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第548話

Author: 栄子
「これは奇遇ですね」柏が歩み寄ると、運転手は自然と脇に下がった。

綾はスマホを手に、無表情で柏を見つめた。「桜井社長、警察を呼んで保険で処理しましょう」

柏は眼鏡を押し上げながら言った。「私の全責任にしてもらってかまいませんので、金額を提示してください」

「結構です」綾は通報しながら言った。「通常の手続きでお願いします」

柏は眼鏡の奥で、綾をニヤニヤと見つめた。

綾は電話を切り、道路脇で警察官を待つことにした。

「二宮さん、碓氷さんに関するちょっとした情報があるんですが、興味はありますか?」

「彼のことには興味ありません」綾は冷ややかな視線を向け、冷淡に言った。「あなたにも良い印象はありません。距離を置いてください」

柏は眉を上げた。「でも、二宮さん、私はあなたに興味があるんですが」

綾は眉をひそめ、彼を相手にする気を全く失せてしまった。

そう思っていると、見慣れた人影が歩み寄って来た。

「柏さん」

音々が近づき、柏の腕に抱きついた。「どうしたの?追突?」

柏は音々に視線を向けた。「どうしてここに?」

「買い物の帰りだったんだけど、渋滞に巻き込まれちゃって。車の中からあなたの後ろ姿が見えたから、もしかしてと思ったら、本当にあなただったのね!」

音々は柏に甘い笑みを向け、寄り添うようにしていた。

綾はそれを無表情で見つめてた。

柏は、人前で男性としての見栄を満たしてくれる音々の機転に満足していた。

彼は唇をあげて笑った。「二宮さんが保険で解決しようと示談に応じてくれないんだ。あなたたち、一人は碓氷さんの元妻、もう一人は元婚約者だろ?顔見知り同士だろうし、二宮さんを説得してくれないか?」

それを聞いて、音々は綾に視線を向けた。

目が合うと、綾は冷淡な表情をした。

音々は笑った。「二宮さん、そんなに意固地にならなくてもいいじゃないですか?私たちの高級車があなたのBMWにぶつかったんですから、どう考えても私たちの方が損してるんですよ。示談金で済ませて、時間を無駄にするのはやめましょうよ」

彼女がそう言っているうちに、警察官が到着した。

綾は二人を無視し、警察官の方へと向かった。

音々は警察官と話している綾を見て、柏に顔を向けた。「どうやら私が説得しても無理のようね。警察が来たなら後の処理は運転手に任せて、私の車で一緒に帰らない
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