昨夜、ボディーガードが監視映像を調べた結果、あの男が現れた時間が判明した。男がやって来たのは、あたりが暗くなってからだった。彼はおよそ二十分ほどその場で待ち伏せしていた。ちょうどそのタイミングで、奏が帰宅したのだ。彼は奏を一目見ると、すぐに立ち去った。彼の車は監視カメラの死角に止まっており、車のナンバーは映っていなかった。そのため、身元の特定もできない。しかも、奏が来るまで彼はずっと俯いていたため、顔もはっきり映っておらず、唯一、奏と目を合わせた瞬間だけ、顔が一部映っていた。しかし、光の加減で、映像はかなり不鮮明だった。ボディーガードはその場面のスクリーンショットを印刷し、奏に手渡した。奏はその写真を何度も何度も見返した。見覚えがあるような気もするが、どうにも思い出せない。でも、なぜかどこかで見たような気がするのだ。昨夜、彼はただにやりと笑って消えていった。それが、妙に不気味だった。もしまたどこかでこの男を見かけたら、今度こそ絶対に逃がさない。朝八時。奏が部屋から出てくると、千代が声をかけてきた。「旦那様、ご希望のコーヒーと朝食の準備ができております」少し間を置いてから続けた。「それと、三浦さんから連絡がありました。とわこさんたち、もうホテルに向かってるそうですよ。朝食を済ませたら、旦那様もホテルへどうぞ」「もうそんな時間か?」奏は少し驚いた。「ええ、涼太さんが早めに来たらしくて」奏の表情が一瞬、嘲りの色に変わり、鼻で笑いながら言った。「ずいぶんマメなやつだな」「そうですね。とわこさんとお子さんたちのこと、とっても気にかけているみたいです。でも、どんなに気遣おうと、旦那様がいる限り、彼の出番はありませんよ。とわこさんの心は、もう決まっていますから。誰が来ても奪えません」千代の言葉に、奏の心は一気に晴れやかになった。昨夜、とわこは彼に夕食を勧めてくれたし、別れ際には丁寧にお礼まで言ってくれた。彼女の態度は、明らかに変わりつつある。そう遠くない未来、きっと彼女はまた彼を受け入れてくれるはずだ。「そうそう、三浦さんがもう一つ伝えてました。真さんから包みが届いたそうです。蓮くんとレラちゃんへのバースデーカードが入ってたって」真の名前が出た瞬間、千代の表情はわずかに翳りを帯びた。「今彼がどこにいるの
それは、国際郵便だった。彼女は以前にも国際郵便を受け取ったことがあった。そのとき中に入っていたのは、真の指だった。それは、彼女が一生忘れることのできない悪夢だ。喉の奥が詰まりそうになりながらも、とわこはなんとか息を整え、三浦に言った。「三浦さん、これ、開けてみてもらえる?」「わかったわ。外で開けてくるね」三浦は包みを持って部屋を出ていった。レラは包みを開けるのが大好きだった。彼女は好奇心いっぱいに三浦の後をついていこうとする。「レラ、こっちにいらっしゃい。ママが髪の毛を整えてあげるわ」とわこは娘を呼び止めた。「三浦さんが中身を持ってきてくれるから、それまで待ってて」「はい!」レラは素直に戻ってきて、とわこのそばにちょこんと座った。そして目をキラキラさせながら口にする。「ねえママ、この包みの中、もしかして私とお兄ちゃんへの誕生日プレゼントなんじゃない?」とわこはふっと笑って答える。「そうかもね。じゃあ、誰が送ってくれたと思う?」「わかんない!」レラは少し考えてみたものの、ピンとこなかったようで、でも確信に満ちた口調で言った。「でもね、絶対に私たちへのプレゼントだよ!だって、今日が誕生日だもん!ほかの日じゃなくて、今日届いたんだもん。偶然じゃないと思うの!」その理屈は少し幼稚だけど、どこか微笑ましい。ちょうどそのとき、三浦が包みの中身を手に戻ってきた。「とわこ、中身、やっぱりレラちゃんと蓮くんへの誕生日プレゼントみたいだよ」彼女は二枚のバースデーカードをとわこに差し出す。とわこはカードを受け取ると、一瞥しただけで顔が固まった。「うわぁ!かわいいバースデーカード!やっぱりね、私とお兄ちゃんのプレゼントだったんだ!」レラはカードをママの手から奪うように取り上げた。一枚のカードには小さな女の子とバースデーケーキの絵。もう一枚には小さな男の子とバースデーケーキ。文字は書かれていないが、絵がすべてを物語っていた。これは紛れもなく、レラと蓮への誕生日カードだった。「三浦さん、包みの箱を見せてもらえる?」とわこはある人物が頭をよぎったが、確信が持てず確認したかった。三浦はすぐに外へ出て、箱を持って戻ってきた。とわこの手に渡ったその箱は、とても小さな国から送られてきたものだった。そして、差出人の欄には英
裕之の反応に、両親はしばし言葉を失った。瞳はその間に立たされ、どうしていいかわからず戸惑っていた。母親が皮肉たっぷりに口を開いた。「可愛い息子?あんたもう三十でしょ、自分がまだ子どもだと思ってるわけ?」「三十だろうが六十だろうが、僕はあなたの息子だよ!」裕之は頬を真っ赤にして反論した。母親は悠然とお茶をすくい上げ、一口含んで黙った。父親は鼻で笑いながら言う。「俺たちは、お前が瞳と一緒にいることに同意しただけだ。婿入りの話なんか、一言もしてないぞ」裕之「......」「瞳、こっちに来て」母親は瞳に視線を向けた。瞳の心臓はドクドクと高鳴る。緊張しながらも、言われた通りに歩み寄る。「私とお父さん、この二日間ずっと話し合ってたの。あなたが大変な目に遭った時、私たちの対応は本当に間違っていたって気づかされたわ。裕之が一途にあなたを守り続ける姿を見て、親として嬉しくもあり、反省もしたの。私たちは身勝手だったのよ。でも、あなたたちの人生は、私たちのものじゃない。これからは、あなたたちふたりが自分たちの幸せを築いていくべきだと思う」その言葉に、瞳の目には涙が浮かんだ。だが、母親は続けて、少し厳しい口調になった。「ただし、今日のことは言っておきたいの。瞳、あなたの気持ちは分かる。心の傷が癒えてないのも理解できる。でも、だからって自分の未来を投げ出すようなことをしちゃダメ。あなたがそんな行動をしたら、裕之だって不安で仕方ない。もう二度と、あんな無茶はしないって約束してくれる?」瞳はこくんと頷いた。「お父さん、お母さん、もう遅いし今日はゆっくり休んで。僕らもそろそろ寝る」裕之は両親を玄関まで丁寧に見送った。そして戻ってくると、リビングでワインを取り出す瞳の姿が目に入った。「瞳、酒なんて取り出してどうしたの?」裕之はドアを閉めると、大股で彼女のもとへ向かった。「まさかお祝いに飲もうとか思ってないよね?とわこが言ってただろ、君はお酒控えなきゃって」「ちょっとだけだよ」瞳はワイングラスを取り出し、注ぎながら微笑んだ。「私だけ飲むから、心配しないで」「なんで?飲みたいなら、僕も一緒に飲むよ」裕之もグラスを手に取る。「じゃあ、一緒に飲もっか」瞳は彼のグラスにもワインを注ぎながら、ぽつりと口にした。「ねえ、あなた。私酔っ払ったら
彼は車の窓を下ろせば、その男を少しは威嚇できると思っていた。相手は目を逸らすか、背を向けるだろうと予想していた。だが、車窓を下げたその瞬間、その男はなんと、真正面から顔を上げ、こちらをじっと見返してきた。奏は思わず眉をひそめ、怒りをあらわにして睨み返す。だがそれとは対照的に、相手は口元をにやりと歪めて笑った。ゾクリ、と奏の背筋を冷たい汗が伝う。恐怖ではない。ただ、あまりにも不気味すぎたのだ。これまで、彼の別荘の周囲でふらふらする者など一人もいなかった。ましてや、堂々と彼と視線を交わすなんて前代未聞だった。夜で視界が悪かったものの、男の輪郭だけはかろうじて見えた。中年で、体格がよく、やや太め。奏は断言できる、自分はその男を見たことがない。なぜそんな男が、夜中に彼の別荘の前に現れる?車はそのまま前庭へと入り、止まった。奏はすぐに車を降り、数人の警備員に短く指示を出すと、大股で別荘の中へと入っていった。間もなく、警備員の一人が小走りでリビングに戻ってきた。「社長、おっしゃっていた中年の男の姿は見えませんでした。ただ、黒い車が一台、走り去っていくのを確認しました。おそらく、そいつかと」「監視カメラを確認しろ。いつ来て、いつ去ったのか調べてくれ」奏の脳裏には、あの男の笑顔がはっきりと浮かんでいる。思わず拳をぎゅっと握りしめた。正直、あの男が精神的におかしい人間だと片付けてしまいたかった。でなければ、普通の人間があんなふうに彼の前で堂々と振る舞うなど、ありえない。だが、頭の片隅から、もう一つの声が囁いてくる。「あの男は、正気じゃない」さっき警備員が言っていた、「黒い車で立ち去った」という情報もそれを裏付けている。もし本当に精神異常者なら、夜道を徘徊していたはずで、車で逃げたりはしない。一方。瞳と裕之が家に戻ると、玄関の灯りがすべて点いており、ドアも開けっぱなしだった。リビングのソファには、裕之の両親が静かに座っていた。テーブルの上には、すでに淹れられたお茶が置かれている。ふたりが帰ってくると、渡辺家の両親は何も言わず、ただじっと瞳の顔を見つめた。今日、瞳が起こした騒動の動画は瞬く間にネットで拡散され、ついには渡辺家の親戚一同にも届いた。渡辺家は常盤家ほどの大財閥ではないが、A市では名の知れた名門
娘が学校でいじめられないかと、彼は密かに心配していた。実際にそんなことが起こる可能性は低いと分かってはいたが、それでも心配だった。だって、娘はとびきり可愛いし、その上、絶対に泣き寝入りするような性格じゃない。誰にも絡まれなければ問題ないが、万が一誰かに嫌なことをされたら、たとえ勝てなくても、彼女は必ずやり返すだろう。だから彼は、学校にこっそり一言入れておいた。「まったく良いパパだこと」とわこは呆れたように彼を茶化した。「自分でも、まだまだ全然足りないって分かってる。でも、頑張るよ」奏はまっすぐにそう言った。とわこはレラの方に目を向けて、優しく説明する。「お兄ちゃん、今日は少し帰りが遅くなるわよ。パパは昼間、瞳おばさんを迎えに行ってて、さっきやっと帰ってきたの。ちょっと疲れてるから、ママが夕飯くらい一緒にって」レラは「ふーん」と小さくうなずいた。きちんと理由が分かれば、彼女の中で立っていたパパへのトゲも自然と収まった。「ママ!わたし、魔法のステッキすっごく気に入ってるの!」レラはとわこの手を取り、ダイニングへと嬉しそうに歩いていく。「明日、絶対に一番かわいいプリンセスになるんだ」「ママにとっては、レラは毎日一番かわいいプリンセスよ」とわこの言葉に、レラの頬がぱっと赤くなった。テンションが上がったレラは、声を潜めながら言う。「ママ、こっそり秘密教えてあげる!」そう言って、レラはわざと奏の方をチラリと見た。聞かれるのがイヤなのか、でも聞いてほしいのか迷っているような顔。最終的に、レラはとわこと奏の二人だけに聞こえるような声で、その秘密を打ち明けた。「昨日の夜ね、お兄ちゃん、とらちゃんをバラバラにしちゃったの!」とわこは一瞬固まり、申し訳なさそうに奏を見た。奏は笑って首を振った。「気にしないで。プレゼントしたら、それはもう彼のものだから。どう使うのかは彼の自由だよ」レラは真剣な顔で続けた。「お兄ちゃんね、とらちゃんがバカすぎて我慢できないって言ってたの。もっと賢くしなきゃダメって。だから、分解して改造するんだって!」とわこ「......」奏「......」どうやら蓮は壊したんじゃなくて、とらちゃんのアップグレードをしようとしていたらしい。ちょうどその頃、三浦が食事をテーブルに並べ終え、奏の腕から蒼を
「奏」とわこは彼の名を呼び、静かに言い放った。「いい加減にして」その一言に、奏の口元が自然とほころぶ。彼はそれ以上何も言わず、とわこの後に続いてリビングへ入っていった。三浦はふたりの姿を見ると、にこやかに声をかけた。「夕飯、もうできたよ。そろそろ食べて。私はちょっと、レラの宿題を見てくるね」レラは小学校に通っており、毎日たくさんの宿題が出ている。とわこは家庭教師を雇い、毎日レラの学習をしっかり見てもらっていた。レラ自身は勉強が大好きというタイプではないが、とわこが与えた課題には真面目に取り組んでくれる、素直な子だった。奏はベビーベッドに歩み寄ると、しばらくためらった末に、そっと蒼を抱き上げた。とわこは皮肉っぽく言った。「さっきは空腹でこの家の門も出られないって言ってなかった?」彼女の皮肉に、奏は素直に受け入れる構えを見せた。とわこが子どもを抱くのを止めさえしなければ、それでいいのだ。「うちの子、可愛すぎてさ。見てたら、急にパワーが湧いてきた」「へえ?じゃあもうご飯いらないわね。これからは毎日、子どもを抱っこしてエネルギー補給すれば?千代も、もうご飯作らなくて済むし」とわこの嫌味に対し、奏は蒼をあやしながら飄々と返す。「俺が餓死するのはいいけど、誰かさんが耐えられないだろ?」とわこの顔がカッと赤くなり、ムキになって言い返す。「私が何に耐えられないってのよ?自惚れないで」そう言って、彼女は洗面所へと足早に向かった。奏は蒼を抱いたまま、じっとその瞳を見つめた。蒼の大きな目は、まるで黒曜石のように澄んでいて、どこまでも深い。奏はこの小さな子供に、完全に心を奪われていた。生まれたばかりの頃は、蒼に対する感情が今ほど強くなかった。だからこそ、結菜の事故のあと、彼は蒼と向き合えず、一時的に彼に対して理不尽な感情を抱いたことすらあった。でも、今ははっきり分かる。あの時の自分は、完全に間違っていた。こんな小さな子供が、一体何の罪を犯すというのか。蒼は奏の顔を見ながら、ぷくぷくと唇を鳴らし、よだれを垂らしながら「ぐぐーっ」と小さな声を上げた。その無邪気な仕草に、奏は思わず笑ってしまった。「パパのバカ息子だな」洗面所から戻ってきたとわこは、ちょうどその言葉を耳にして、急に顔を曇らせた。「今の、