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第96話

作者: 栄子
誠也は悠人を連れて帰った。もちろん、遥が「絶対気に入ると思う」と言っていたラグドールの子猫も一緒にだ。

彼らが帰った後、綾はとうとう倒れてしまった。

輝が倒れそうになった綾を抱きとめ、オフィスにあったソファに寝かせた。

綾はソファにもたれ、胸を押さえて荒い呼吸をしていて、顔は真っ青だった。

これは、過呼吸の発作だ。

輝は綾の口を塞ぎ、落ち着いた声で言った。「過呼吸だ。口を閉じて、私のペースで息を吸って。いち、に、吸って。そう、上手。いち、に、吸って......」

輝のおかげで、綾の呼吸は落ち着きを取り戻し始めた。

輝は白湯を汲んで、綾に差し出した。「少し飲め」

綾はソファにもたれ、少しずつ白湯を飲むと、体がようやく落ち着いてきた。

輝は近くにあったクッションを綾の背中に当て、「これで楽になるだろ」と言った。

綾は輝を見て、青白い唇を少しだけ緩め、「ありがとうございます」と静かに言った。

ここ数日一緒に過ごして、綾は輝の口は悪いけど、根はいい人だと感じていた。

年齢の割に、ずいぶんと気が利く。

「なんだこれ?」輝は床に落ちていた紙を拾い上げ、眉をひそめた。「妊娠検査の結果?誰の......」

綾はドキッとして、身を起こし、輝から紙を奪おうとした——

「ちょっと待て!」輝は綾の手をかわし、立ち上がって紙の内容をじっくりと読んだ。

数秒後、彼は顔をしかめて綾を見た。「妊娠してるのか?」

綾は輝を見つめ、眉をひそめて言った。「誰にも言わないでください」

「え、ちょっと待てよ、碓氷さんと離婚するんだろ?!」輝は綾を見た。「まさか、シングルマザーになるつもりか?」

「明日、手術を受けます」

輝はびっくりして、「手術?」と聞き返した。

「はい」綾は立ち上がり、輝の手から検査結果を取り返すと、小さな声で「堕ろすんです」と言った。

輝は言葉を失った。

綾は検査結果をバッグにしまい、ドアに向かって歩き出した。

子犬はまだ大人しくペットケージの中で飼い主を待っていた。

綾が出てくると、すぐに立ち上がって「ワン!」と吠えた。

綾は微笑んで子犬をケージから出してやった。

子犬は嬉しそうに綾の足元に擦り寄り、しっぽをブンブン振っていた。

輝は歩み寄り、綾と子犬が戯れている様子を見ていた。

しばらくの沈黙の後、輝は「碓氷さんは知ってるのか
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