気力もなかった。

海人の言葉もほとんど頭に入っておらず、うつらうつらしながら適当に返事をした。

彼女が目を閉じたまま眠りに落ちたのを確認し、海人はふっと笑って立ち上がった。メイク落としを取りに行き、さらにネットで使い方の動画を探した。

そして、手順通りに一つ一つ丁寧に彼女のメイクを落とした。

その後、顔を拭いてあげて――

そして、ようやく「ごちそう」の時間が始まった。

来依は体がふわふわ揺れているよう
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