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第47話 別れの真実

Author: 釜瑪秋摩
last update Last Updated: 2025-08-21 09:10:21

 あの幸せな日々から、さらに数カ月が過ぎた頃――。

 水無月百合は、天樹神社の奥の社で一人膝を抱えていた。夜の静寂が境内を包み、月光だけが彼女の白い巫女装束を照らしている。

「私は……間違っているのでしょうか」

 誰に向けるでもない問いが、闇に溶けていく。

 昼間の出来事が、百合の心を重く圧迫していた。父であり、師匠である大神官・水無月厳道げんどうから、厳しい叱責を受けたのだ。

『百合よ、おまえは道を踏み外している』

 師匠の言葉が、今も耳に残っている。

『妖と契りを交わすなど、巫女として許されることではない。ましてや、あの狐妖と愛し合うなど――』

 百合は膝に顔を埋めた。師匠だけではない。神社に仕える同輩の巫女たちからも、冷たい視線を向けられている。

真紀江まきえ様……」

 昨日、最も親しかった先輩巫女・真紀江に諫められた時のことを思い出す。

『百合ちゃん、目を覚まして。あなたは妖に魅入られているのよ』

 真紀江の言葉は、心配からだった。それは分かっている。それでも――。

「理玖は、そんな方ではない……」

 百合は強く首を振った。

 理玖が妖であることは事実だ。けれど、彼は人を害することなど決してしない。むしろ椿京の人々を守るために、日夜戦い続けている。なぜ、誰もそれを理解してくれないのか。

「理玖……」

 彼の名前を呼ぶだけで、胸が温かくなる。同時に、激しい痛みも走った。

 愛すれば愛するほど、周囲か

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