セラフィナの行動は、実に素早かった。
マルコシアスを伴い、フォルネウスに言われた通り艶やかな銀色の長髪や、あどけなさが色濃く残りつつも神秘的なその美貌を衆目に惜しげもなく晒しながら、伏魔殿と化した墓標都市エリュシオンの中を、まるで我が家の庭とでも言わんばかりに優雅に闊歩した。 唯一無二とも言える──厳密には、瓜二つの容貌を持つベリアルという存在がいるが──極めて稀有な外見、それを市井にて息を潜める獣の間者たちが見逃す筈もなく、彼女がエリュシオン入りしたという報告は瞬く間に、エリュシオン地下に広がる地下墳墓《カタコンベ》を拠点とする狂信者たちの耳に入るところとなった。 それでいて、セラフィナは自らが獣の教えを信奉する者たちに対し敵対的な存在であることを誇示することも、忘れていなかった。 市井に潜む間者たち──その一部を、まるで見せしめのように闇討ちし、身柄を衛兵たちに引き渡していたのだ。 間者たちからしたら、堪ったものではない。突然、音もなく背後よりセラフィナが姿を現したかと思えば、粛々と手刀で首筋を殴打し、意識を刈り取ってゆくのだから。 意識を刈り取られ、地面に沈む刹那に感じるのは、鼻腔を刺激する仄かに甘い香りのみ。気が付くと、衛兵詰所に併設された牢の中。拷問器具を手にした衛兵たちが、底意地の悪い笑みを浮かべながら、自分を取り囲んでいる──同胞がそのような目に遭うのを、ただ見ていることしか出来ない他の間者たちの精神さえも、セラフィナは容易に蝕んでいた。 果たして──フォルネウスの依頼で示威行動《デモンストレーション》を始めてからほんの数日で、獣の教えの中核を担う幹部たちは、セラフィナのエリュシオン入りが流言飛語の類ではなく、紛れもない事実であることを知覚するに至ったのである。 ──ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル。 ──ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル。 カタコンベの地下礼拝堂……王の補佐官たる筆頭幹部サロメが小鳥の囀りを彷彿とさせる可愛らしい声で、セラフィナが動くということ──それ即ち、この男も動くということに他ならなかった。 セラフィナが"獣の教団"に対する示威行動《デモンストレーション》の一環として、マルコシアスを伴いながら墓標都市エリュシオン内部を我が家の庭が如く優雅に闊歩し始めたのとほぼ同時、シェイドもまた闇に溶け込み、影となって動いていた。 シェイドの特技は──闇討ち。聖教騎士団長レヴィによって仕込まれたそれは文字通り、宵闇に紛れて対象を音もなく急襲し、暗殺する技術である。 元・聖教騎士でありながら、真正面からの戦いのみならず搦手や卑怯な手段を辞さぬシェイド……ほんの数日で、セラフィナが衛兵に引き渡した間者の数と同数の屍が、山となりそして河となった。正しく"屍山血河を成す" である。 シェイドの行動もまた、デモンストレーションの一環であった。宵闇に溶け込み、対象を屠り、巧妙に事故死に見せかけつつ、同時に敵への見せしめとして、その場へ死体を置いてゆく。 シェイドの示威行動は、それだけに留まらない。敵への嫌がらせと言わんばかりに、彼は白昼堂々と伏魔殿と化した地下墳墓《カタコンベ》に入り込み、実際に罠の位置などを確認していた。 無論、そのようなことをしていれば何れ、見張りをしている信奉者たちに気付かれるのだが……その際のシェイドの行動は常軌を逸していた。 置き土産とでも言わんばかりに、幾つかの炸裂弾を放り投げてその場を後にするのである。獣の信奉者からしたら堪ったものではない。 連日のように、"獣の教団"は多くの死傷者を出していた。 "獣の王"がエリュシオンへと舞い戻った翌日──この夜もシェイドは闇討ちを済ませ、アイネイアスの執務室へと報告に向かっていた。「──戻ったよ、アイネイアス卿。アリアドネさん?」 犠牲者の返り血に塗れたシェイドがニヤッと笑いながら軽く手を挙げると、アイネイアスの秘書官アリアドネが困ったような微笑みを浮かべつつ、予め用意していた濡らしたタオルで彼の額や頬を優しく拭う。まるで、手の掛かる子供でも相手にしているかのようである。
セラフィナの行動は、実に素早かった。 マルコシアスを伴い、フォルネウスに言われた通り艶やかな銀色の長髪や、あどけなさが色濃く残りつつも神秘的なその美貌を衆目に惜しげもなく晒しながら、伏魔殿と化した墓標都市エリュシオンの中を、まるで我が家の庭とでも言わんばかりに優雅に闊歩した。 唯一無二とも言える──厳密には、瓜二つの容貌を持つベリアルという存在がいるが──極めて稀有な外見、それを市井にて息を潜める獣の間者たちが見逃す筈もなく、彼女がエリュシオン入りしたという報告は瞬く間に、エリュシオン地下に広がる地下墳墓《カタコンベ》を拠点とする狂信者たちの耳に入るところとなった。 それでいて、セラフィナは自らが獣の教えを信奉する者たちに対し敵対的な存在であることを誇示することも、忘れていなかった。 市井に潜む間者たち──その一部を、まるで見せしめのように闇討ちし、身柄を衛兵たちに引き渡していたのだ。 間者たちからしたら、堪ったものではない。突然、音もなく背後よりセラフィナが姿を現したかと思えば、粛々と手刀で首筋を殴打し、意識を刈り取ってゆくのだから。 意識を刈り取られ、地面に沈む刹那に感じるのは、鼻腔を刺激する仄かに甘い香りのみ。気が付くと、衛兵詰所に併設された牢の中。拷問器具を手にした衛兵たちが、底意地の悪い笑みを浮かべながら、自分を取り囲んでいる──同胞がそのような目に遭うのを、ただ見ていることしか出来ない他の間者たちの精神さえも、セラフィナは容易に蝕んでいた。 果たして──フォルネウスの依頼で示威行動《デモンストレーション》を始めてからほんの数日で、獣の教えの中核を担う幹部たちは、セラフィナのエリュシオン入りが流言飛語の類ではなく、紛れもない事実であることを知覚するに至ったのである。 ──ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル。 ──ハヴェール、ハヴァーリーム、ハヴェール、ハヴァーリーム、ハッコール、ハーヴェル。 カタコンベの地下礼拝堂……王の補佐官たる筆頭幹部サロメが小鳥の囀りを彷彿とさせる可愛らしい声で、
墓標都市エリュシオンに到着した翌日──セラフィナは早速、魔王フォルネウスから呼び出しを受けていた。「──どうぞ、セラフィナ・フォン・グノーシス」 アイネイアスの執務室……その扉を、セラフィナがコンコンコンと軽くノックすると、中からフォルネウスの耳に心地好い返事が聞こえてくる。「──失礼します」 セラフィナが扉を開け、アイネイアスの執務室の中へと足を踏み入れると、執務机に齧り付いているアイネイアスと書類整理を手伝うアリアドネ──そして、そんな二人とは対照的に、来客用のソファーに腰掛け、優雅にワインを嗜んでいるフォルネウスの姿があった。「やぁ、セラフィナ……昨夜は良く眠れたかな?」「……朝からワインだなんて、随分と良いご身分だね」 溜め息混じりにセラフィナが皮肉を言うも、フォルネウスには一切響いていないようで、「これでも一応、嘗て同胞たちから大いなる覇者"魔王"と呼ばれて恐れられていた時期もあるからね。身分が高いかどうかと問われれば、そうとしか言いようがないんじゃないかな?」「……あぁ、そう言えばそうだったね」「それに、一仕事終えてきたばかりだ──少しくらい贅沢をしても、罰は当たらないと思うけれど? まぁ遠慮などせず、兎に角そこにでも座ってくれ給え。君だけ立ったまま話をすると言うのも、些か申し訳ない気持ちになる」 フォルネウスに促されるまま、セラフィナは対面のソファーに遠慮がちに腰を下ろした。「──うん、見れば見るほど素晴らしい。今は亡き女神シェオルに生き写しだと、多くの者が君の神秘的な容貌を礼賛するけれど、こうして間近でまじまじと見てみると、その理由が良く分かるよ」 上質な絹を彷彿とさせる、艶やかな銀色の長髪。涼やかながらも、同時に強い意志を感じさせる青い瞳。白磁や雪を思わせる白い肌。あどけなさが色濃く残りつつも、神秘的な美貌。 華奢で手足が細長いところや、控えめながらも存在を主張する胸、反対に存在を強く主張する腰のくびれ……何もかもが女神シェオルにそっくりだ。感情の起伏
有言実行とは正しく、このようなことを言うのだろう。 セラフィナたちとの情報共有を済ませると、魔王フォルネウスはその日の内に行動を開始していた。 獣の狂信者たちが本格的に動き始める夜──フォルネウスは"地下墳墓《カタコンベ》の入口や、エリュシオンの裏通りといった狂信者たちの使用する場所に姿を現しては、ハープを奏でつつ澄んだ声で歌を歌った。 ──"星降る荒野に行こうよ" ──"天地の娘に連れられて" ──"地は亡く、天は泣いてるよ" ──"痛みと苦しみに悶えながら" ──"皆で逝こうよ、渾沌《まろかれ》の元に" ──"痛みも苦しみもなくなるから" ──"泥の中に、身を委ねて" ──"どうか、永久の安息を" 事情を知らぬ者が聞けば、民間伝承を題材にした何気ない歌にしか聞こえないことだろう。 けれども獣の教えを信奉する者たちにとって、その歌は特別な意味を持っていた。 "天地の娘《フィリウス・デイ》"伝説──天空の神ソルと大地の女神シェオルとの間に実は子供がおり、世界の終わりにその者が降臨し、遍く生命を救済してくれる。とうの昔に廃れた筈の教え、それを"獣の教団"は器用に組み込んでいたのだ。 獣の狂信者からすれば、フィリウス・デイ伝説を題材にした歌を歌う者は同胞──フォルネウスはそれを歌うことで狂信者たちとコンタクトを取り、墓標都市エリュシオンにセラフィナが入ったことを広めようとしていた。 末端の信者の間でセラフィナの存在が広まれば、サロメを筆頭とする幹部たち、そして闇の中に身を潜める"獣の王"も何らかの動きを見せざるを得なくなる。「──あぁ……あんたか。アイネイアス卿の手の者かと思って、一瞬身構えてしまったよ」 フォルネウスの歌に、何名かの狂信者が足を止める。傍から見れば何処にでも居そうな、如何にも純朴といった風体の中年の男や子連れの若い母など。フォルネウスは、すっかり彼らと顔馴染みになっていた。
「──これで、全員揃ったな。では、早速始めよう」 フォルネウスを見て困惑するシェイドを余所に、アスモデウスはアイネイアスの執務机の周りに集まるよう、その場にいる全員に声を掛ける。 言いたいことは山ほどあれど、今はアスモデウスの指示に従おう。そう思いつつ、シェイドはフォルネウスから目を逸らして執務机へと歩み寄ると、その上に広げられた地図を見下ろす。 それは、アスモデウスが一から作り上げたエリュシオン地下に広がる地下墳墓《カタコンベ》の全体図だった。ご丁寧に見張りの存在の有無、侵入者対策の罠が仕掛けられている場所まで記されている。完成までに途轍もない労力を要したことは想像に難くない。「──これが、"獣の教団"が拠点としているカタコンベの全体図だ。掃討戦の決行までに、其方たちにはこの地図の道や出入口の位置などを全て頭の中に叩き込んでもらう」 先程までの軽薄な態度は何処へやら、深みのある厳かな口調でそう告げながら、アスモデウスはセラフィナたちの顔を順番に見やる。「──私がこれまで集めてきた情報を今一度、其方たちと共有しておこうと思う。情報を制するものは、戦いを制する。其方らにとっても現況を把握し、敵について知ることは非常に有益であろう。まず、"獣の教団"の信者たちについてだ──」 "獣の教団"の信者の殆どは、精神的に追い詰められた一種の鬱病患者であることが判明している。"崩壊の砂時計"の出現、そして毎日のように砂時計の砂が減りゆく様を見続けたことで将来への希望を失い、精神を病み、強い希死念慮を抱くようになった者たちが"獣の王"の思想に共感し、そして賛同しているのだ。 旧来の神を滅し、痛みも苦しみもない新たなる世界を創造しようとしている"獣の王"の思想に。 元凶とも言える"崩壊の砂時計"に関しては、ハルモニアに於いても様々な噂や憶測が常に飛び交っており、それらを纏めてゆくと大まかに三つに集約されるという。 ──砂時計の砂は、地上に存在する生命の残りの数。 ──砂時計は、同じ刻を一定に刻むことなく、不規則に加速と減速を繰り返している。
ステュクスの畔にて、ガルグユの襲撃を受けた翌日── セラフィナたちは無事、目的地たる墓標都市エリュシオンに辿り着いていた。神殿都市ミケーネのように身柄を拘束されることもなく、都市の入口にて衛兵たちに皇帝ゼノンの書状を渡し、フードを脱いで素顔を見せると、彼らは何も言わず馬車を手際良く手配し、アイネイアスの屋敷へと彼女たちを護送した。 マルコシアスも乗り込める程の、荷運び用と思われる大きな馬車──それにセラフィナたちとマルコシアスが乗り込み、マスティマは馬車を護衛する騎兵の軍馬に扮して彼女たちに帯同する。 馬車に揺られていたのは、凡そ二、三時間ほどだったろうか。外から顔を見られぬよう、窓に該当する物が馬車には備えられていなかったため、どれほど進んだのか具体的には分からなかったが、体感時間としては概ねそのような感じであった。 何処に"獣の教団"の間者が潜んでいるか分からないということで、アイネイアスの屋敷に入るまでの間、セラフィナたちはさながら監獄へと送られる凶悪犯罪者が如く、フードを目深に被り続けていた。 アイネイアスの屋敷に着くと、黒を基調としたハルモニア軍の礼装に身を包んだ金髪碧眼の若い女性が、セラフィナたちを出迎えた。「──お待ちしておりました。セラフィナ・フォン・グノーシス御一行様。私、領主アイネイアスの秘書官をしております、アリアドネと申します」 スカートの端を指先でつまみ、黒のストッキングに包まれた細い脚を軽く交差させながら、アリアドネと名乗った麗しき秘書官は深々と頭を下げた。 薄化粧の施された端正な顔はまるで、人形や普段のセラフィナを彷彿とさせる無表情で、屋敷の周辺に潜伏している不審な輩はいないか強く警戒している様子だった。「どうぞ、中へ──アイネイアス様がお待ちです」 挨拶を返す間もなく、アリアドネはセラフィナたちを素早く屋敷の中へと通す。恐らくはこれも、何処に潜んでいるか分からない"獣の教団"の間者たちに、セラフィナたちの到着を悟られぬようにするための対策なのだろう。 アリアドネに先導されながら、セラフィナた