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第468話

Author: 桜夏
それに、あの男には金もコネもある。名前さえ知られれば、今泊まっている安ホテルなんて、すぐに見つけ出されてしまうだろう。

「どうしてそんなことを聞くんですか?名前は個人情報でしょう」

美月は警戒しながら言った。

二十億円。それは彼女にとって、人生を逆転させる最後の希望であり、命綱なのだ。

だから、たとえ最初はこの若い男に少し気を持っていたとしても、考えなしに二十億円を棒に振るような真似はしない。

「誤解しないでください。怪しい者ではありません」

女の声に含まれた警戒心を感じ取り、男は慌てて説明した。

警戒心が強いのは良いことだ。もし彼女が本当に妹なら、彼はむしろ安心するだろう。少なくとも、自分の身を守る術を知っているということだから。

「だったら、私の名前を何で聞くんですか」

美月は問い返した。

「それに、女性の名前を尋ねる前に、まずご自分が名乗るべきじゃないですか?それが紳士としての最低限のマナーでしょう」

彼女はそう言ってやり返した。

男はそれを聞いて一瞬言葉に詰まり、やがて口を開いた。

「失礼。配慮が足りませんでした。橘雅人(たちばな まさと)と申します」

その名前を聞いて、美月は心の中で二度繰り返し、後で京田市の上流階級にそんな家があったか調べてみようと、頭に刻み込んだ。

「それで、ご用件は何ですか?先に言っておきますけど、あのネックレスは私の物ですから」

雅人は唇を引き結んだ。相手の警戒心はあまりに強い。名前を聞き出すのは諦め、別の質問をすることにした。

「ご家族は?」

その一言に、美月の口元が吊り上がった。

何なの、これ?そんなに詳しく聞いてきて、私を口説くつもり?

ネックレスを口実に、名前を聞いて、今度は家族のことまで。ふん、男ってやつは。

彼女はまだ相手を釣ろうともしていないのに、向こうから先に食いついてきた。

「橘さん、それってまるで身元調査みたいですね?」

美月は片方の口角を上げて言った。

相手に簡単には答えたりしない。そんな素直で面白みのない女では、男はすぐに興味を失ってしまうだろうから。

「不躾な質問だと分かっています。ですが信じてください、悪意はありません」

雅人は説明した。

女の口は堅い。少しはこちらの事情を明かさなければ、何も教えてはくれないだろう。

「そういうセリフは聞き飽きました
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